58話
ようやく戻って来れました、守谷視点です。
前話の検診の前日の話になります。
日付けは5月2日。ハルトマンがマックスのいる病院へ検診に向かう日から一日前の話。
学校のホームルーム前、もはや恒例のように教室の一角で守谷とハルトマンが話し込んでいる。
時間は三十分ほど前で随分と速い登校。教室は貸切で、二人の声しかしなかった。
休みの合間の登校日はいつものような早くから登校している生徒の賑わいはなく、教室にはいつも通りの時間で登校してきた二人しかいない。
他の生徒は連休で休んだか、あるいはうだつが挙がらず時間ギリギリに来るのだろう。
片や椅子に腰かけ、片や机に伏せりながら朝早くから会話をする高校生がいた。
「ゴールデンとかシルバーとか言うけど、平凡な学生にとっちゃ碌でもないよな。休みの合間に登校日があるとかやる気が削がれる」
「どうでもいいだろ? 将来働くようになれば、今の世の中どうせ休みなんて有って無いようなもんだし」
「でも守谷、ゴールデンだぜ? 金色週間なんだぜ?! 日本人のセンスに感動したと思ったらこれだよ……感動を返せ!」
「まあまあ、そう言うなって。授業ってもうちの学校は気を遣ってか短縮日程だし、休みは休みで明日からまた水曜から日曜まで5連休もあるんだからさ」
「そんなもの、教員が有給で碌に居ないから授業できないだけに決まってる!」
「お前は教師に何の恨みがあんだよ……」
「教師に恨みはない、恨みがあるのはこの国の休日形式だけだ!」
「へいへい、言ってろ。それよか先日やってみた感想なんだが……」
心なしか、普段の冷静そうなハルトマンとは違って「年相応らしい」側面を目の当たりにした守谷は言葉で呆れながらも内心では微笑んでいた。
こういう側面もあるんだなと思うと、まだまだリタ・ハルトマンという人物を知らないのだと実感する。
学校で話すようになってちょうど一か月ほどが経つが、四月の頃にはこれほどまでに話が弾む相手が出来るなんて、守谷自身思ってもいなかった。
ーーきっかけはゲームで、繋がりもゲーム。
それ以上でもそれ以下でもなく、ゲームの話以外はしていない。
……先日の喫茶店での出来事は、とにかく謝るだけ謝り倒してなかったことにしてもらった。
ゲームに関係のないことで気分を害したのは事実で、なによりハルトマンの言う通り「それは関係のないこと」だと、自分でもわかっていた。
だったらどうしてあんなことを話したのかと言われると答えあぐねるものの、改めて考えてみるとただ単に「自分のことを知って欲しかった」……それだけなのかもしれない。
今となっては、あの手の話をもう一度するようなことはしないと決めている。
決めているけど、いつかはもっと話してみたいと思ったことも本心で、それを正直に伝えるには恥ずかしいというかなんというか。
ともかく、今はゲームの話で手一杯なのだから、余計なことは言うまい。
……ハルトマンがゲーム以外の話題を振ってきたのは、そう思っていた矢先のことだった。
「それはそうと守谷、お前は休みの土日以外……祝日の日程って出かける予定なんかはあるのか?」
「へ?」
「へじゃなくて、予定だよ予定。出掛けるとか、何かエルダーギア以外に別の予定はあるのかって話」
「あ、ああ。特にない、かな。今のところはだけど」
「ふうん。そうか」
「そういうハルトマンは、何かあるのか? その、実家に帰るとかさ」
「実家ったってドイツだ。行き来だけでも時間が掛かるのに帰ってのんびり、なんてできると思うか?」
「……まあ、できないかもな」
「だろ? それに、予定というか予約はあるし」
妙な言い回しに、思わず「予約ってなんだ?」と口を突く。その返しに、ハルトマン自身もどこか釈然としない答えで「まあ、予約は予約。外せない用事だからな」と述べた。
「なんだよ予約って。……あ、ハルトマンって、ひとり暮らしだっけか?」
「いや、親兄弟の夫婦のところに世話になってる」
「仕事は?」
「二人とも揃って医療関係。
……結構忙しいみたいで、そういう意味では起きてる時間帯なんか基本一人だな」
「医者かー。一時は憧れたんだけどなぁ」
「なんだ。アニメの影響か?」
「ちげえよ。元から興味はあったの」
「……興味があるなら、紹介するが?」
「いんや、やめとくわ」
「それは残念。……なぜ、と聞いても?」
「情熱と理想と信念と矜持と強かさに勤勉さ。そして何より学がないから、無理」
まるで早口みたいに捲し立てて問題点を挙げながらも最後には「学がない」だなんて実も蓋もない言葉で締めくくると、それを聞いたハルトマンは思わず噴き出した。
「笑いたきゃ笑え。実際、医者になるだなんてのはもっと早くから考えるべきことなんだろうしな。高校生からじゃあ、遅すぎる」
「ぷっ、くくく。あはははは。
守谷お前……オマエってやつは面白いやつなんだな!」
「確かに笑いたきゃ笑えとは言ったけどそこまで露骨だと傷つくわ……」
肩を揺らして控えもせず笑うハルトマン。
守谷はうんざりとした様子で、けれど表情をみて話したくなったのか、けだるげそうに顔を上げていた。
見れば案の定、堪えもせず胸に手を当てて大笑いをするハルトマンは、短い付き合いとはいえこれまで見たことがないほど心底楽しそうに笑っていた。
話題が話題なだけに釈然としないが、ここまで笑い話にしてくれるんならそのままにしておいてもいいか、という気持ちになる。
程なく笑いが収まったところで、先に会話を再開したのはハルトマンの方だった。
梅雨の少し陰りがある曇り空がちょうど太陽を覆って、少し教室が暗くなる。
ハルトマンの表情は、その陰りのせいで顔を見ても細かな感情が読み取れなかった。
「悪い、悪い。面白くってつい、な。思わず笑いで死ぬかと思った。
……しかしそいつはまた、難儀だな。
日本みたいに将来にほとんど無意味な試験勉強は相当しんどいからな、仕方ない、のか?
でも、そうやってなりたい職業なんてものを考えたくらいなんだ。漠然としたものでも将来像くらいはあるんだろ?」
「あったらこんな項垂れて腐った豆腐みたいに机にへばりついたりなんてしとらん。
つーかハルトマン、お前はどうなんだよ」
「……何が?」
「なにがって、将来の夢とか、やりたいこととかさ。それなりにあるんだろ?」
「ない」
「……ない?」
一切躊躇を挟まず即答で答えたハルトマンに、思わずオウム返しのように言葉を繰り返してしまう。
雲に掛かった太陽の陰りは濃くなり、ますます表情が読み取れなくなってそれを読み取らんと一層注視したときだ。
ハルトマンは一言だけ、か細い声で呟いた。
「……目下のところ、『エギアダルド』の世界……救えたらいいなって、思うんだけどね」
「……悪い、聞き取れなかった。なんて言った?」
「ああ、ゲーム作り上げるのが、目下の目標かな、ってさ。話をしっかり完結させ明きゃあならないからな」
「とすると、将来的にはクリエーターとかライター志望かねえ」
「しばしば「厳しい」って話を聞くけど……それもアリかもな」
――晴れ間が覗いたようで、少し物憂げな表情のハルトマンが一瞬目に焼き付いて、言葉が出なくなった。
そこまで話したところで、クラスメイトが教室の中に入ってくる。ハルトマンはクラスメイトに挨拶をすると、丁度いいと言わんばかりに「また後でな」と手を振って立ち去っていった。
――立ち去るハルトマンを目線で追って、教室から出たところで黒板の上にある時計に目線を僅かにやると、ホームルームの予鈴が鳴るちょうど5分前。
「今日はなんだか、奴のいろんな面を見た気がするな……」と内心に漠然とした感想を抱く。
一斉に登校してきてにぎやかになっていく教室の中、守谷は改めて机に伏した。




