73話
「で、ユーはどうしてゲロまみれ?」
「……こんな状況で冗談なんて弁願だよ姉ちゃん」
「あら珍しー。姉さんなんて呼びたくなかったんじゃないの?」
「だから、冗談は、言えねえって」
「それこそ冗談。何があったか知らない相手に八つ当たりしちゃダーメってよい子は教わらなかった? あ、良い子じゃなかったかーじゃあしょうがない!」
「――姉ちゃん!」
「結局はさ、何があったか話してもらわないと何ともなーなのよ。それがないと堂々巡りなワケ。……いいからまずは話してみーよ。おーけーい?」
「……見てもらった方が早い」
吐き気の治まる様子もないまま、青白い顔をして昌司は手を引いてきた。
そんな表情にした原因はやはりと言ったところだろうか、ゲームにあるらしいことに察しはついたけれど、それを言葉にはせずにされるがまま従うことにした。
足取りのおぼつかない弟に手を引かれながら部屋に辿り着くと、無言でゲームに接続されたままのヘッドマウントディスプレイと操作に使っていたゲームパッドを差し出してきた。
何も言わずにそれを手に取って、ディスプレイを覗き込む前に「これを見れば理由が分かる?」と短く訊ねる。
「……わかるか、わからない」
「なんじゃそりゃー」
「いいから」
デスクに据えてあるモニターを横目で覗く。
ゲームの様子を同期して表示されている通常のモニターディスプレイは三人称視点で、そこには昌司の作成したキャラクターらしい狼男の姿と、その正面に倒れる女性キャラクターの姿がある。
まるで本物の狼が悲しみに耐えきれず遠吠えするかのようで、天を仰いで吠える姿は中々に様になっているように思えた。それは、差し出されたディスプレイを覗き込んで主観の視点から覗いて見たところで、カメラの視点を切り替えるように見える景色が多少変化するだけだ。
移動の操作をするとモーションに従って仰ぎ見ていた視線が通常の目線の高さに戻る。普段見る視線の高さよりもかなり高いことに少しばかり感動を覚えながら、周囲を見渡してみた。
目の前には女性。多分もう、死んでいる。
周辺にも、死体。戦場であったらしいことがわかる、悲惨な景色と言ったところだろうか。
背後には砦が橋に取り付けられたかのような石造りの建物が数階分の高さに渡って聳え立ち、所々が壊れて崩れ落ちているのが分かる。最上階の崩れかけた窓には人がいるようで、何人かの姿がそこからこちらを見ているように見える。
冷静にそれらを見渡しながら、聞こえないよう僅かなため息をついて昌司に訊ねた。
「へー、キャラクターが違うとこんな感じなんだなぁふっしぎい。
……で、このゲームの何が問題?」
「死体が、消えない」
「そりゃ、消えないゲームだってあるじゃんな?」
「死んで、それきりなんだ」
「んむむむーん……」
――死体が消えない。それがどうした、それの何が問題?
理解できない言葉が余計に疑問を大きくする。
ここにきてまさかどう応えたものかと悩むとは思わなかったことに頭を悩ませながらも、加えて訊ねた。
「で、死体が消えないことと盛大にゲーしたんの、何が関係するんですかねー?」
「だって、おかしい。普通じゃないだろ。死んだ人間が、そのまま、残るなんて」
「しょーちゃんてば、まっじめぇ~」
「だから茶化すなって――」
「茶化してないんだけどなぁ。ま、それはいいんでやりますです。私は寛大なのでそっとしておいてやろう……
だけどさ、ひとつ勘違いというか、ボタンの掛け違いっていうのかなぁ、そういうところがあるのがもったいないと思うんですよね。
そしてそれ気に気付いた私ってば天才っすか?」
「……」
「アー、はいはい。わかりましたよ、分かりましたとも。
何がいけないかってさ、『これがゲームだってこと』を忘れてることに尽きると私は思います」
「……それは当たり前の話だろ?」
「でもそれに死を感じてる。それもはっきりと。違う?」
そのことを指摘すると何も言い返さなくなったが、それだけでは弟の表情は納得がいっていないようだった。それを『納得』に置き換えるため、私は尚も言葉を繕う。
「言いたいことはなんとなーく分かる。
『ゲームだから死んでも平気、殺しても平気』は確かに違うよ。
お気に入りの小説で登場人物が死んだら悲しいし、大好きな俳優の演じる役が恋人とハッピーエンドを迎えたられたら、つられてうれしくなっちゃうからね。
――でもその感情は、私たちのものじゃない」
「……それで悲しんだり恐怖伏したりするのが、全部嘘やまやかしだって言うのか?」
「そうでもあるし、そうでもない、かなー。
ゲームってさ、自分じゃない自分を演じるわけじゃない? キャラクターのある作品もあれば、自分でキャラメイクする作品もある。
この場合は後者だけど、これだと限りなく自分自身と重なるわけですなー」
「……話が長いよ、しず姉」
「お、大分顔色良くなった系ですかなー。だがしかし、顔は良くならないのであしからず!」
「頼むから、話すなら要点だけ言ってくれ」
「にへへ、こりゃしっつれい。
――問題は、なんでそれが気持ち悪いのか。原因は、それがゲームらしくないと感じたから。死についてのそれらが現実的だから、しょーちゃんは気分を悪くした。
対して私は、しょーちゃんに『ゲームだってことを忘れてる』って言った。ここまで、おけまる?」
「……続けて」
「『ゲームでも悲惨な現実を目にするのはおかしい』と思い込んでるけど、そいつぁ作者に失礼だよ。
何かを誰かが作ったなら、それには訴えたいこともあれば伝えたいことだってある。それらを変えることはできない。
それを避けられない出来事だとしてさ、しょーちゃん。
その避けられない死を認められないって、ちょーっと悲観的すぎない?」
「そんなことは――」
「そういうお話しだから避けられない。
……でも、ゲームならさ、助けられる力があるんじゃん?
剣と魔法と超能力とかさ! そういうのを使って世界ヤバい、救ったろう!
ってなるのが、ゲームじゃんよ?」
その言葉に、何か思い当たるといった顔で顔を上げる。「我が弟よ、そんなに素直で大丈夫か?」と茶化そうとするが、喉元まで出かかったいつもの口癖をすんでのところで飲み込んで、まじめに返した。
「ゲームでもそうでなくても、助けられるものを助けられないなら悲しいのは当然だし、助けたいならそうすればいい……それだけじゃないですかねーって、思うんですがどうでしょーたん!」
「た、たんとかいうなし!」
「――ま、そう言い返す余裕が出来たんなら、とりあえずの答えがなんとなーく見えたり隠れたりしちゃう系な感じなのでよいのでは、ではでは。そいじゃーね~」
これだけおせっかいを焼いても、きっとまた同じようなことで悩むだろうなぁ、とディスプレイを押し付けて部屋を後にする最中に考える。
背にしたからには表情は見て取れないが、どことなくそんな予感はした。
――私には、どうして弟が苦しむのかが理解できない。
そう考えてしまうのは私のエゴかもしれないな……だなんてうまい事を言ったつもりになって、「やれやれ、お姉ちゃんはくるーに去るつもりだったのだぜ」とだけ、締まらない一言を呟いて自分の娯楽にログインするためにも自分の部屋に足を向けた。




