80話
平日、長かった休みも明けて誰もが日常に戻る時がやってくる日。
休み明けはつらいとよく言うが、割とあっさりと……過ぎてしまえばまるで何事もなかったかのように戻るものだとも昌司は思う。
事実、クラスメイトは休み前と何ら変わらず、宿題がどうとか休みの間に何々を買った、どこに遊びに行った程度の話題しかない。
夏休みともなれば話は別だが、たかだか数日の連休に対して高校生が抱く感想としてみれば「朝早くに起きて、退屈な授業受けにいかなくて済む!」程度の認識だった。
長期休暇とは名ばかり、やれ「家族サービス」だ「休日出勤」だと理由をつけては多くの日本人に休みを与えない連休が明けてしまえば、待っているのは日常。そう、日常だ。
守谷 昌司を含む世の学生の日常に待ち受けるのは運動会や体育大会、テストやレポートといった類……通例行事のオンパレード。
割と面倒この上ない、面倒ばかりの、ああ、面倒事だな。そんな風に結論を出してしまうような、多くの若者にとっては退屈極まりない行事が待ち受けている。
「――再来週からはテスト期間に入るから。机の中に私物は溜めておかないように」
終礼で行われる教師の容赦情けない連絡事項に、クラス一同から気落ちした声が挙がる。「静かに」と諫める先生自身も、その通過儀礼を身をもって知ってるからだろうか。はたまた、面倒なだけか。
いずれにしてもスレた様子で非常に投げやりに手元で紙束を整えて、その枚数を列ごとの人数で数え始めた。
テスト後に控える『春季大祭』のお知らせ――この学校では「運動会」「体育大会」と縛らずに運動の行事を『春季生徒大祭』、いわゆる学園祭のことを『秋季生徒大祭』と呼ぶのが通例らしく、学園祭の方が大きな行事なので単に『生徒大祭』と言えば学園祭のことを、体育大会のことは『春季大祭』と呼んでいた。
妙に神社めいた呼称なのは、創始者の学校長が神道関係の出だからだということが、生徒手帳につらつらと書き述べてあるとはいえ……わざわざ読むような奇特な生徒はそうそういないため、その内容についてもはっきりとしたことは分からない――その『春季大祭』の日程と雨天の場合の簡単な予定表が書かれた用紙を配り始める。
「いまから行事の連絡に関して用紙を配るから、必ず自分で内容を確認して親御さんに渡すように」と先生が配り始めたその用紙に対して、昌司はどこか嫌な予感がした。
「……うげ、『エルダーギア』のオープン日程と被ってやがる」
昌司の懸念、嫌な予感は見事に的中することとなる。しかもその日程は月末……『ナミネ』が予告したところの『一か月後』の前の週だ。大きなイベントを目前にして準備も想定したい時期としては、些か間が悪いとしか言えなかった。
とはいえ用紙に書いてある日程も、もちろん懸念していたことではあったが、大学ならまだしも高校生の催し物、所詮は日の高いうちの行事だ。日次が金曜と土曜に重なるのはまだしも、時間まではその限りではない。問題はもっと別のところにある。
――「保護者参加について」
その項目を通して、可能な親族がいれば呼ぶこと、その文言に目が止まる。
親族のことを考えてから……両親は仕事で、祖父母は遠方。その両者が無理だとなれば、後に残るのはただ一人しか思いつかない。
「姉さん、呼びたくねえぇぇぇぇ……」
突っ伏すこともまた、変化のない日常に戻ってきた教室の景色の一部で、いつものこととばかりに誰も気に留めていない。
「大祭もいいが、その前にテストがあるからなー。大祭準備だけでもクソ忙しい中で赤点出した生徒の補習なんて、先生したくないんで。赤点とらんようにほどほどには勉強しとけよー。はい号令」
けだるい男性教員の声と共に日直による挨拶が掛かって、終礼が滞りなく終わる。
それを皮切りに、アルバイトに向かう、帰宅する、部活の準備に談笑と各々のしたいままに振舞い始める高校生たちもまた、日常。さして休み前と変わり映えはしない
守谷 昌司に声を掛けるものもいないかと聞かれれば、そこは放課後。休み前とは違う例外も、それなりにあった。
訪問者が、教室から退出する生徒に聞く。
「守谷昌司はまだいますか?」
「――そうだった。ハルトマ……」
女性の声に、ハッとして顔を上げ名前を呼ぼうとして……しかし、伏せていたことが災いして声の主が違うことに気付かず、人違いであることに気付くのが遅れてしまった。不機嫌そうな表情で、先輩は言った。
「……悪かったですね、お目当ての女性じゃあなくって。
『春季大祭』についての話で部活の集まりがあるから、顔出してほしいんだけど」
「あー、うん。間違えて申し訳ない、です。先輩」
空回った感覚をぬぐえないまま、周囲の目線を気にして僅かに恥ずかしそうに「今行きます」とだけ昌司は応えて机の中身を精査して、必要な物を鞄に詰め始める。
すると、紫歩先輩は教室内に踏み入ってきて、前の席に横向きに座ってきた。
「昨夜のあれって、どういうことなの?」
「……あれ、ってなんの話です?」
「最後の、あの黒くて逞しそうなの。
すごく怖かったけど、体はもう動かなかったからどうにもできなくて、でも声も聞こえないから何が何だか分からなくなっちゃって、なんだか怖くて、でも不思議とワクワクしちゃって――」
「ああもう、ゲームの話っすよーゲームですからねー?!
誤解を招く発言しかできるやつは居らんというか、ちくしょう!」
声も抑えず「昨夜の」「黒くて」「逞しそう」と聞く人にとっては問題発言になりかねないワードを連発する先輩の発言に、釘を刺す如く大き目の声で文句交じりの返答をすると、大声を挙げると思っていなかった先輩が僅かにたじろいだ。
周囲から飛んでくる誤解を多分に含んだ痛い目線を払うためにも必要な行為だったとはいえ、申し訳なくなった昌司は改めてまじめに答える。
「情報サイト回って集めた話の限りじゃ、シナリオ上のボスエネミー、『ナミネ』は、プレイヤーなんだとか。その辺りはアプリの方に情報も載ってるから、後で一度見ておくといいかな……あ、アプリは入れてる? ステータスの変更とかもできるからまだなら済ませておくといいけど」
「それは大ジョーブ。お姉さんに言われた時にすぐにダウンロードしたから……強制的に」
「……なんか、すまん」
「ああ、気にしないでいいよー。ゲーム自体はそれなりに楽しくやらせてもらってるし。妹なんか、『お姉ちゃんばっかりしょーにいと遊んでてずるいー、私もやるー!』なんて言ってるくらいだし」
「あー……進めたいのはやまやまだけど、詩織ちゃんにはちょっと刺激的過ぎる内容だからなぁ」
「だよねー。それもあるから止めといたけど。あの子、怖いの苦手だし」
姉とは年の離れた小学三年生の妹のことを思い浮かべて、納得した。今度あの子に向いているゲームでも探しておこうかな……なんてことを漠然と考えながらも手を動かしているうちに、必要な物は詰め終わったので席を立つ。
「じゃあ部室、行きますか」
「あ、しょーちゃん。あとあのゲームのことでもうひとつだけ。歩きながらでいいから話を聞いてほしいかなーって思うんだけどいい?」
「それは構わ……構いませんけど」
「今更これを聞くかって話なんだけど……」
「なんです?」
「いや、あのゲームの目的っていうか。最終的な終点……想像したらちょっと不穏でね? 登場するキャラクターの生い立ちとかから話逃れまで、どう見てもハッピーエンドって感じがしなくてさ。その辺どう考えてるかなーって、話してみたかったので」
――それは思うところがある。
昌司自身、そこそこいろんなゲームをしてきているし、ゲーム以外でもそれこそハルトマンの持ち出す映画や小説の「ネタ」が通用する程度には、いろんな作品に触れてきた。
その中にはえげつない内容の作品もあったし、後味がいいとは決して言えないような内容のものもあった。……『エギアダルド』も、その経験から見るに非常に「危うい」話筋をしている。短い時間ながら薄々ではあるけれど、昌司もそんな風に感じてはいた。
「そのあたり、本人は言わないだろうしなぁ……」と聞こえないように小さく呟いてから、先輩に一言だけ返した。
「おれとしては、先輩のキャラのチンピラ具合の方がよほど気になる……ますけどね。あれ、実は地の性格だったりします?」
「――よ、余計なお世話です! それを言うならしょーちゃんのその、慣れてなくて取って付けたような敬語の方がよっぽど変ですよーだ!」
「だって先輩、先輩っぽくないんですもん」
「あァ? 言ィやがったな、この駄犬~ッ!!」
「あはは、らしいってこんなかんじっすかー。おおこわー、逃げろー!」
先輩の言葉を皮切りに、笑いながら小走りに逃げる。
その逃走がわりと本気で『部活動』じみた走りになる前には、部室までたどり着けたのは僥倖だろう。
「じゃなかったら、死ねる、疲れ果てる、死寝る……」
「あらら、しょーちゃんってば情けない。それでもうちの部活動の部員?」
「体力馬鹿の、先輩と、一緒にしないで、くだ、さい」
――本気でもないのに息が上がるのは、インドア派の特徴です。
本音と建て前が逆になったところを拳骨一発されたのはやむをえまい。
部室に辿り着くや否や、荒い呼吸を整えつつも昌司はマットレスに倒れ伏した。




