91話
* * * ◆ * * *
――ダンジョン攻略一日目――
――【黒水晶の煉獄塔】、それは迷宮と呼ばれる攻略すべき障害。
壁面から天井、床までもが黒一色で、磨き上げられた大理石のような光沢を放つ内部は、幾何学的に継ぎ目があり、まるで子供がブロックを組み合わせたかのような無秩序な様相をしている。
吹き抜ける風は湿り気を帯び、僅かに瘴気毒気を孕んでそこは、まるですべての生命への滞在を拒むが如く体を蝕む。
――その中を、命を顧みず駆け抜ける者達がいた。
ブロック状の壁面が質量を無視して増殖し、行く手を遮る。
――それと共にどこからともなく異形の魔獣がいくつも現れて、彼らを見咎めるや否や襲い掛かる。
「『――ちッ、またトラップか、解除は俺が何とかする!
戦線崩すなよドラウ、お前が抜かれたら【アイオーン】が狙われる、そしたら全員オダブツだ!』」
「『言われなくてもやったらァ!
つーかおいこらニンジャモドキ、テメェはちったあ、トラップ、何とかしやがれよッ、斥候職だろ?!』」
「〔忍者といえども得意不得意があってな?
なに、拙者は元は無頼者ゆえ、人を殺すことにしか才能を持ち合わせておらん。故に、努めて自らの身で励むとよい。なに。これも経験よ、蜥蜴の〕」
「『くあーーーー、ひとりだけテキストチャットのはずなのにすげえむかつく表情してんのが容易に想像できて、腹立つ!』」
やる気のない返事とは裏腹に、忍者は盾持ちの竜人族が敵を一手に引き付ける間にも、一つ、二つと確実に絶え間ない連撃の腕を披露し処理していく。
それでも一向に減らない敵の数に、焦りを感じながらも
「〔ほれ、後方から追っていた向こうの三匹がこちらに気付いたぞ。壁役なのだから引っ張ってくれんと耐久度の低い我々が困るのだが?〕」
「『――ああもう、MP 運用きっつ~。【アラン】っち、このダンジョン、最初なのにハードモードすぎない!? 製作者の悪★意を感じるんですけど!』」
「『しかも文句を言おうにも、この世界の神様が消えかけてるとか、設定の穴がありすぎんだろ……ッこなくそ!』」
「『これなら、この間のふざけた鬼ごっこの方がまだ楽だ……――よし、隔壁閉鎖解除、全員走れぇッ!』」
四人は奥へと進む。
迷宮の先……最奥に待ち構える、敵を、打ち取るために。
……一日前に起きた出来事に、決着をつけるために。
* * * ◇ * * *
――ダンジョン攻略1日前、放課後――
「――だから、盾職はどのゲームでもヘイト管理が大事になってくるのはもちろんだけど、攻撃力が無さすぎるとヘイト管理がスキルに頼り切りになっていざって時に維持できなくなる恐れがある。それがオンラインゲームの最前線では存外馬鹿にできなくて――」
「となると、ステータスの割り振りって結構重要なんだね。その辺りよくわかってなかったから、振り直しできるシステムでよかったよー
――で。どうする? 今日のログイン」
「つぅか、あれよな。先輩ってこう、ゲームとかあんまり積極的じゃない感じだったから意外だわ」
私立学校なんてものに通っていると、帰宅の道が最寄り駅まで同じというクラスメイトは意外にも少ない。
中には数時間かけて実家から電車で通う生徒もいるらしいが、そうなると仮に同じ道を通るとしても今度は同じだったとしても時間が合わない、なんてことにもなる。そうなると殊更、『通学路を共にする』なんてことが無くなるのだが今日は違った。
先輩は幼馴染というだけはあって帰路も同じで家も近い。
当然最寄り駅も同じで、「今日は時間もあるしゲームの話しながら帰ろうよ!」と誘いを受けて……今は駅前のコンビニの前で薬みたいな味のする炭酸飲料を飲みながら雑談に興じていた。
連休も明けて、暖かい、から暑い、に変わりつつある陽気の中で、意外だなと感じた気持ちを率直に伝え、冷えた飲料を一口だけ喉に流し込む。
「そうかな? オンラインのゲームって、ほら。わりと現実にも通じるものあるじゃない?
コミュニケーション取ったりとか大変だし、自分だけのことを考えてても戦闘なんかはうまくいかないし……何かをするために勉強したりだとか、そのための情報を必死で集めたりだとか」
「まあ、確かに……そう、なのかな」
「そういうのって、どこに行って何をしたところで中身は違うけどやってることはおんなじなんだよ。会話で人に気遣えなかったら一人になっちゃうし、一人だったらできないことは現実でもたくさんある。時間を掛けたらできるんだろうけどね」
「ゲームに時間を掛け過ぎても良くない……その辺は弁えて、折り合い着けて付き合うのが大事なんだろな」
「そうそうそーゆーこと。現実だってそうじゃない。何かに没頭するなら、それに突き抜けるか、諦めるか、はたまた趣味の範疇と割り切るか。どれをとっても、中途半端で適当にやってたらダメ。
――それはゲームだっておんなじ。やる以上は、しっかりしないとね」
――だから詳しいしょーちゃんに聞くんだよ!
空け切ったミルクティーのパックジュースをゴミ箱に入れると、先輩は指を交差し絡めて大きく真上に伸びをする。
「没頭か……あのさ、一つ聞きたいんだけど」
「んー?」
思うところを自信満々に言い切った先輩に、一つ気に掛ることを訊ねてみた。
「もしも、もしもだよ。大事なものを、自分がこれと決めたことをできなかったとしたら……どうしても、力が及ばなくて、諦めるしかないとしたら。
そしたら、その先はどうしたらいい?」
「また、そういうことを言うー。どうしてそうなるかなぁ、というか何度目?
しょーちゃんってば本当にネガティブだなぁ」
「ごめん。……でも、しょうがないだろ、マイナス思考は性分なんだから。
それにこれは、別にネガティブでもなんでもないよ、紫歩先輩ならどうするんだろなって思っただけで――」
「――別の方法を考える。どうにかして、失敗したものを取り返す」
最後まで言い切る前に、喰ってかかるような勢いで淡々と先輩が述べた。
言葉はそれにとどまらず、なおも続く。
「一回の失敗が怖いなら、百回の失敗を経験して怖さよりも前を見る。目的があるなら、それを実現するまで諦めない。何度も何度も繰り返してトライエラーだよ失敗が怖い人はそれがなかなか出来ないけど、それは……そうだなぁ、勝率十割の履歴に傷がつくのが怖いだけだよ。どんなにすごい人でも、失敗しない人なんてそうそういないんだから、やるだけ。それだけ。それが出来そうにないなら、すっぱり諦めて別の目指すもの探せばいいだけだし」
「んな無茶苦茶な……」
「無茶苦茶でもいいんじゃない? 例えばゲームだけど、しょーちゃんはさ、『エギアダルド』の【アラン】が、あの状態で完成だって言える?」
「それは――」
――言われて、言葉に詰まる。先日の『設定』のことだけでも……能力とは関係のないものとはいえ、穴だらけだと自覚したばかりだった。
ステータス面でも戦闘をこなしてからはいろいろと模索している。
三つしかないセット枠は、あれが足りない、これはどうだろうと模索して作り上げたスキルエディットで既に埋まっているくらいだ。
それでも足りない。もっといい方法が、もっといい組み合わせがと四六時中考えているのだから、先輩の言う『完成』とは程遠いものだと思い知らされる。
「自覚があるならよろしーのです。
しょーちゃんも、それが分かってるってことはさ。あとは踏み出すだけなんだと思うよ。
……何に悩んでいるかは知らないけど、答えが見つからなくて苦しんでいるのはなんとなくわかる。
だからさ、何も察してあげないし、何もしてあげられないよ。答えたところで迷いを強くするだけだと思う」
そこで区切ってから、先輩は自分の端末を取り出して画面に目を向ける。
画面に表示されているのは【エギアダルド】のアプリケーションで、そこには紫歩のキャラクターである【コモ・ドラウ】の全身が表示されている。
「【ドラウ】はさ、絶対後悔しないんだ。
口はいつも悪くて、相手がいれば文句ばかり言う。喧嘩っ早いし、考えより先に体が動くタイプって言ったらいいのかな?
最初はただの『キャラクター』だったけど、最近はそんな風に段々とイメージがわいてきたんだよ。
――だって、どんな姿でも私は私だもん。どうしたいか、何をしたいか。向き合うのは私だもん。
だったら、私は【ドラウ】らしくする。仲間にだってさ、声を掛けてやる。
――『おらクソ犬、てめェ、いつまでもくだらねェ失敗一つでうじうじしてんじゃねえよ、ブン殴るぞ!』ってね?」
「……先輩らしいわ」
「でしょー?
ゲームだからね。
魔法とか冒険とかさ、現実じゃできないことも、できるんだよ。【エギアダルド】は純粋なファンタジーって感じじゃないかもだけど……それでもさ。楽しまなかったら、嘘じゃない?」
何度も何度も、同じような悩みを繰り返す。そのたびにこうして友達が心配して、励まし合って、時には優しく、時にはぶっきらぼうに支えてくれる。
――現実でも、ゲームでも。それは変わらないんだと。先輩の言わんとすることがひしひしと伝わってきて、その眩しさに焦がれ、今更ながらすこし恥ずかしくなってきたのか先輩が話題を逸らす。
「とっ、とにかくね。ゲームなら失敗したら何度も挑戦するでしょ? リアルも同じってことだから!」
「……まあ、楽しむっても【ドラウ】は魔法使えないけどな、騎士だし、脳筋だし」
「あ、ひどい。割と気にしてるんですけど?!」
「そもそもなんで女性キャラじゃなかったのさ。 てっきりゲーム初心者な先輩のことだからそうするもんかと思ってたんだけど」
「え? あー、それは……その」
暗い話もなんだからと話題を逸らしたところで、逆に先輩が言葉に詰まってしまって、どう話を続けた者かと困ってしまう。
手持ち無沙汰に最後の一口を飲み干した缶をゴミ箱に捨てると、先輩は一大決心をしたかのように赤面しながら小さく言った。
「ひめ……」
「?」
「女性プレイヤーだと、姫Chanって。その……祭り上げられるんでしょ?
その、女の子としてちやほやされるの、慣れてないから……」
「――ブッフォ」
――我慢が出来なかった。
最後の一口だから、と口にいっぱいいっぱいで含んでいたのが仇となって……きれいな飴色の液体の輝きが口元から噴き出し宙へ舞う。
対面してガードレールに腰を預けていた先輩に当たらぬよう咄嗟に上を向いたのだが……遅かったらしい。むしろ被害が拡大した。
降り注ぐ飲み物の雨が先輩と、それから自分自身にも降り注いで……結果として、二人とも盛大に頭から浴びてしまう。
「せんぱ、姫ちゃんて、ちやほやとか、ないわー、あはははは――」
「……しょーちゃん?」
「いや、姫ちゃんて。そんなキャラじゃないっしょ先輩。それに女性プレイヤーだからちやほやされるってのは確かにあるけどさ、そればっかりなわけじゃないし――」
「ねえ。聞いていい?」
堪え切れなかった笑いながらのツッコミは、殺し屋よりも鋭いかもしれないドスの利いたその声が耳に届いたところで、我に返って慌てて止める。
「ご、ごめん、先輩からかい過ぎた――」
「いいから。それよりこれ、みて。……なに、これ」
「これって……アプリが何だって――」
怒っているのかと思ったが、その声は怒気ではなく困惑を含めたものだと気づく。言われるがままに目線の先を追うと、先ほどドラウを見るために広げていた【エギアダルド】のアプリがあり……
その画面表示がおかしかった。
文字はところどころ文字化けして、データが乱れていることに気付く。
「……なんだよ、これ」
――やあ、ぷれいやーしょくん。
――しょくんらがあそぶ せかいのかみさまは
――もはや わたしたちにあらがうちからすら
――なくしつつあrrrrrrrるようだね。
――みなさんがあまりに
――のんきにやっているので、この遊戯の
――けんげんのいちぶをもらってしまったよ?
――ああ。
――だめだこいつ、はやくなんとかしないとなのだよ。
――くえすとを こなせよ。
――わたしを、たおしてみなよ。
――出来るものなら、ヤッテミロ。
『システムメッセージ。
警告。システムに深刻な異常が発生しました。
連戦クエスト追加:黒水晶の煉獄塔《波音》攻略作戦
――このクエストは、プレイヤー全体の攻略貢献度に応じてシナリオが変化します
警告。このクエストの失敗はエギアダルドの消失を意味します。エトランジェはすみやかにすみやかにすみすみすみいすsssssssssssssss』
……プレイヤーのシナリオ行動履歴を表示するテロップに、狂ったような文言で宣戦布告が流れる。
なんのバグかと慌てて操作をすると、お知らせの欄にも『重要!』と括られる追加の記載があった。
『オーナー通知:現在表示されているアプリのバグ表記は、アプリ上のエラーではなく、正規のイベント演出です。以後もこのような演出がありますが、こちらからのエラー通知が無い限りはシナリオ上の仕様となります。安心してお楽しみ下さい』
という通知が書かれていることに気付く。
「……どうなってんだよ」
……そのお知らせの文言が、これが正常な『演出』であることだということが。
昌司にはなおのこと尋常ではない事態を感じさせた。




