90話
「――キミはあれだね、手遅れになっても諦めない手合いだ」
一週間、一か月、一年。
日数にすると七日間と、約三十日間と、三百と六十五日。
「キミの心配している少女……生徒はね、特別に何か事情があってここ数日学校に顔を出してはいない、というわけではないみたいだよ」
それらが一日の積み重ねであることは変わらなくて、それでも一日のすべてが全く同じということはまずあり得ない。
……これは長いと思うだろうか。それとも短い?
「どうも、検査入院なんだってさ。来週には出てこれるらしいけどこればっかりは保証はできない。なんせ人の体の問題だからねー」
保健室。高泉以外、そこには誰もいなかった。
窓は開け放たれていて、まだ初夏の兆しよりも春の涼やかな風が頬を撫でる陽気。
吹き抜ける風に高泉は前髪を揺らしながら、窓際のベッドに腰を掛けながら話していく。
「なんの病気か知ってるのかって?
……そこまでは知らないけれど、体育の授業でほとんど見学するくらいには、元々あまり体が強くないって話くらいは知って……あー、昌司クン。
キミのその顔は「そんなの知らない」って顔だろう? だめだぜ、好きな子の情報くらい、自前の両目でしっかり観察しなきゃ――ああやめてそんな人を殺せそうな目で睨まないでよ里見クン、ヤキモチかい?」
その内容、一言一言に、昌司の苛立ちは募るばかりで。
「なにせキミは、万全の状態から全力を尽くしてそのうえで手遅れになっても、諦めない手合いだからね。」
……それでも、その苛立ちをどうしたら拭えるのか。どうにかその答えを探そうとして、けれど見つからずに数日が立ってしまって。
「そういう、諦めの悪いのは……嫌いだからかな。意地悪をしたくなったんだ。だから、その休んでいる生徒に関して、悪いけれどそれほど詳しいことは知らない。
担任の先生なら知ってるだろうけど、それを教えてくれはしないと思うよ」
――人は時間の中に、意味を見出して長さを感じる。
たとえば楽しいことはあっという間で、退屈だと長く感じたりするといった風に。
……あっという間に過ぎゆく時間の中でもどかしく感じ、焦るほど時間もまた、「早い」感覚の中で刻一刻と過ぎていく。
「……それと、これは個人的に昌司クンに聞きたいことなんだけどさ。
“会って一か月ばかりの女の子に、どうしてそんなに入れ込むんだい?”」
「どうしてかって、それが分かれば悩まない」と、普段のクラスの中で、自分から関わろうとしない昌司は、机に突っ伏したまま考える。
数日前の出来事の中で交わした、高泉の言葉を反芻しながら考える。
「今日からリリースのアプリゲーのアーケード版、駅前の店に入るらしいぜ!」
「まじか、あれのリリースって今日だっけ!?」
「今日だよ今日。終礼終わったらさ、行かね?」
「当たり前だろ? ぜってーいく。楽しみだわー」
――でも守谷君は、ゲームの話なら、『おれ』以外とした方が楽しいんじゃないか?
――ばかいえ。ハルトマンの方が、システムから世界観にだって興味持つだろ?
――そりゃあ、そうだけど。
――だったらいいじゃん。
ただ娯楽として楽しむだけじゃあモノ足りねー、ゲームそのものを感じたいんだよ。だからそういう視点で見てくれる奴の方が、いい。俺は、そういうやつと話したいんだよ。
――クラスメイトの会話に、初めてゲームのことでハルトマンと会話をした時のやり取りが重なって、その時のことを思い出す。
思い返せばその時のハルトマンは、どこか困ったような、不安そうな……クラスメイトとしての付き合いもまだ一か月ほどなのに、それが遠い昔の様にすら思えるほどで。
ほんのわずかに不安そうな、自信のないかのような仕草をしていた。
「……」
机に伏して、昌司は何も言わずに考える。
それは傍から見れば寝ているようにしか見えなくて……それはただ単に考えることが多すぎるから、他のことをシャットアウトしたいだけで――
「…………はあ」
――終礼が始まり、やがて終わる。変える支度もせず伏せる。なおも考える。
“――会って一か月ばかりの女の子に、どうしてそんなに入れ込むんだい?”
ハルトマンのことが気になる。それはなぜ? 答えが出ない……それとも、今の関係が楽しくて、満足しているから安易に答えを出しくないだけ?
――どうして答えを出したくない?
……どうしてって。その安直な答えを、青春みたいな色をした感情を、認めたくなくて。
だから保健室で高泉に聞かれた時は「心配なんだよ、アイツ自身も、ゲームの進捗が滞るのも。奴のゲームの、ファンだからな」
捲し立てるようにそう答えた、けれどそれは事実の一部で……それが全部ではないことも感じていて。
「――やっぱり、そうなのか?」
「……なにがやっぱりなの?」
「わああああああああ!?」
「うひあああああああああ?!」
――突然の声に昌司は驚き、驚いた昌司に紫歩もまた驚いた。
……幸いにも誰もいなかったのは救いだろうか。
「ちょっと、しょーちゃん。いきなり声上げたら驚くじゃない」
「いきなり生暖かい息が当たるほど耳元で囁かれたら、だれだって驚くっての!」
「いや、今日金曜だからさー。一緒に帰ろうかなと思って声を掛けたんだけど……」
「金曜……そっか、今日は《エギアダルド》の」
言われて目を向ける黒板の横に掛けられたカレンダーの曜日は金曜日を指していて、先日の一件から週末の《エルダーギア》、そのテストプレイの実地日まで、何もできないまま……何も行動をしないまま時間だけが過ぎてしまったことに、どうしてだろうか僅かに胸が痛むのを感じた。
「……今日は帰るか。
しず姉は金曜カレーにうるさいから、仕込みもしなきゃだし買い物しなきゃならないし」
「うわあ……しず先輩らしいなぁ」
高校生という人生における学生生活が、ゲームだけがすべてじゃあない。ゲームも大事で、現実も大事で。
「――大事だから、かな」
「あ、ちょ、待ってよしょーちゃん!」
――大切なものに気付くのは意外と簡単で、それを認めることは難しい。
認めると恥ずかしい感情は一旦『大事』と括ってから、それを心の底にしまい込んで昌司は教室を後にした。




