72話
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目指すべき目標を挫かれて、弟は活力をなくした。
枯れた老人みたいだなって思った、でもゲームで元気出てきた。
友達になったっていうリタちゃんかわいい。ぐうかわけなげ。
しょーちゃんの最近の成り行きをまとめるとこうなるかな。以上!
……冗談はほどほどにするとして。
本当は姉として、なにか声を掛けるべきなんだろうけれどそんな気にはなれなかった。
誰だって挫折もあれば妥協もする。私だってそうだ。そうして、「大人になるってそういうことだ」ってオトナは言うけれど、私はちょっと、それには誤解があると思う。
――子供時代が終わってく。これのほうが、親しみを感じる。
興味関心や持ち合わせの能力だけではどうにもならなくなって、周囲から学ぶようになって。そうして初めて「自分以外」を取り入れるようになる。子供が純粋だと言われるのは、余計な「自分以外」が入っていないからなんだ、って。
そう考えた方が私はしっくりくる。
弟は、その「自分以外」を取り入れようとして、それが難しくって悩んでいるんだろう。
成長がなかなか先のステップに進まないのはよく聞く「思春期の葛藤」だとかそういったものなんだろうけれど、正直思春期とか通過儀礼とか回りくどいのはどうでもいい。
そんなもの私にとっては書いて時の通りに「他人事」で、どう足掻いても関わろうとしても、所詮は「自分以外」の余計なお世話でしかない。
その余計なお世話が認められるようになってくると、人は「大人になったなあ」なんていう。
そんな事はないのに、馬鹿みたいだなって思うよホントさ。
「自分」と「自分以外」が混ざって、どうしようもなく「自分を殺す」しかなくなって、「自殺」しただけだ、ってね。社会性なんてのは所詮は一つのコミュニティの仰々しい言い方で、集団に所属するのに「自分」ばかり主張する奴は邪魔だからってだけの話なのにね。
「はあ、とため息が出るよこりゃー」と、独白みたいな独りごとが出る。
よく小説や映画の中で台詞なのに喋らない「独白」ってあるけどさ、自分以外の人に「自分」の考えをまるっと覗かれるのってどんな気分なんだろうとふと考える。
「独り」で「白状」するから独白なんでしょ?
だったら、赤裸々に白状しなかったら独白じゃないのに、そこにミスリードとか伏線とか持ち込むのは三流の仕事だよ! と言ってやりたいな、私は。うん、気分と関係ない。こういうのは私の柄じゃないね!
そんなくだらないことを考えていると、廊下から扉の音がする。
部屋の外、向いの部屋の扉が大きな音を立てて開いて、同じく大きな音を立てて階段を転げ降りていく音が大きく響いた。
向いの部屋は、しょーちゃんの部屋だ。何かあったのかなー、と首をかしげる。
時計を見てみると丁度十時十五分、最も美しくバランスの取れた針の位置とか言われる角度。今の時間だと例のゲームをやっている時間だけど……そのゲームで何かあったか、もしかするとよほど急いでいたのかもしれないなあ。
慌ただしい音が止んだら、今度は嗚咽を上げながら吐くような声が僅かに聞こえてくる。
行き着いたのは、洗面所だろうか、トイレだろうか。
吐き気なんて、めったなことでは起きない。あるとすれば何かゲームで嫌な経験をしたか、あるいはお昼食べた食材に当たったか……はないかなぁ。私は平気だし。
でも、なにか嫌な経験をしたのだとしたら、それは心配だ。
しょーちゃんは、考えすぎるところあるからなぁ。ああいうことがあると多分、ねちねちと尾を引くことになる。うん、女の腐った性格みたいに周りが忘れても本人は昨日のことのようにいつまーでもネチネチとね!
「――だからさ。
『自分以外』、一般的なお医者さんを目指すのは、ちょーっと向いてないんじゃないかなって、お姉ちゃん思うのよね。
まあこれも『自分以外』で無責任な話なんだろーけどー。
……私も、ここらでキリをつけて息抜きでもしようかなっと!」
手元で開いていた本にしおり代わりのポストカードを挟んで閉じると、表紙の文字が上を向く。表紙に『』とある本を、机の上にある本の山の一番上へと乗せた。山というだけあって、沢山の本が居並ぶ。
――『精神医学入門』『弁護士の使い方~もしも明日、告訴されたら~』『~魔法はいかにして使うのか~ミトコンドリア細胞についての研究』『世界の建築・美しすぎる建物と、施工技師たちの超絶技巧』『ジャズスイングの習い方』『特定疾患一覧』『一切食べないキミが好き! ②』『科学技術の最先端と百年先に行き着く世界』『放課後の使い方~新任教師編~』『システマを学ぶ』『パンツ。それは偉大な発明』『にわかでもわかる! 動画配信のはじめかた』『旧約聖書の考察の仕方』『美味しいごはん、いただきます』『カレワラ』『嘘のようなホントの逸話を残した軍人たち』『ヨーロッパの民族学』『指数関数と株価』『執事・ハウスメイド入門』『特撮列伝~熱い魂の役者たち~』……エトセトラ、エトセトラ。
そこかしこに本、あるいは紙の束。
専門書から雑学本、ライトノベルに研究論文。雑多に居並ぶそれらの山々はもはや紙の集合体、本を上に乗せようとも、まったく揺れすらしなかった。
詰まれた紙の集合体は、日本語だけではなく外国語のタイトルのものまで混ざっていたりする。それらの本は机の上でだけでも80冊はあり、机の半分以上を占めている。
ただそれはほんの一部で、本棚にはそれ以上だ。机の横、壁一面を占める本棚にはこれでもかというほどに多種多様な本が居並んでいた。
――統一感のないタイトルの本が山のように積まれて、わからなくならないかって?
大丈夫、自分でわかってれば、大丈夫だから。大丈夫だから、そんなだから彼氏できないとか言うやつは潰す。容赦なく潰して差し上げますわーってだけ言わせてもらおう。
まあそもそも、あるとしてもしょーちゃんくらいにしかそんなことは聞かれないけどね!
「さてとー。
息抜きついでに、手間のかかる弟へのメンタルケアでもしに行きますかねえ。
あ、ついでに冷蔵庫の飲み物取ってこよーっと」
――まったく、しず姉と親しまれてやまない姉の苦労は絶えないなあ。
億劫に、でも少しだけ嬉しそうにそうぼやいて、まずは状況確認、次に原因の検証……と本の知識を糧にあれこれ手順を考えながら、弟のいる階下に向かっていった。




