70話
短いです。
グロテスクな表現が含まれるため、苦手な方は閲覧をお控えください。
「おい、これって成功なのか?」
「わ、私にも何がなんだか――」
保護するはずの氷塊が、黒い水晶のようなものに覆われていく。本来の氷の塊以上に広がっていくそれは増殖を止めることなく、氷を覆い尽くして尚も徐々に広がっていた。
エリスシアは事態を把握していないようで酷く狼狽えていて、本当に何が起きているのかわからないことは明白だった。
戸惑いを隠せないその場の面々は気付かず、唯一その五感の鋭さで察知したアランは咄嗟に駆け出し、叫んだ。
「備えろッ――何か来るぞ!」
――揺れと、轟音。石畳が激しい音を立てて砕けた。
一番近くにいたエリスシアと黒い水晶との合間に割って入ったと同時、一際大きな黒い水晶の棘が地面を食い破って突き出し、魔法によるものだろうか、激しい衝撃の波が周囲一帯に酷く耳障りな金切り音と共に伝播した。
細かに砕けた床が土埃の様に舞い上がって視界を覆う。
最も直近で衝撃を受けたアランは、腕の中にエリスシアを抱え込みながら吹き飛ばされる。しかしあまりの衝撃の強さにその意識は刈り取られ、庇ったエリスシアから手を放してしまう。
飛ばされた先は運悪く。円形の部屋の窓の位置にちょうど重なっていた。
「え、あ――」
吹き飛ばされた勢いが失われたところで、エリスシアはアランの腕から離れ、中空に投げ出された。
――空がやけにゆっくりと視界に入る。
暗い、けれども夜明け前の白み掛かった空に、手を伸ばす。
僅かに後から、アランも窓から投げ出される。意識を取り戻したのだろうか、そこで体を身じろぎし、周囲を窺う素振りが見て取れた。
「ああ、これは」
死の間際には時間の流れが遅く感じる。そんな風に聞いた記憶が思い出の中のどこか遠くから沸き立つ。
こちらを見つけ、なにかを叫んでいるアラン。
必死の形相で手を伸ばしながら、私を救い出そうとしている。
――ああ、窓際に駆けつけたアイオーンさんたちも何か言っている。
はっきりと聞き取れないけれど、こちらを見つけて、ゆっくり、ゆっくりと口元を大きく動かしている様子すらはっきり見て取れる。
手を伸ばしては空を切り、手を伸ばしては空回り、手を伸ばしても掴めない。
アランの足掻きがまるで自分のことのように滑稽に見えて……それでもあきらめまいと言わんばかりに砕けて落ちる砦の壁跡を踏み台にこちらに近づいてくるけれど。
――ああそうだ、感謝をしなくちゃ。あの時助けてくれたこと。何度も、迷惑を掛けたこと。傷を代わりに負ってくれたこと。妹の危機に狼狽えた自分をそれでも支えてくれたこと。守られた事への感謝と、それから、それから……
「――ありがとうご」
何かの言葉を言おうとして、こひゅ、と喉から押し出される空気の音しか出ない。
エリスシアの首が、聞くに堪えない骨のひしゃげる音と共に地面に叩きつけられて、そこで言葉は途切れる。
僅かな後、代わりに狼の遠吠えのような泣き声が辺りに響いた。




