81話
またしばらく現実側のパートが続きます。
疲れ果て、息の上がった状態と言えど変化があればはたと気づくもの。部室内に無造作に置かれたマットレスに倒れ伏したところで昌司は改めておかしなことに気がついた。
「いやあ、『しょーちゃん』は相変わらずですねー」
「……なんで、お前がここにいる」
「おやまあ、仮にも先生相手にお前とは失礼な物言いだ。それに私はれっきとした『パルクール愛好会』の名誉部員なんだから、部室にいても何らおかしくなんかないだろう?」
「その名誉部員が碌でもないことしかしてなかったんだから、『お前』呼ばわりなんだが」
「しょーちゃん、仮にとはいえ高塚さんも先生になるんだから酷いこと言わないの! 教育実習で仮にとはいえ、再来週からは先生なんだから!」
「……あー、紫歩先輩の言い方のが、酷くないか?」
『愛好会』であるのに関わらず部室があるのは、姉の代での出来事がきっかけらしい。
元々は使われていない体育倉庫だったそこを当時の部員が改装し、それなりに部室らしく仕立てたのが始まりだとだけは姉から聞いているけれど……詳しいことは知らないし聞きたくもない。
倉庫だけあって、室内は広い。
廃品に出された職員室の教務机が一つに同じく元・校長室の廃棄ソファーが二対。
中央にはどこから持ってきたのかステッカーが大量に貼ってあるローテーブルが置かれていて、体育倉庫らしからぬ空調完備に冷蔵庫と、そこで寝泊まりしても問題ないくらいには至れり尽くせりな仕様となっている。それらが収まっても余剰にスペースが余るくらいなのだから、部室としても破格の物件だとは常々思う。
最初に寝転んだマットレス――と言えば聞こえはいいが、よく体育の授業で使われるような白やら緑色をした固くて重くて言うほど柔らかくなくて片付けが面倒なアレ――は部屋の端の方に放置してあるものだが、埃は被っていない。
……おそらくは日頃から紫歩先輩が掃除を怠っていないからなのだろうな、と昌司は内心でのみ感謝をする。
「それで紫歩クン、挨拶の為に部員を呼んでくるって話だったけど……暑さに伸びた蛙みたいにそこでのびてる彼以外はどこに?」
「あー、ええとですねえ……」
「もしかして窓から突き破って登場とかそんな美味しいシチュエーションとサプライズを用意してくれてるとか?」
「いや、ねぇだろ……」
「教頭のズラを着色火薬でファイヤーして、見咎めて全力で追いかけてくる筋肉だるまの体育教師と追いかけっこして登場とか?」
「いや、んなことしねぇよ?!」
この「高泉京太郎」という人物……姉の二つ上の先輩で、教育実習で母校に来ることになっている、どこかのサスペンスドラマのタイトルみたいな名前の先生(仮)だ。
担当として理科を持つ彼がどのような人物か、端的に言うと……自由奔放。
姉の先輩という時点で昌司としては察してしまうものだが、一癖も蓋癖もあるのだというのは初対面の時……四月早々に「母校も一緒の先輩がいたんだよ~」と姉に紹介された時点ですぐにわかった。
そのときは
それから一月後、まさか自分の学校で会うことになろうとは思ってもみなかったものだから、世の中狭いなってやつをしみじみと感じる。
「ええー。まだズラ爆破してないの? ……え? チョークの粉を車のマフラーに詰めた? それはあぶないなぁ、水とよく混ぜなくちゃだめだよーははははは」
とまあ、口を開けばこの様子である。
とはいえ姉の様に行動が突飛なタイプと言わけではない。
こうしている今も、他の部員はまだかまだかとそわそわしながら待ち望んでいる割には、教務机の丸椅子に背中を預けて椅子の背もたれに悲鳴を上げさせているだけの青年にしか見えないのだ。
ただ、発言がいちいち物騒なだけで、それに乗っかる者がいたときの破壊力だけは侮れない。やんちゃというか、悪戯好きというか……なまじ専門分野が化学の人間は、発想と発言の方向性に際限が無い。
「言うだけならタダとは言うけどさ……あんたの場合はタダじゃすまない、だよ」
「それもよく言われるね。
ま、気にしてたら楽しくないから、煩わしいことはほどほどに気にしないほうが余程建設的だよ!
……そんなことよりほかの部員はまだなのかい?」
悪びれる様子もなく部員を出せと催促する“先生”に、部員二人は苦笑交じりになるしかなかった。いたたまれなくなった先輩は致し方なしといった体で話題を切り出す。
「あの、申し訳ないんですけど高泉先生。他の部員は名義貸しだけの『幽霊部員』なんです。部を存続させるために登録してもらってるだけ。
一応あと二人は所属して活動もしてるんですけど、部活の掛け持ちや実家の手伝いで今日は都合が悪いとのことで……」
「……そ、マ?」
「……?」
「マジで、それマジで言ってる?」
「えーと、はい?」
「あの伝説の、ネジの飛んだ馬鹿も平然とこなしてきた『パルクール愛好会』が部活消滅の危機? 冗談でもなく、正式に動いてる部員が、不在含めても四人?」
「ネジの飛んだ馬鹿も平然とこなしてきたって認識はあったんか……」
「どんなイベントでも最高に盛り上げるもののそこから職員室に呼び出されて説教喰らうまでが定番の『パルクール愛好会』が、声を掛けてもこの二人しか集まらない?!」
「一人はマネジメントに回ってもらっているので、実質三人ですね」
「なってこった……」
話を聞く中で机を両手で叩いて大きく乗り出した高泉先生は、先輩の発言、「実質三人」のところまで聞くと盛大に脱力して机に突っ伏した。酷く派手な音を立てて項垂れたためさすがに心配になって様子を窺っていると、その状態からさらに盛大なため息が零れる。
……やがてゆっくりと顔を上げて、静かに述べた。
「これは、強化合宿しかないね。
――この部活が何のために活動してきたのか、何のためにあるのか。
それを一から叩き込まなきゃダメそうだ」




