7話
「剣……ではありませんので、徒手での組手ということに致しましょう」
「それで構わない。胸を借りるつもりで戦わせていただくので、何卒よろしく頼む」
「魔法は、使われるので?」
「――いえ、拳のみを。音が立つことは、良くない」
周囲にはいつの間にやらエルフたちが集まっていた。怪我を押してまで見に来るのはどうかと言おうとも考えたものの、こんな状況下ではどのみち安全とは言い難いだろう。見るつもりなら怪我に障りのないように安静にしていてくださいとだけ声をかけた。
拳を軽く握りこみながら見据えると、既にアランは構えを取っていた。脚撃に重きを置いた重心の軽い足運びと、不足に対応できるよう無駄な力を込めず自然体に構えた上半身が戦いに熟達した気迫を作り出す。
見事なその様子にわずかに見蕩れた。しばし遅れて「戦においては死に繋がる愚行だった」と僅かな反省をしてから、反省を切り捨てて集中していく。
――周囲は、それほど開けてはいない。
先程まで暖を取っていた火種のある場所を中心に、円形におよそ10歩。そこから外は木々が密集し、踏み出してしまえば木の根に阻まれて足の踏み場も捉えづらくなる。近寄ろうにも生半には踏み込ませてもらえそうにないが、あくまでも訓練だ。実践ではない上に置かれた状況が状況だ。
「身体を慣らしたいという、お考えでしょう。そちらから来ていただいて構いませんよ。私は隙があれば打ち込むように致しますので、どうぞ」
驚きの表情、次いで頷くとアランはその身体の全身を使い詰め寄った。
――鋭い。それに重さもある。
一息の間に、右、左、左に、右にと強弱の効いた蹴りが一拍の間に放たれた。決め手にかけるような打撃ではなく、身体の動きを確かめるような素直で俊敏な動き。それを、ギリギリのところで上体をずらして避けていく。本当に先刻まで怪我人だった者の動きとは思えない機敏で力強い動きだ。蹴りにしてもそうだが間合いの取り方が絶妙で、捉えられる距離に入ったところで瞬時に間合いを取る。こちらの腕の届かない僅かな距離を取って攻め立ててくる、相手にすると非常に厄介な戦い方だ。上体狙いの蹴りを深く屈みこんで、その勢いで後ろに引いた。
「基本的な動きには支障がないようで何よりです。もう少し深く試してみましょう」
距離を取ってから言い放ち、幾ばくかの間の呼吸の後、最善の呼吸に合わせて踏み込みで間合いを詰めてみた。
――拳打に『衝撃』の魔言を乗せて腕を突き出す、【身当て打ち】という体術。
エルフは接近戦がほかの技に比べ苦手で、必然的にこれを当てて距離を取ろうとする。子供でもできるほどに当たり前の技術だが、当たり前であることは、有用だということだ。これを当てた相手が再度近寄るまでの間に、並みのエルフならば五度は矢を射るだけの余裕ができる。強制的に相手を押しのけるだけの術であれ、殺傷力こそ全く持たない。だが、これを凌げないような大力では無理はさせられない。そう考えての一芸であったのだが。
アランは、楽しむように笑っていた。
模擬戦とはいえその動きは実践同等で、相手の表情など顔に視界が向いた一瞬しか見ることはできない。単に笑ったように見える角度だっただけなのかもしれない。
「――美しい」
柄にもない言葉が自然に突いて出ていた。
身当て打ちを受けたアランは、弾き押される瞬間の勢いに方向性を持たせたのだろう。
斜め上から差し込んだ右足の脚甲は、受けた衝撃で体ごと蹴りの姿勢のままに回転する。地に着いていた軸足を、弾かれる衝撃に合わせ力を抜くと、押し出される勢いの乗った右足で地面を蹴り、木々より高く跳躍していた。
中空にたなびく灰色の毛並みが月明かりにて当てられて青白く艶めく。その多くが眉目秀麗とされるエルフですら見蕩れてしまうほどに幻想的な瞬間が、目の前にはあった。この場にいる誰もが、その光景を仰ぎ見ては、視線を釘付けにされてしまっていた。
一瞬の出来事のはずがひどく長く感じられたものの、ほどなくしてアランは着地した。そこからは修練どころか体を慣らすことすらおこがましい表現だ。なにせ、「これ以上は、疎かにしてしまう。ほつれた警戒の糸を再び紡ぐとしましょう」と進言してその模擬戦の終わりを告げたのだ。着地と同時に私との距離を瞬く間に詰め、軽い足払いで倒れたところを手を差し伸べる形で。
呆気に取られた表情のまま手を取って、そのあともしばらくの間、呆然としてしまっていた。アランはといえば動きに精細の欠けなど微塵もなかったか事の裏付けのように、あるいは警戒を仕切り直すという言葉を真実とするためだろうか。 周囲に注意を払ってくれていた。
猟兵のエルフである私が負けるとは思ってもいなかったのか、周囲もまた似たような放心をしていたことは、同じように放心していた私にとっては後になって聞いた話だ。
しかしそれも半刻も続かず終わった。緑色の外套を頭からすっぽりと覆う形で纏った一人の人族の女性が戻ってきたことで、警戒侭ならぬ状態から現実に引き戻されることとなる。
「戻ったよー……って、なにこの酒気に当てられた如き浮かれようは。ねえフィオさん、なにがあったの?」
「あ、ああ。ノーフィス殿。お怪我は?」
「大事無いよ。それよりも、戦闘が起きたと聞いてる場所から立ち上っていた煙が失せたことのほうが問題だったんだけど……この空気、それ以上に問題な気がしてるのは気のせい?」
「気のせい……ではありませんが、ある意味で。ただ、そちらは今は気にしなくていいことです。それよりも状況を」
「第三防衛ラインの手前にあるブラザックの林河周辺で戦闘が起きているみたい。残念ながら第二ラインは後退、常駐戦力と撤退した戦力に頼っての防衛戦だけど……」
「かなり戦況は悪いみたい」と状況を追って話すごとに弱々しくなっていく声で伝える。
ここに至って、どこか気の緩んだ状態だった他のエルフたちにも身に滲むほどに緊張が伝播した。