84話
遅れてしまい申し訳ありません。
なるべく時間通りに余裕を持たせて予約投稿したいのですが、用事があると中々難しいものです……
「――しょーちゃん!」
直進して突き当りの階段を下る直前、聞き慣れた声が廊下に響いたことで足を止める。
「……紫歩、先輩?」
「ふう、やっと追いついた」
「こんな時に何の用です? 今はアイツ追うので忙しいんで――」
「しょーーちゃんってば、意外とうっかりしてるって言われない?」
「はぁ? んなワケあるか」
「あるんだなあ。それが」
このわずかなやり取りの合間にどれだけの距離の差をつけられてしまうものかと――性格を考えると、むしろ追いつかれないようにしながらこちらを視認できる距離を保って様子を窺っていそうなものだけれど、今のところは大丈夫そうだ――焦っていたものの、どこか意味ありげに嘯く先輩の言葉に、逸る気持ちを堪えて手短に聞く。
「俺のどこがうっかりしてるってんだよ、先輩」
「一つのことに集中し過ぎて他に気が回って無いってとこ」
――先生は「キミたちには強化合宿してもらおう」っていったでしょ?
先輩の言葉に、確かにそう言ってはいたなとは思う。だがそれがこうして追いかけてくることと何の関係があるというのか。
そのことを訊ねようとしたところで、先に先輩が行動を起こした。
「――怒ってるのよね、私。しっごく当然のことだよね? あれだけ言われて怒るのって」
「あー……ええと、一応聞きたいんスけど、なにに対して怒ってるんですか?」
――これはヤバいやつだ。
先輩の怒りのスイッチがどこで入ったのかわからないので、逆鱗に触れないようにするためにも恐る恐る「理由」を訊ねると、淡々と……いつも以上に易しげな声と表情で――俺の肩に手を置いたと同時、血のにじむ勢いで掴む力に感触と痛みが走るのを必死に耐えながら――静かに述べる言葉に、耳を傾ける。
「しっごく怒ってる理由?
簡単だよ。『なんのために』とか『この部活の意味』だとか勝手に押し付けて、あまつさえさっきみたいな動きも出来るしょーちゃんのこと馬鹿にするんですもの。
そりゃあ、先輩の言うことって大事だから聞きますし? それが大事な事、必要なことなら取り入れますし、聞き入れますよ?
……でも、手前ェの考えを押し付けるだけ押し付けて、試験前でイベント前のこのクソ忙しい時期に、いきなり気に入らないから強制的な強化合宿とか、人を下したつもりになってるのが気に食わないの。しっごく。
……わかるよね?」
「すごく……至極《、、》当然、です。ハイ」
そこまで言って、これまでの怒りが嘘だったかのようにあっさり手を離すと何事もなかったかのように手を……握手でもするかのように差し出してきた。唯一握手と違うのは、彼女の手にがっちりと掴まれた最新版の広辞苑であることくらいだろう。
「……先輩、これは?」
「【アラン】の、魔導書。リアルなら広辞苑くらいかなーって。これであの野郎、一緒に仕留めよ?」
「……存外、やる気満々なこって。ゲームを勧めた姉の……いや、後輩としてもうれしいっすよ」
それこそしず姉こそが諸悪の根源なんじゃあねえのか?
……ふとこれまでの面倒事の原因をまるっと想起してみて、一瞬苛立ちを覚えるもそんなことにかまけている暇は今はないと頭を振って切り替える。
――先輩から渡された広辞苑を受け取って、スタンバイ。
屈伸や前屈運動で立ち止まったことでわずかに溜まった乳酸を軽くほぐしながら考える……討伐目指すはくそったれ教師見習い。パーティーメンバーにタンクとDPS。非戦闘だからヒーラーは不要、クエスト報酬に重要な情報。
いいじゃないか、ゲームみたいでわかりやすい。
「――ちなみに聞きますけど、先輩の装備って現実に例えたら何になるんです?」
「言われてみれば、考えなかったなあ。うーん……なんだろ?
鎧も剣も現実にはそうそうないんだし、通学鞄が盾替わりとか」
「……意外と、感情顕わにぶつける言葉で挑発するタイプなのかも」
「……へえ。いい度胸じゃない。あとで覚えといてね?」
「あー……藪蛇だったわ。――先頭はどっちで?」
言葉は紫歩に向けられていて、けれども視線は彼女の方ではなく、廊下の突き当り……壁を手の甲でノックする高泉先生の姿に向けられている。
「一階は終わって、二階もこれで終わり。次は三階」と言わんばかりに、人差し指を上に向けてひらひらと手を揺らしている。
「タンクの私が先発を切り込んで確実にヘイト取るのが定石、なんでしょ。
瞬発的なスピードはしょーちゃんの方があるから、状況に応じて対応で」
「りょーかい。搦め手は?」
「――バンバン使っちゃって」
「――そいつも了解!」
どちらともなく、薪の中で爆ぜた栗の様に唐突に駆け出して――紫歩が数歩分前、昌司はそれに追従する形で――廊下を進む。
半分まで……声の届く距離まで来たところで、高泉もまた動き出せる姿勢を取った。
「ようやく本番みたいだけどすでに第一校舎は終わらせちゃったから……」
手にした蒼いチョークが、壁に一本の線を描く。「壁に到達した」という印のつもりなのだろう。
――第二ラウンドと行こうか?
そういわんばかりに手招いた高泉の姿がどうにも悪役臭くて、余計に腹立たしいと感じながらもゲームの楽しみに重なっていくのを、心の片隅で感じる。
既にあがり切った息も忘れて、昌司は足と目を更に速めた。




