94話
*** 94話 ***
* * *
『そうだな、一言で言うなら【執念】よ』
モニタの向こう側では、人狼と少年と竜人が、その向こう側にいるプレイヤーたちが話し込んでいる。
けれど【ムラマサ】は、その通話への参加はしていない。それは別口で既に会話をしているからだ。
「執念」と私はオウム返しに口走る。
『そ。執念ってやつだと、オレ様そう思ってるわけよ。
怒りや喜びなんつー感傷的で感情的な心境由来の情動ってのはとどのつまりよ、火力は高いが往々にして長続きしねーモンなのよ。瞬間高DPSみたいなもんなの。
……その辺はあんたの方が分かってるだろーから今更説明するまでもねえけどさ』
「まぁ納得はともかく、言い分なら理解はできるね、片田舎とはいえ現職の医者だ。その手の話は、曲がりなりにも専門だから」
人間、一つの感情を常に抱きながら生活することは端的に言えば不可能だ。仮にできたとして、それはもう人として破綻してしまっているはずだ。
怒りに身を任せ続けたなら社会的、肉体的な破滅を招くだろうし、悲しみに暮れ続ければ心を病んでいずれは死んでしまうのが普通だとも思う。
「けどさネフィ、それがこのゲームの成り立ちに何の関係があるっていうんだい?」
『名前略すなよ、響きがくぁわいくなるだろが』
「……ネフィちゃん?」
『おォん? 死体蹴りされてえのかてめーさてはドマゾだな?』
「黙って蹴られるほどヤワじゃないんでね。なます斬りにされる覚悟があるならどうぞ。リムちゃん」
少しの唸り声と沈黙の後、マイク越しから遠巻きに何か叩く音が聴こえた。
サンドバックだろうか? 確か、部屋に置いていたと以前話に聞いた気がするので、きっとそれに違いない。
私のフルネームを叫びながらというのを除けば、ストレス解消かつ運動にはもってこいの趣味だと思う。健康志向は良いことだ。
しばらくの間、遠くから響く鈍い音をBGMにしながらこれ幸いと『パーティ』の方へもチャットを返したりして待つことすること十数分。
やや息の上がった『ネフィリム』は、通話へと戻ってきた。
『……ハァ。で、脱線したけどよ、執念な。
普通ならどこかで終わるさ、でもなまじ強度があるもんだから、ここまでの大事になってるって話。
まー、この大事に気付いてるっつーか、知ってるやつってのは、イコール関係者なわけだがね』
「ふうん、そんなもんかね?」
『そんなもんさ。ちなみに、当事者サンは知らねーみてーだがよ』
「……えっ? 知らないの?」
『えっ……? いや、オマエはてっきり「知らねーのを知ってる」もんかと……あー。ワリィな、口滑らせちまって』
口を滑らす。
その言葉の意味するところが、知っていても良いことではないことか、はたまた知ったところでどうにもできない話なのか……予測はすれども判断はするべきではないことだろうけれど、いずれにしても気持ちのいい話ではないのは確かだった。
「ま、その辺りは聞かなかったことにするよ。医者としてはまぁ、聞き逃すべき話じゃない気もするけどね」
『そうしてくれると助かるわ。そもそもこのゲームに関してはウチも、ボスエネミーを操作するプレイヤーなんて特殊な立場ではあるけどよ、単なるプレイヤーの一人だしな。そこらへんゲームの最中に考えることでもあんめーし』
「……そうだね。キミのそういう、割り切り良いところは素直に好きだよ、うん」
『……ハッ倒すぞテメエ』
「ハハ、それは怖いな。返事が来るまでの僅かな空白が照れ隠しであることを祈るしかないね」
そう告げて話題を変えようとしたところで、ふと思い立ってふざけ気味に食いついてみることにする。
「しかし何の因果か、一介の超有名プレイヤーキラーさんがボスキャラのプレイングとかいう鬼畜な役回りになってるわけですが……その辺り当事者としての心境は?」
そう訊ねてみると、
『そりゃおめー……』
考えるところがあったのか、少しの間が開いてから、しかし威勢よく答えた。
『このクソみたいな先行きならないゲームバランスでよ、あまつさえオレ様を組み込もうだなんて考えたやつ、クソだな!』
期待以上の返事が来たので、私としては満足できる。
「たしかに。その台詞はただでさえクソバランスの中、そのうえキミみたいな鬼畜外道の廃人ゲーマーが操作する敵を相手にしなきゃならないプレイヤーにこそ、似合う気もするね」
『廃人ってのは訂正しろよな。ま、概ねその通りだが!』
他愛ないやり取りを繕っていく。
先ほどまでのボタンの掛け違いのような、するべきじゃあない会話は、そうしてはぐらかす他なかった。
はぐらかせるようなオトナでよかったとすら思うのがゲームに関することというのは、皮肉だろうか。
目を向ける画面上では相変わらず若人らしいやり取りが垣間見えていて、こちらが会話をしている間にも、なにやら話が進展している様子だった。
「……しかしこういうのに混ざるには、ちょっとばかし生まれる時代が早かったかなって思っちゃったりしてさ、悔しかったりするもんだね」
テキストに打ち出さずとも進んでいるであろう通話に寄る情報交換の結果が、画面上の変化となってリアルタイムに変わりゆく。何らかのやり取りがあったのだろうか、みればちょうど、【アラン】のビジュアルが大きく風変わりなものになる。
おそらくは攻略に合わせてビルドそのものを調整した、セット編成に切り替えたのだろう。
『おン? ワリイ、聞き取れなかった。何か言ったか?』
「ああ、いや、こっちの話で申し訳ない。
いまちょうど、パーティ組んでるメンバーとキミ対策で作戦会議中なんだけどさ。まだ【ムラマサ】は基本的に戦線には加わらない立ち位置でやってるからなのか、サブタンク兼アタッカーの一人が、新しいビルド構成を試してみる、って話になったみたいでね。プレイヤーも軒並み十代……十代? みたいだし。この話にどう混ざったものかなと考えあぐねてたのさ」
『ふうん。……なんか面白そーだな、そのパーティ。
クラン結成のシステムもあった気がすっけど、それはしてないのか?』
「そこは、今後の彼らの『ロール』次第というか、そもそものこのゲームが滞りなく続くならば、もしくは他のゲームででも、出会うことがあるなら……ってところかな?
ま、機会があれば呼んでいいか聞いてみるからさ。もしその時は、一緒にどうかな。ネフィ」
『ハッ。どうなるかはてめーら次第だがな。それもまあ、楽しみだなぁ……
って、だからてめ、名前。なーまーえーッ!』
通話先で憤慨する【ネフィリム】をよそに、以前リタが話していた日本のコントのお約束、『テンドン』というやつはこんな感じでいいんだろうか? と思いをはせて、エミルはわずかに苦笑する。
そして茶化しながらも、ノリに乗った『ロールプレイ』のユーザーたちに対して、どう返したものかと、【ムラマサ】として思案とタイピングを進めていく。
彼らが塔の頂に辿り着く前までは、せめていつもの調子で居たかったのだとは、お互い口にすることはなかった。
* * *
『はー。あいつはまだゲームなんかしてんのか。育て方間違えたかねえ……』
『まあまあ、そう言わないであげなさいよ。事が事なんだから、あの子だって思うところはあるんじゃない?』
『何か目的あっての……人との関わり合いにおける経験だとか、そういったものがあればまだいいんだが。どうだかな』
「どうだろうねー。ほら、今のしょーちゃんってば目的意識とか限りなく薄いから、その場の雰囲気で流されるままなだけなんじゃないかな。ゲーム始めたのも学校の友達に誘われてって流れなくらいだし。
それに誘った友人さんの誘うに至った事情なんて、当人は多分ほんの少しも知らないだろうし」
『そうなの? それはそれで、誰かさんに似ておひとよしな気もするけれど』
『誰だよ』
『さあ? 誰でしょうねー』
「はいはい。自分の両親の夫婦漫才とイチャつきほど『うわぁ』ってなるものないからね。そういうのは通話終わった後でしてねー」
『あら、しずちゃん冷たい』
『しず。母さんを悲しませるようなことを言うんじゃない』
「そういうとこだってのー。
……弟抜きの家族会話ほど疲れるものもないなぁ。アイツ地味にこの手のツッコミ巧いんだもんな……自分には疎い癖に」
二十年来の家族ともなればもはや夫婦漫才にも慣れたもの、とは言い難い。面倒そうにあしらうばかりの私とは違って、昌司の両親に対する切り込みは時に、お笑い芸人じみた切れ味を持っていた。雑味はあれどもその道に将来性を感じさせるほどだけれど、本人に自覚がないのは惜しいなあ、そんな風に思ってしまうのだ。
弟の意外な特技に考えを向けていると、どうやら発言に思い当たってか通話の向こうの母が邪推を重ねてきた。
『なになに? 息子のコイバナで盛り上がっちゃう系の流れなの?』
『……気にはなるがな。盛り上がるならもう少し時間のあるときにしておけ。しずだってさすがに眠いだろうしな』
「私はまぁ、別に構わないんだけど」
『じゃあコイバナ』
「やっぱり構いますおやすみなさい」
『待て待て、本題は何も終わっちゃいない』
『ミツルさんはちょっと黙ってて』
『ハイ』と二つ返事で縮こまる姿が想像に難くない。
父に威厳は微塵も感じられないというのも、面白いもんだなぁと苦笑が零れるのをかみ殺して続けた。
「こんなひとが教壇に立つと途端にシャキッと見えるんだから不思議だなぁ」
『どうせお父さんのことだから教えてるときは猫被って格好つけてて、若い娘にちやほやされて内心鼻の下伸ばしっぱなしだけど「嫁一筋」みたいな硬派気取って一層ちやほやされてそれを悦に入って内心でデレデレしてるんでしょうよ』
「何その妙に生々しい答え」と返した背後で、狼狽えるような、憤りつつも言葉が出ないような、きゅうともぐうともつかないうめき声をマイクは確かに拾っていたのを私は聞き逃さなかったぞ。
それに一切言及せず話を進める人しかこの場にはいないのだけれど、昌司なら「父さんにタオルを投げるセコンドはいねえからもうやめたげて!」とか、助け船を出すようでいて地味に味方しをしない方向で切り込んでいくに違いない。情けない父の姿を想像するだけでも愉快で、それがないことへの寂しさがあって。
何を言うべきかを迷っているうちに、今度は母の方から話を続ける。
『女にだらしないお父さんのことより、今はしょーちゃんの話でしょ。こんなこと言うのもどうかとは思うけど……あの子、ホントに大丈夫なの?』
「あー、うん、そんな話だっけね。まあ、見てる感じ、いまのところは大丈夫だと思う。多分?」
『ゲームばかり、というのは事情があるようだし良しとするにしても……いえ、これまでに聞いた理由を踏まえて、ゲームにどっぷりだからこそ不安なのよ』と母が言い、『アイツは小さい時から、優柔不断だったな。ここまでで聞いてきた話を考えるに、事の終わりには昌司は間違いなく大きく躓くぞ』
「それなんだよねぇ。当のハルトマンさん自身がそれを昌司には伝えたくないみたいなんで、それとなく手をまわしてみては来たんだけど」
『知人の教育実習生に言い含めてハッパかけさせて見たり、昌司を気に掛けている同級生に声を掛けてみたり、とかか。
……その結果がどうでるにせよ、先の話だな』
『ハルトマンさん、意識不明で搬送ねぇ……』
『ここからは一気に事が運ぶと思うぞ』
「わーかってるって。だからこうして、できるだけ思いつく限りに手助けを求めてるんだから」
一個人がどうこうできる話じゃないのは、だれがみても明らかな話だ。
半ばいい加減な返事をしながら、自身の端末に目を落とす。
画面上には、グループチャットが表示されていた。
付け加えるならば『エギアダルド』のアプリのもので、という文言が入る。そしてアプリ内のお知らせの通知の欄に、一際大きく表示が出ている。
「『エギアダルド運営、不正疑惑?』
『公式と協賛して作ったアマチュアを装うプロの犯行か』
『クリエイター集団を金で買収か?』に『主催、自身の境遇を盾に強引な運営。業界の闇か』
……よくもまぁこんな文言思いつくねー。ちょっとゴシップ誌みたいな安っぽさはあるけど」
『父さんの教え子にゲーム系の情報誌を扱っているところに勤めているやつがいてな。話せるだけの事情を話して頼み込んだら、書き込みをしてくれて、「そこまで覚悟しているるんなら、こちらも出来る限り協力しますよ」と言ってくれたよ。
上役も渋ったそうだが、どうにか説得できたみたいで……明日にはネット掲載の記事にもより具体的なモノを取り上げてくれる、だと』
『……私の方はそこまで芳しくないのは申し訳ないわね。それなりに成果が出たら連絡するわ』
母の方の交渉はなかなか難しいようで、「大人の都合」を理由をつけて動かすには説得に時間もかかりそうだ問うことが窺えた。
「母さんの方は難しい話だって最初からわかってるから、できる範囲でかまわないよー。相手さんだって無理して次の選挙なんかに響いちゃったら事だしね」
『そう言ってくれるとありがたいわ。それだけでお母さん頑張れちゃう』
「『いや頑張らんでいいからね政治家動かす専業主婦とか怖えよ! アニメじゃないんだよお!』とか。昌司なら突っこんでくれそうだなぁ」
『父さんはまだしも、母さんの伝手はホントに怖いからな……ともかく、手伝える限りのことはするから、いつでも連絡をくれ』
「二人ともいつになく生き生きとしてるなぁ……そんなに大事だっけ?」
利益損得に関係なく協力してくれる人は世界にいくらでもいると信じたい気持ちよりも、損得と利益……自分の為になるかどうかしか考えない人間の方が圧倒的に多い。そういう考えの方がしっくりくる。そんな程度には、「大人」になったんだろう。汚い大人に。
惜しみなく協力してくれる二人に疑念を感じてしまうのは、あるいは大人になったばかりの私がまだ「若い」からに違いない。
『子供のためにって考えるのが大人の役目だからな』『手の届く範囲なら、助けるのが当然でしょう?』
両親揃ってまるで善意の模範解答のような返事をした後にはもうその話は終わりで、そこからは何の変哲もない息子と娘のありふれた現状報告的ないくつかの言葉を交わしただけだった。それも程なくして通話を終える。
「メール。
めーるねえー。少なくとも彼女、そんな殊勝な子には見えなくって……自信のなさを押し殺すような、どこかの誰かさんみたいだったけどにゃー」
通話の終了したデスクトップの画面には、送受信の為に展開したメールフォームなどのブラウザがせせこましく立ち並ぶ。夜も更けてきて、けれども目が冴えるものだから、ハルトマンから送られてきたメールを気まぐれに読み返した。
「話したいなら、はなしゃーええのにのー。頼みたいなら、お願い!ってさ。いえばええのよ言えば。
……姉ちゃんにゃーよ、その回りくどい初々しさが眩しすぎるってーの」
不器用なやっちゃなぁ、ウチの周りの若人どもは。
誰にともなく嫌味のように小さく呟く。少なくとも、自分が若くないとかではないことだけは確かだけれどと言い聞かせ、液晶画面に映るスキャンダラスな記事の文字列を、粗がないか見落とさないよう一つ一つチェックしていく。
ふと目がぼやけて滲む。――――疲れだ、終わったら寝よう。
苦い気持ちがまたこみ上げてきた気がして、けれど、いつもみたいに茶化してしまう気にはならなかった。
* * *
「……眠れない」
土曜を打ち合わせで使い込んで、翌日の日曜に決戦。
『エギアダルド』をプレイして初めての大きな挑戦を前にしておきながら、思わずベッドの中で遠足前日の子どもみたいなことを呟いてしまっていた。
ログアウトしてからの時間はどれほど立っただろう。深夜を回ったあたりだろうか。皆は今、何をしてるのだろう。
部屋で何かしているか、もしくは寝ているか。考えたところで一人であることに変わりはない。隣室の姉の様子を窺おうと耳を澄ましたところで、外の微かな車通りの音くらいしか聞こえないくらいには静かなものだった。
「ああもう、余計に眠気が……ぼやいたところで誰か返事をくれるわけでもないけどさ」とやり場のない気持ちが小さく口を突く。
あれこれ考え込んでしまうのも良くないこと、それとわかっていたところで。頭の片隅で似たような考え事が何度も何度もぐるぐると目まぐるしく飛び回っていて、どうしたって落ち着かなかった。
無理やり瞼を閉じたところで、こんなにもやきもきしているのはなぜだろう、と考えてしまって、そこからまた眠れない。
明日のゲームに不安があるからだろうか。違う。ゲームは楽しんでいる。
学校や将来に不安があるとか。違わないかもしれない。でも、今更そんな漠然とした不安に直面して悩む場面ってわけでもない。
何か、ぬぐい切れない不安のようなものだけが漠然と心を占めていて、それがなぜなのか分からない。堂々巡りだった。
ひたすらに不安定で、インクの染みのようにじわりと少しだけ、少しずつ染みを広げていく感覚だけが胸中を占める。
寝返りを打つと無理やり目を瞑った。
眠ろうとすればするほど自分の、誰かの、いろんな人の言葉が反芻されていく。
「眠れないんだ。眠りたいのに」
口にしたところで誰からも返事はなくて、それでも頭の中では誰かが返事をしたような気がして。
まだ遠かったはずの眠気に攫われて意識を手放すまでに時間は掛からなかった。
100話で年明け前までに区切りに出来たらいいなア と思いつつ考えあぐねてます。




