69話
ハルトマン視点です。
* * * ❖ * * *
「――というわけだから、『ナミネ』はその後は自由に動いてくれればいい。皆殺しはダメだけど、襲ってくるなら容赦はなし、好きなように、例えば殺してしまっても一向に構わない。
自らの行いが自由意志であること、それが『ナミネ』の立ち位置だからな」
「『んー……こんなこと言うのもなんだけど、重要な役割がそんな風に適当でいいの? リタ』」
「いい、いいよ。むしろその方がいいんだ」
「『……そっか。まあ、作者がそういうなら、それでいいんだろうから。これ以上は何も言わないよ』」
「――ありがとう」
「『らしくないなー。体調、無理しないでよ? プレイヤーの一人として、純粋に続きを楽しみにしてるんだからさ』」
――チャットというテキストのみでのやり取りは往々にして無味乾燥になりがちで、だというのに相手の文章からはいたわりの感情がある。それらは端々に、日差しの様に眩しくすら感じるほど強く見て取れた。
ハルトマンはひたすらに、申し訳ない気持ちをひた隠しにして「無理をしたところで好いモノが出来るわけでもないしな、気持ちだけ受け取っておくよ」と強気を装う。
彼女の事情を知る人物であれば、安心できるような言葉など何一つない。そのことを知っている【ネフィリム】は、それ以上は何も言葉を返さずチャットから退席した。
プレイヤーの中から特定の条件を満たしたものに声を掛ける。
そしていくつかのやり取りを事前に交わし、決まり事や希望のすり合わせを行って『悪役』をプレイヤーに演じてもらう。
『悪役』はもちろんキーパーソンで、本来ならばゲームのストーリーを構成するうえではあり得ないことだと言えるだろう。
――善意と同様に、悪意にも意思が必要だ。
『プレイヤーに任せる』というある種のタブーともいえる行為を、ハルトマンはそのためだけに実行してみせた。
そうした趣旨で、慎重な話の持ち掛け方で数人に声を掛けてはいたが、賛同する人もいれば、申し出を拒否する人もいた。
中には激昂してこんなゲームは二度とやらない、運営会社に抗議とアカウント停止の申し出を入れてやる、と怒り散らすものもいた。
幸いにも未だ運営から差し止めや忠告の類の連絡はないが、度重なれば起こりえないとは言えないだろう。
こうしたことがいくつかあって、それでも諦めずに検討した結果選んだのが、【ネフィリム】だった。
エミルの知っている人物であるというのは全くの偶然で、リタ自身はそれを知る由もない。
鼓動は相変わらず不機嫌なようで、時折連続して脈打ったり、打たなかったりと忙しいらしい。落ち着かせる意味でも溜息をついてから、気を紛らわせるかのようにリタはひとりごとを呟いた。
「エルダーギアオンライン、頭文字でエゴ、って阿呆か。
……違いない、阿呆だ。
ホントいい皮肉だと思うよ。最高に、馬鹿正直に安直でさ」
……自らの行いが間違いでないと証明する。
そのために、リタ・ハルトマンはエゴという名前を付けたまだ見ぬ運営の作者のくだらない馬鹿正直に時間を費やす。
正直で、ありふれていて、所詮は名前の所為で多くのものに埋もれてしまうような作品だ。
β版が終わったあとに、このゲームが制作されるかどうかすら怪しいだろう。今は物珍しさで注目されているけれど、未来がどうなるかなんて知ってるものはいない。
青臭い、斜に構え過ぎていて、時間の無駄。そうした一蹴を受けるような考えも、気が沈み込むと鎌首を擡げてくるものなのだろうか。
延々ととりとめない思考を繰り返してしまうな、と自傷気味にまた一つため息をついた。
「そろそろかな」と煩わしい靄を払おうとするかのように呟きながら、ディスプレイで表示していた守谷達と【フィオセア】の顛末を改めて注視する。
画面上ではエミルのキャラクターと守谷達のキャラクターの戦いに決着がついたようで、まさに合わせたかのようなタイミングで【フィオセア】に施されようとしている魔法が完成する直前だった。
ふと点滅が視界に入って、その原因であろう携帯端末の通知を見る。
その画面表示を読み取ると、ハルトマンは力なくうっすらとほくそ笑んだ。
表示されているのは着信履歴と、チャットアプリの通知が何件か。送り主はいずれも『守谷』と表示されていた。
「悪いな守谷。今はちょっと、疲れててさ」
身体を椅子に座らせる気力すら使い果たして、天井を仰ぎ見る。
窓に風が当たる音、自分の呼吸、微かに届く道路を走るタイヤの音、PCやコンセントの駆動音。僅かな、けれどもそこに確かに存在する生活の中の音に耳を傾けて、静かに、穏やかに意識が眠気に沈んでいく感覚に従った。
画面上、橋砦の最上階の間の中央。
息を浅く繰り返すフィオセアを取り囲むようにして、透明な氷の柱が床に誂えられた魔法陣から生じていく。
それと同時に画面、それに砦全体が大きく揺れる。
そこにいる誰もが壁際に弾き飛ばされた。
フィオセアを取り囲むようにして生じた氷、その外側を更に覆うようにして黒く禍々しい何倍もの大きさと数の水晶が、天井を突き破りフィオセアを包む氷ごと周囲を飲み込んでいった。




