5話
短め。
* * *
――音が聴こえた。
戦禍の最中。そこに似つかわしくない、遠鳴りに響く鈴の音だ。
誰一人として気を抜くことのできない戦線からの撤退に、そのような音を耳にする静けさや余裕など本来ならば欠片も持ち合わせてはいないはずだった。にもかかわらず、鈴の音は凛として澄み渡っており、眼前にある戦場すべてを覆うほどの強かさを感じさせた。
「――今の音は、何かの合図か?」
横を抜かれ、未だすぐ後方をゆく負傷兵へ牙突き立てんとする異形の存在をひとつふたつと矢で落とす。よっつ、近くにいた最後を剣で切り捨てて兵に音が何かを訊ねるも。
「音、ですか、我々にはなに、も」と息絶え絶えながら口々に応える。
「相当に近かった、あれを僅かと言えどここにいると。全員が聞き逃したとでも?」
だれも首を縦には振らない。ではればいったい、なんだったというのだろう?
――また一つ、今度は遥か彼方に音が鳴ったような気がして、今度のものこそ微かなものではあるが、耳に届いた二度目に偶然はない。物思いを確信とする。
「であれば、先ほどの音は……」
かの者たちの攻め立つ先の――我々にとっては退き戻る先だが――進みゆく先に、その根源は現れ、われわれはその者に遭った。
森の中、開けた更地にそれは在った。
その者は酷く傷ついた様子で、打ち捨てられて当然のようにそこにいた。
腕に、足に、臓物に。入り乱れかき回され積み重なった数百あまりの異形の屍。
山となってすら打ち捨てられ続けた屍の頂に、その者は両の膝をつき天を仰いで佇んでいた。
満身創痍、全身に汚れぬままの場所などない。自らの、あるいは返り血が満たすその身体は、異形のものどもよりもなお異端に映えた。――獣の頭、獣の体躯。
かつてそのような呪いを帯びたものもいたと聞く。獣頭の呪いに見舞われたものは、その身を過酷なさだめへと投じる運命に遭う……しかしそれは、おとぎ話だ。現実にはそのような呪いなど長命なエルフたちですら認めてはいなかった。
――だというのに。これは、なにゆえ。
私にのみ耳にするを許す音は未だ鳴る音を止めることはない。ひとつ、もうひとつとその音を打ち鳴らすが、未だ誰も聞き届けてはいない。
そしてその音の先に遭うのは、獣頭の者。
「神憂いひしを残され……異邦より来……荒魂しき呪ひ」
おとぎ話よりもはるかな先、神代よりの口伝がおのれの言葉より零れたことに気付くまで、僅かの時が必要とされた。その一瞬は、しかし、戦場においては致命的なものであり。
「――しまっ、」
僅かな隙を逃すことなく、異形の存在達は逃さず襲い来る。わかりきっていたではないか、と悔いるにはあまりに遅かった。負傷した者たちでは、これに気付くことすらままならなかっただろう。
生き絶え絶えながらも襲い来る腕に、これまでかと諦めを抱いた瞬間を――しかし痛みと死が襲うことはなかった。
「、、、、、、、、、」
それは、うなり声だっただろうか? それとも、遠吠えだったのだろうか?
呪いが叫んでいるかのようにも感じられたし、人の慟哭であったかも。意味など、その者には無意味だった。
声に引き寄せられたるように、幾十、幾百と、気配が近づく。敵が、異形たちが、その戦場にいるすべてのモノたちが近づいているのだと肌で感じた。
私たちはそこに至って咄嗟の判断で、木々の間にある岩場の洞へと身を隠すことが出来た。今度は、躊躇わなかった。もしあと数瞬でもためらいがあったのならば、残らず全員先の屍の山のひとところとなっていたに違いない。
そこから窺うことのできた様はあまりに断片的ではあったが、十人が十人の口を揃え「そんな話は信じ難い」と断じられども致し方ないほどのものだったとだけ、私がこの出来事を語るときには残すだろう。
――そのものは止まらず、退かず、屈せず、躊躇わず。
――異形達は留まらず。形も、暴力も、その身体、その命すらも余さずに。
荒々しく声にならぬ声を響かせ、その腕で、脚で、あるいは何か、魔法のような業で襲い来るものたちを打ち倒していく。
……やがて周囲から一切の物音も気配も感じられなくなったころには、夕暮れは傾き、天には4つの月が姿を見せていた。
煌々とその月明かりに照らされるなか、終ぞ。そのものは、最後を屍に返すと、力尽きたかのように屍の筵の最中へと倒れる。
――後の世、様々な形で史録に残ることとなる「力あるものたち」のことを【エトランジュ】と呼んだ王がいた。
そう呼ばれた者たちが語られることとなった、その最初の戦い……《ギリウス聖戦》。
その大戦の始まりは、福音によってもたらされる。
「しかして国に私欲にと企むものに、その音は破滅をもたらしたのだ」と、エルフ達はその生涯を通し語るという。
表現がすこしばかりややこしいかもしれませんが、続きもお楽しみいただけたら幸いです。