83話
一話で書き終える予定でしたが、長くなったので一旦分割しました。
後半戦(?)は夕方に投稿予定。
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「えい、えい、こなくそ、ていっ……あー、まってまってそうじゃないってばぁぁ~――ぬあー。やられちゃった!」
「ねーちゃんへたくそー」
「かんたんじゃないのー。これじんせいなみないきおいでハードモードなの。しょーちゃんがクリアしてみてよ。けっこうむずしいんだぞーこのステージ」
「んー……そうかなぁ。わかったやってみるー」
「昌司」
「どうしたの、おじーちゃん」
「敵を効率よく倒すなら、いきなり乗り込むよりもまず地形……“まっぷ“とやらの全体をよく見るとええ」
「それができると、どうなるの?」
「そうなぁ……どんな時でも、逆転できる可能性を掴める、かもしれないなぁ」
「……わかった、そうする!」
――地形を自分の力の糧にする。
孫たちが楽しむ目の疲れそうな遊びを見守る老人に、少年は明るく答えた。
* * * ◆ * * *
「――くっそ、早、いん、だよ!」
――廊下は走ってはいけません? 人ひとりの安否を前にそんなもの、知ったこっちゃない。
昌司が部室の外に飛び出した時、既に高泉先生は体育館と校舎を繋ぐ渡し廊下の端まで逃げているのが見えていた。
いくら何でも健脚すぎんだろ、と小さく悪態をついて後を追う。
ハルトマンの情報を餌にされた昌司の心中は穏やかではなく、体力的に見ても紫歩先輩の足元にも及ばない持久力は限界。先ほど少し息を整えたとはいえ、部室に来るまでのお遊び――とでも先輩は思っているかもしれないが、冗談じゃない!――は、かなり堪えるものがあった。せっかく整った呼吸もどこへやら、既に昌司の呼吸は乱れ始めている。
――第一から第四までの校舎は斜面に建てられている立地の問題から、各校舎ごとに一階の高さが違う。第一校舎から順、第一の一階から第二の二階、第二の二階から第三の三階……順に一つずつ、繋がっている階数は上にズレる。階段状になる構成の中で部室は第一校舎の三階。北に面する第二校舎を軸にした時、南南東の第四校舎は最終地点。体育館脇の元・倉庫は第一校舎三階の西に面する。始点がこことなるとしてルール上一階から上に上がるため、次点に通る個所は第一校舎の南側一階階廊下壁面になると仮定して――
……昌司は荒れる心中とは裏腹に、脳裏で|地図を広げて精査《マッピング&ナビゲート》していく。その行為はまさにゲームで言う「マッピング」の延長にあたるもので、地形を把握し道順を精査するという、昌司の短くはないゲーム歴の中で身に着いた特技……あるいは、ある種の癖といえるものだった。
すべてを口にするわけでもなく、「西側」「壁面」「階段」といった具合に中核になる単語をキーワード検索の様に呟くだけの最小限の物。
それでも走ると息がすぐに切れるのもまたこの癖のせい、あるいは本人の体力不足ともいえるが……昌司は「気にしたところで癖なのだからどうしようもない」ものと割り切って、途切れ途切れに口にしながら足を動かす。
「ルート上は、階下――下の階まで一旦降りることが必要になるから、待ち伏せが有効、だけど……」
――高泉京太郎が、そんな安易な手に引っかかるだろうか? ないと思ったほうがいい。かんしゃくを起こした時の姉を相手にすると思え――そう考えた昌司の予想は、遥か斜め上をゆく形で 渡し廊下の扉を開くと同時に的中した。
「――そんなんじゃあ、一生かかっても追いつけないんじゃあないかな?」
すぐ近くにある窓際に腰かけていて――そういうや否や、高泉先生はそこから降りた。
「ちょ、ここ三階――」
伸ばした手は、しかし空を切り、僅かに届かない。
驚きのあまり窓を覗くと……重ねて驚くこととなる。
「嘘だろ、窓枠のフレームを足場にして……!?」
――それはまるで、2Dスクロールのアクションゲームで壁面を使って三角跳びをするかのように、昌司には見えた。その動き《プレイング》を魅せつけられた。
普通ならデジタルの世界でしかできないような動きをしてみせた高泉先生に、思わず見入ってしまう。
……正確に、より詳細にいうならば三角飛びなどではないのもわかる。
すぐ脇に通る排水用のパイプに掴まって壁を蹴り、掴んだ手のグリップをパイプ自体が壊れない絶妙な加減で利かせ、滑り落ちながらもタイミングを見て跳躍し二階の窓枠側面の僅かな梁につま先を掛けてクッションに。
そこからさらに跳躍、もう一度パイプに掴まり、更に滑り降りながらも一階の窓枠のへりに足を掛ける。
僅かに数秒たらずの出来事ではあるが……踏み外せば怪我をするという切迫した状況、僅かな起伏しかないという難度の高さ、「そのため」に整えられたものではない環境。どれをとってもそう簡単に同じ動きができるものではないことは明白だった。とりわけその一連の動作は、あまりに滑らか過ぎるものだった。
――当の高泉先生はといえば、汗ひとつかいていない涼やかな自然体、何事もなかったかのような様子をみせる。窓から身を乗り出した昌司をちらりと見やってから、いかにも「キミにはできないだろう?」といった嘲りの表情を作ると、窓を開けて一階の廊下へと滑り込んでいくところだった。
「……できねえよ、あんな動き、できるかよ。でもさ――」
「ここで折れてなんかやるもんか」と。
突き動かす激情を燃料に、|手持ちの攻略手段《マッピング&ナビゲート》に意識を傾けていく。
「先生は一階だが、あれじゃ待ち伏せなんて到底無理。だったら、背中に張り付いていくっきゃない――くそったれ、なにが強化合宿だ、ここはスパルタじゃねえっての!」
――言うも惜しいとばかりに、脳裏に描く地図の最短を選んで走り出して、即座に動く。向かう先は、高泉先生の飛び降りた窓、そのすぐ脇にあった三階から二階に続く西階段。
――息を吐く。息を吸う、息を吐く。呼吸をカウントになぞらえる。
階段の側面の壁に向けて踏み込んで壁を蹴り、階段の折り返し、斜めに傾斜した手すりもない中壁に側転の要領で手を着いて、体の向きを合わせるためにひねりを加えていく、上腕にかかる負荷に注意しながら勢いの方向を変える、向けるのは来た方向から斜め後ろ。対面の壁を足場に据え、足をひねりの勢いのままに蹴る。蹴り込む勢いを斜め前に調整して――落下の勢いを前転で逃がしてそのまま正面に走り出す。
――折り返し階段のその数、32段、その悉くを身のこなしひとつで全段飛ばし。
「――ったく、あの野郎みたいな動き、素人にできるわけ、ねえっての!」
終礼から時間も経っていたため幸いにもこの階段を往来する生徒や教員はいなかった。だが、部活動や次週の為に校舎に残っている生徒はまだ多い。
――おい、マジかよ……今の見たか?!
――なになに、なにか騒ぎでもあったの?
――パルクール愛好会の奴らがなんかやってるらしいぜ!
……そんな声と共に野次馬の人だかりが出来上がるまでそう時間はかからないだろうことに、まだ昌司は気づいていない。
気づいたところでやることは変わらないとばかりに、間を空けることなく突き当りに向けての全力疾走を再開した。




