俺の非凡な日常を誰か変わってくれ。
『 つまらないこの世界に、一体なんの意味が有るのだと言うのだろう。
人間は二つの部類で構成されている。
「成功する人間」と「成功しなかった人間」の二つだ。
どちらの部類にも属さない者はもはや人間では無い。
何にせよ、私が言いたいのは__ 』
「取り敢えず、リア充全員爆発しろ。」
タンッという、キーボードを打つ音だけが部屋の中を反響する。
先程までまばらに鳴って居たキーボードの打つ音も、もうしない。
ただ、部屋にいる主のため息が木霊する。
部屋の主はパソコンの電源を落とし、部屋のベッドに寝っ転がるや否や、スグに寝ようとしている。
しかし、そんな努力もすぐに無駄となる。
「兄貴ー、いい加減起きねーと父さんが怒ってるぞー。」
ガチャッとドアをノックもなしに開ける、そいつは部屋の主である、
齋藤和泉の兄弟で齋藤夏海という。
見た目こそ弟の様ではあるが、性別ではれっきとした女性の分類だ。
「ほら、兄貴!遅刻するぞ!」
和泉は妹の声を無視して睡眠を続けようとする。
夏海が兄の布団を剥ごうと引っ張ると、兄より妹の方が勝るのかいとも簡単に布団を取られてしまう。
「ちょ、返せよ!」
布団がなければまだ肌寒い時期である。
必至に手を伸ばすが、届かず、虚しくも起きなければならない状況になってしまった。
「兄貴非力すぎ、そんなんじゃ女子からモテねーよ?」
「うっわ、それお前にだけは言われたくなかった。」
「どういう意味だ?あぁ?」
喧嘩する程仲がいいとは言うが、実際仲がいいかは謎である。
すぐに掴み合い殴り合いの喧嘩になる場合、それはホントに仲が良いから起きる事なのだろうか。
毎朝良くも飽きないものだと誰もが感心している。
「どうせ夜遅くまでポエムみてーなの書いてたんだろ!」
「はぁ!?ポエムじゃねーし!!」
毎度そんな事の言い合いだ。
しかも、兄が書いていたのは夜遅くでは無い、ついさっきまで、だ。
「和泉、夏海、いい加減朝食食べないと…」
ドアの近くに寄りかかり、二人の様子を見物していたようだ。
ニコッと笑う父の顔には『いい加減にしないと殺す』と書かれているように見える。
二人はお互いを離し、階段を駆け下り席につく。
「二人とも、おはよう。」
「はよー、母さん。」
「おはよー」
母はお弁当を作っているのか、まだ台所でせっせとご飯を作っている。
母の作るご飯は美味しい。
それは母が、俺達が食べやすい様に毎度工夫してくれるからなのだと思う。
「おはよ、ハニー」
父が降りてきたようだ。
ハニーとは父が母を呼ぶ時に使う呼び方だ。
家の中でしか使わない。
「はいはい、おはよ。」
母はクールな人で、大体父の言うことはスルーするか、無視する。
妹はそれに似てしまったのだろうかと、頭を悩ませる。
妹というのはそれなりに可愛げがあって、兄を起こす時だって『おにーちゃん、起きてー?』の一つぐらい言えばまだ可愛げがあるものを。
ハァッと和泉が大きな溜息を着く。
すると、黙々と朝食を食べていた夏海が和泉の方を向く。
「兄貴、体調でも悪いのか?」
首を傾げながらそう聞く妹を可愛く思わない訳ではない。
むしろ、心配してくれる妹優しい、と気分が向上するものでは無いだろうか。
しかし、和泉はそんなに素直ではなかった。
「いや、ただ、妹ならもっと可愛げのある妹が欲しかったなーって思っただけ。」
「その言葉、そのまま返してやろうか?」
いつになっても兄弟喧嘩は絶えない。
それは言い合えるだけ、兄弟の事を良く分かっているという証だと思うがそれを黙って見守る父と母。
しかし、学校に遅刻寸前となると別である。
「早くしないと学校に遅れるよ。」
母の一言でハッとして、朝食を一気にかき込むと
丁度準備の終わった弁当を持って自室に向かい、着替えを開始する。
可愛い幼なじみの迎えなど無く、妹と共に学校まで自転車で全力疾走するのが日常である。
「ちょっ、待って…」
ぜーはーぜーはーと息を切らしながらも妹の後を全力でついて行くが、前に漕ぐのがやっとだ。これは決して、和泉の体力が無いわけでは無く夏海の運動能力全般が人より優れていると言うだけである。
「兄貴、体力無さすぎ!早くしろよ!」
「お、前が、有りすぎ…なんだよっ…」
こんな事毎日毎日やっているというのに、和泉の体力は全く上がらない。むしろいつも筋肉痛で身体のあちこちが痛くなるだけである。
夏海は部活動推薦で高校に受かっただけはあるのか、日頃バスケの練習で鍛えた筋肉と体力で朝のこんな通学は良い運動になっているようだ。
「間に合わなかったら兄貴のせいだからな!」
そう言いながらも、兄のペースに合わせてやる夏海は何かと優しいと思う。しかし、和泉にはその優しさが通じない。
どちらも素直じゃないのだ。
ハァハァっと息を切らしながら、やっとの事で学校に着く。
着くや否や、妹の夏海は自転車を自転車小屋に置いてすぐに人に囲まれてしまう。
高校1年でありながら、女子バスケ部のエースを獲得している夏海は女子からも男子からも好かれる憧れの的なのだ。
「兄貴、悪い!先行くな!」
「おう。」
夏海は少し困った顔をしながらも、大勢の人を連れて昇降口に向かって歩いていく。
そんな姿をボーッと眺めながらも、和泉は一人で昇降口から少し外れた場所に歩いていく。
「…あっ、和泉さん!」
「よう、もう来てたのか。」
昇降口から少し離れた場所にある、校舎のすぐ裏には数匹の猫がいる。和泉の姿を見るや否や真っ先に声を掛けてきたのは、後輩の咲原遥である。遥と一緒にここにいる猫達に餌を与えている。
学校側にバレたら怒られるだろうが、遥も和泉も成績が悪い訳でも人が悪い訳でもないので、かれこれ一年以上、餌を上げているがバレた試しがない。
「先輩も、もう卒業ですね…」
そう、少し寂しそうに遥が言う。
男の子ではあるのだが、女の子のような可愛らしい容姿で合るため、一見すれば女子だ。
そんな彼に言われればドキドキしない男子はいないだろう。
和泉もそれは例外ではない。
「アホか、俺はまだ、三年に上がって三ヶ月だろ?」
「でも、あと一年ですよ?僕、一人でこの子達見れるか心配で…」
「大丈夫だろ、お前ならさ!」
「そうですかね…?」
二人でそう言う会話をした後、目を見合わせ笑い出す。
こんな一時もあと一年しかないと考えれば寂しい気がする、しかし和泉の頭はポジティブだった。
あと一年しかないんじゃない、あと一年あるんだ。
「そろそろ予鈴がなりますね。」
「そうだなー、教室行くか。」
「はいっ!」
和泉と遥は校舎に向かい、それぞれ別の教室に向かっていった。
「じゃあ、また放課後な。」
「はい!」
ニコッと笑う遥は天使の様である。
いつもと変わらないのに感動するのは何故だろう、そんな事を考えながら教室に向かう。
ガラッと教室の扉を開ける。
皆がガヤガヤ騒いでいる中、一人でボーっと外を見ている奴に和泉は話しかけた。
「おはよ、祐輔。」
和泉がそう呼ぶと、眠たそうに相手はこちらを向く。
声の主が和泉だと分かればニコッと笑って
「おはよー、和泉。」
と言う。
和泉の後ろの席に座っている岸野祐輔は、和泉の小学校からの親友だ。
二人の仲は、人一倍良く、喧嘩なんて数える程度しかしていない。まぁ、どの喧嘩も些細な事で、祐輔が和泉に謝って終わったのだが。
祐輔も和泉も、友達を作るのは上手ではない。
祐輔は元から人見知りらしく、知らない人と話すのが怖いのだそうだ。
逆に和泉は人懐っこい子だったのだが、兄弟の出来の良さと比べられ、人に幻滅されたくない、という心が強い。だからあまり深く関わる人間は作りたくないのだ。
こんな二人が親友になったのはただ、ウマが合ったと言うだけなのだが、こんなに続くとは本人達も思っていなかった事だろう。
「ねぇ、和泉。飴持ってない?」
「あるよ、いつものだろ?」
「ありがとー。」
こんな他愛もない会話ではあるが、本人達の中ではまた別の何かが通じているのかもしれない、が、それは他人が知ることではない。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴る。
皆が席に着席するとほぼ同時に担任の先生が入ってくる。
日直が号令を掛け、着席すると先生は話を始める。
「…今日の連絡は以上だ。それから、齋藤、後で保健室に行くように。」
「あ、忘れてた。」
担任に言われなければ忘れていた。
今日は月に一回の定期検診の日であった。
日直の号令で朝礼が終わり、教室内の生徒はまたガヤガヤと騒ぎ始めていた。
「和泉ー、俺も一緒に行こうかー?」
「いや、大丈夫。一人で行ってくる。」
祐輔を教室に残し、俺は保健室へ向かった。
コンコンっと保健室の扉をノックするが、返事はない。
「あれ?先生、いないんですか?」
ドアを少し引いてみるが開く気配は無い。
先生は留守なのだろうか?一応、職員室を覗いてみよう。
そう思い至った和泉は保健室から離れ、職員室に向かおうとした。
すると突然後ろへ引かれ、保健室の中に引き込まれる。
驚きの余り
「うぇっ!?」
と色気の“い”の字も無いような声を発してしまい、咄嗟に口を手で覆う。
自分を保健室の中に引き入れた人物は何事も無かったかの様に保健室の椅子に座って、こちらをジッと見て様子を伺っているようだった。
「あ、あのー…」
歪ながらも笑った顔で声をかけるが、相手からの反応はない。
しかし、保健室には和泉とその人だけ。
和泉には疑問が浮かんだ。
この人、誰?
その和泉の思考を読んだかの様に、その人は口を開く。
「…齋藤、和泉…くんで、合ってるか?」
「えっ、あっ、はい。」
何故この人は俺の名前を知っているのだろう。
和泉は面では笑顔を保ちながらも、内心この不審者に戸惑っている。髪は白髪で耳にはピアスが数個、オマケに私服。
しかし、和泉はハッとする。
ここは保健室…
しかも中は私服と言えど、ちゃんと白衣を着てるじゃないか。
「もしかして、新しい保険医の方ですか?」
それならすべて辻褄が合う、とホッとする。
「違うよ?」
この言葉を聞くまでは。
「えっ、じゃ、じゃあ…?」
一体お前は誰だ、そう言いたいのをグッと抑え込めば和泉はいつでも逃げ出せる準備を始める。
こんな誰とも分からない人が学校に入っていること自体危険な事なのに、こんな近くに居ると更に危険だ。
スタートダッシュはもう切れる。
和泉は自分の中でカウントを始めた。
3、2、1…
今だ!
そう思って保健室の扉へ走り、バッと開けた。
「わっ」
走り出そうとした時、大きな壁が保健室の前に立っていて
ドンッとぶつかってしまう。
後ろに倒れると思ったのだがどうやら抱きとめられたらしい。
「どうしたの?和泉。」
「ゆ、祐輔…!」
何で来たのかよくわからないが助かった、と言わんばかりに祐輔を見ると、祐輔は和泉の後ろを見ていた。いや、睨みつけていたの方が正しいかもしれない。
「やぁ、祐輔くん。」
「えっ?」
「何でココにアンタがいる訳?」
「ゆ、祐輔?」
二人に板挟みにされた和泉は状況整理が出来てないようで二人を見る。
「あぁ、ごめんな、和泉くん。驚かせちゃって。」
「和泉の名前、気安く呼ばないで。」
笑うその人とは正反対に、祐輔の方は食って掛かりそうな勢いだ。和泉も状況は分からないが、取り敢えず祐輔がここまで感情を露わにする程の人物なのだと言うことは分かった。
「え、えっと…祐輔、この人は?」
「…家庭教師。」
「えっ?家庭…教師…?」
「そうそう、俺は祐輔くんの家庭教師。東渉だよ、よろしく。」
そう言って人懐っこそうな笑顔で渉は笑う。
祐輔は和泉を守るかのように前に出て、渉を睨みつける。
そんなにこの人の事嫌いなんだ…
和泉は祐輔を見ながらそう思う。
だが、和泉の疑問はまだ消えていなかった。
「祐輔と東さんの関係は分かりました。ただ、何でココに居たんですか?」
ただ雄輔に会いに来ただけじゃ校舎内には入れない。
それが分かった上で和泉がは渉に問いかけた。
「あぁ、それは、姉さ「渉!」あ、やべっ。」
渉の声を遮ったのは保険医の先生だった。
それは和泉がいつもお世話になっている保健室の先生だ。
「アンタね、私は和泉くんが来たら引き止めて置いてとは言ったけど、和泉くんを混乱させろとは言ってないわよ?」
保健室の先生、東美佳先生はお怒りモードだ。
「ごめんね、和泉くん。弟が。」
「あ、いえ。俺はなんとも…」
多少の混乱は合ったが大した事では無いのだろう。
祐輔もいつもの眠たそうな表情に戻っていた。
「じゃ、姉さん戻って来たし俺は帰るわ。」
「早く帰って、今すぐに。」
「はいはい、人遣いが荒いんだから。」
そう言って渉は歩いて保健室から出た。
祐輔は渉が出ていくや否やハァっと深い溜息を付いた。
「大丈夫?」
和泉がそう聞くと祐輔は和泉に笑いかけて
「大丈夫だよ。」
と一言言う。
それだけで安心したのか和泉も笑って
「そっか。」
と返した。
そんな二人を眺め、美佳はニコッと笑った。
そして、和泉の検診をするから祐輔に外に出といてくれと頼み、和泉の検診を開始した。
☆
「お疲れ様、今回もどこも以上無さそうね。」
「ありがとうございます。」
「でも、無理しちゃダメだからね?」
「分かってます。」
和泉の検診が終わり、保健室から出ると祐輔が待っていた。
「ごめん祐輔、結局待たせちゃったね。」
少し苦笑いしながら、和泉が言うが、祐輔は首を横に振った。
「大丈夫だよ。それより、検診結果は大丈夫だった?」
「うん、どこも以上無かったよ。」
それなら良かった、と安心したように祐輔はニコッと笑う。
和泉もつられて笑う。
キーンコーンカーンコーン
「あ、不味い、授業始まっちゃった。」
「大丈夫でしょ、先生だって検診だって分かってるよ。」
祐輔は当たり前のようにそう言うが和泉にとってはそうは行かない。クラスの連中がまたイチャモンをつけてきたらたまったものじゃない。
和泉は心臓が少し弱いらしい。
それは極一部の人しか知らない事実であるため、兄弟も知らない。
普通の人と何ら変わりなく生きてきているのだ。
だから、他人から見れば和泉を先生達が贔屓している様にしか見えない。
しかし、実際のところ、贔屓している事なんて無く、むしろ悪い意味で手を焼かれて和泉に取ってはいい迷惑だ。
「祐輔、急ぐよ。」
「えー…、あ、アレ…」
「どうした?」
和泉が祐輔を急かすと、祐輔は面倒くさそうな顔をする。
そして窓の外を見て、ある一点を見た時、目を止めて、小さく声を発した。
和泉はどうしたのかと祐輔を見た後、祐輔の目線を追いかけて窓の外を見た。
外は雨が降っていた。
もう梅雨の時期は過ぎたのに珍しいな、と思った。
その中に二つの傘が見えた。
一つの傘は夏海のものだった。
それともう一つ、誰か居るがよく見えない。
「夏海…?」
「っ、和泉、見ちゃダメだ!」
そう言った祐輔の声、そして伸ばした手は虚しくも和泉には届かなかった。
夏海は、背伸びをし、誰かと顔を近づけていた。
誰と?
アレは?
分からなかった。
和泉には何も出来なかった。
ただ、妹が誰かとキスをしていると言うことしか分からなかった。
別に、兄弟が誰とキスをしていようが、付き合っていようが、和泉にとってはどうでも良かった。
ただ、目の前でその姿を目撃するというのは和泉にとってショッキングな出来事だった。大きなダメージを受けた。
口付けを交わす夏海の姿はちゃんと女の子だった。
絶対兄弟には見せない顔だった。
和泉は素直じゃないから言わないが、妹を可愛く思っていた。
その妹は、兄の知らない誰かに兄の知らない顔を向けていた。
苦しくて、胸が痛かった。死ぬかもしれない、そう思えるほど心臓がバクバクと脈を打っていた。
「和泉!和泉っ!」
そう呼ぶ祐輔の声が少しずつ遠ざかって行く様だった。
和泉は意識を失う中、考えていた。
あの後ろ姿は、東渉じゃなかったかと。
あの二人はいつから知り合いだったのかと。
自分は兄弟の事を何も知りはしなかったのだと。