61話
やや長め。
今回は視点が二転三転します。
ちょっと読みずらい気もするので、もしかしたら後日手を入れるかもしれません。
* * * ◇ * * *
「……やっちゃった。
悪い癖が出たかな、しょーちゃんも」
「『ありゃりゃ、なにか気に障るような悪いこと言っちゃったかなぁ』」
「【アイオーン】さんの気にするような、そこまでひどいことじゃないですよ。
ただ……なんていうのかな、「【アラン】ってそこそこぶっきらぼうで強気な性格してるくせに、割と繊細なところあるんですよね。中学の時はそうでもなかったんですけど……」
「『へえ、マナー的には聞いていいのかわからないけど……気になるなぁ。今時のコってあれでしょ、やばたにえんとか言っちゃうんでしょ?!』」
「いや、それが一般的かって言われたら、ごく一部だと思いますけど……」
振り返ってみれば、大きく変わったのは高校に入ってきてからだった。
里見が同じ中学校だった時代には、彼はまだ明るかった記憶がある。
余りの変わりように、守谷が再開した時には見た目が変わらないにも関わらず記憶の中の性格と食い違いが大きすぎて最初は同じ人だとわからなかったほどだ。
里見は高校一年生に上がって、守谷は中学三年。
何かがあったとしたら、その一年間の中での出来事なのだろう。
「話すのもいいですけど、それは追々ということで。それよりどうしましょうか……
「『だねぇ。そういうのはもうちょーっち仲良くなってから、かな!』」
「とはいえどうしたものかなぁ……あ、そうだ。ちょっと直に電話して様子を聞いてみます」
「『はいはーい。通話はこのままにしておくから、音声をミュートにするの忘れずにね~』」
言われた通り、里見はボイスチャットのミュートをマウスクリックして、イヤホンマイクを外すとデスクトップPCから離れる。
席を立って、ベッド備え付けのコンセントから充電器に刺していた携帯端末を手元に取ると、そのままベッドに寝転がって電話帳を操作した。
「大丈夫かな、しょーちゃん」
呟きはいまの守谷が、怒りを感じたことよりも怒りを向けてしまったことへ自責する性格だということを知っているからこそ出た、純粋な心配だった。
* * * ❖ * * *
「12月は嫌いだ」
一年の中でも、一番心が寒くなる、そう続ける。
割と大きな声で独り言を述べたものの、誰に聞きとがめるでもなく。
守谷はひとり、雪の降り出しそうなほど寒い中を一人で立ちすくんでいる。
目の前には大きな掲示板がひとつ。そこにはたくさんの数字が並んでいて、何度目になろうか、自分の手元の番号を探すが何度見てもそこに同じ番号は存在しない。
「番号確認の時間はもう終わっているから、そろそろ片付けたいんだけど……」と係員然としたスーツの男性が声をかけてきたものの、何度声をかけても立ち尽くすものだから、そっとしておこうという配慮だろうか、男は張り出された掲示板を片付けるのは端に寄せるに留めて、番号の並ぶ張り紙はそのままになっていた。
「寒いな、うん、寒い……」
それでもなおも、立ち尽くす。
全力を尽くしたのに不満だから?
結果が及ばなかったことが悔しいから?
こんな結末は何かの間違いだと訴えたいから?
……どれも間違いじゃあ、ない。否定はできない。
けれど代わりに、肯定できるほどの気力もわかなかった。
今通っている中学校は中学高校が併設された一貫校で、受験落第の高校浪人生なんて憂き目を見なくていい。
きっとその事実が、自分の全力を費やしきれなかった理由なんだと、納得してしまう。それが言い訳だということがわからないほど幼くはなく、それを納得してすぐに気持ちを切り替えられるほど大人でもない。
守谷は、どちらにもなれていなかった。
「夢半ばで敗れる……か。まあ、こんなもんなのかなぁ。おれの人生って」
「いいじゃないですか。
夢半ばなら、少しくらい休んだって、最後まで、続けていけばいいんです、最後まで」
ありもしないはずの声が耳を打つ。
驚いて、慌てて振り返るとそこにはひとりの少女が立っていた。
同い年くらい、だろうか?
平均からするとやや低めな身長の守谷からではすこし見上げる形になる彼女は、この寒さの中で顔を真っ赤にして佇んでいた。
寒さでかじかんでいるだろう真っ赤な頬と耳、それと唇。
その赤さがありありと分かるのは、病的なまでの肌の白さが際立つからだろう。雪に見間違うほど白い肌の少女は、厚手の青いコートを襟を立てて少し離れた場所からこちらを見ていた。
「……あなたも、これを見に来たんですか?」
「こんにちは。それから、質問は、えと、いいえ、です」
たどたどしい日本語に、はたと気づく。彼女の肌の白さばかりに目が奪われていたが、髪の毛はプラチナブロンド、瞳の色は吸い込まれそうなほどに深い青色をしていて。
外国人だと気づいて、日本語がつたない理由にも遅れて納得がいった。
「そう、ですか。
……すみません、みっともない独り言を聞かせてしまって」
「みっと……?」
「あ、ええと、恥ずかしい、って意味ですかね」
「恥ずかしくない、ちっとも。
挫折も苦難も、その人の立ち向かうべき夢には付きものです! 日本のアニメイションやマンガから、私学びました、大事なこと」
「ああ、うん、でも、そんな大層な話じゃあないから……」
「それでも、です」
近づいて来て熱弁するさまに思わず後ずさる。
こんな時間にどうして、と思わず勘ぐるも、彼女の手に握られた紙袋に気づき納得した。
処方箋、紙袋にはその文字が印刷されて書かれている。そして、守谷は反射的に興味本位で聞いてしまった。視線を移して、訊ねる。
「君は、あそこに通ってるの?」
――大学病院。
その名前に偽りはなく、大学が不蔵している病院のことを指す。
大きな規模で運営している専門分野の大学は、そうした施設が併設していることも多い。目の前にある高校はその大学傘下の学校で、歩いて五分もしない場所には大学病院が建っている。その大きな建物を見ながら訪ねたところで、初対面の相手に聞くような内容ではないことにそこで気づいてしまった。
「ああごめん、気にしないで」
「通ってる、なかなか治せない病気だから。お薬と検査だった、今日は」
「……ごめん。興味本位で聞くようなことじゃなかった」と謝ると、頭を横に振って彼女は答える。
「話しかけたのは、『おれ』のほうだから。あなたは、それを、きにしないこと。それより」
同い年の、身長が高い少女は続ける。その雪のように白い、ところどころが寒さで赤らむ表情が、小さく微笑んで見せた。自分のことをおれという口調が、後になってみれば気に掛る部分ではあったが、その時はまるで耳に入ってこない。言葉の端々に真剣さが見て取れて……その彼女の表情に、守谷は集中してしまっていた。
「わからない、理由は。でも、生きていれば力になってくれる人は、いるから。
だから――――――で、……………………です、よ」
言葉が進むごとに尻つぼみになっていく微かな声が耳を掠めるばかりで、最後の方は何を言ったのかはっきりと聞こえなかった。
伝えて満足したのか、聞き返す間もなく手を振って去っていく様を見て、あっけにとられた。
しばらくして「自分も帰ろう」と踏ん切りがついたことだけは覚えている。寒空の中で延々と歩いて帰って、姉さんにしこたま怒られて。案の定、翌日は風邪をひいた。
それが少し前、冬の出来事。
守谷 昌司が決定的に変わってしまった出来事の顛末の欠片。
* * * ◇ * * *
日が沈んできてもうすぐ電気をつけなければという時間、夕暮れの最後の日差しがベッドに指して、眩しさにカーテンを引く。
モニターの明かりを除いて真っ暗になった部屋のベッドに、守谷は大の字で飛び込み突っ伏して、思案に耽っていた。
去年の暮れのことを思い出して、少し気持ちを持ち直した気がする。
あの出来事をきっかけに、決定的にやる気のない人間になってしまったとは自分でも思う。けれど、あの時彼女と会ったこと、それは唯一心の救いになったとも思っている。辛い時があったとき、あの時の笑顔を思い出すだけで、ほんの少しだけ前向きな気持ちになれるから。
……少女とはそれ切り合うこともないだろうと思っていた。
それだけに、高校の入学式で会った時には、驚きを隠せなかった。
向こうはそのことに関しては知らぬ存ぜぬだったが、面識があることだけは記憶にあったのだろう。お互いにほぼほぼ初対面で、それでもすぐに話すようになったというのも納得はできる。
時折こうして心の不安定な波が高まったとき、あの時のことを思い出してしまうのは、彼女の言葉に少なからず救われたから。
「けどな、救われたからって、また歩き始められるのとは別なんだよな」
自分がひねた性格になった自覚はある。
それはあの決定的な宣告を受けた寒い冬の一日がきっかけだってことも、なんとなくだけれど理解している。
それは、その日に出会ったときに、一目惚れしていたから顔を上げるのが恥ずかしくって、だからうだつの上がらない風を装って顔を見ないようにしていることも、その日から変わらず未だにうじうじと悩み腐っている……みっともない自分を見せるのが恥ずかしいこともある。
逃げている。そのことが恥ずかしくて、どうしようもなくて、それでもあがいて。
中途半端だと、中身がなくて、流されるばかりの上っ面でしかないと、指摘されたことに腹を立てた。腹を立てて、切ってしまった。
切ったのが通話だからまだいいものの、それにしたってあの切り方はあまりに情緒不安定すぎるだろう、と考えれば考えるほど自責に駆られる。
「カッとなってやりました、なんて。今日日考えなしの少年Aとかでもあるまいになぁ……ん、電話?」
――そこで後から次々とやってくる自責の念を断ち切るかのように、不意に電話のコール音が鳴る。
画面に表示された「里見先輩」の文字に殊更申し訳のなさを感じながら、通話に応答するべく守谷は電話を手に取った。




