57話
三人称視点。
* * * ◇ * * *
「落ち着いて。目を瞑って。
深呼吸じゃなく、ゆっくりと息を整えよう」
「……大丈夫です」
「大丈夫なわけがない。
不調は、大丈夫と言う患者の言葉を鵜呑みにしてたら取り返しのつかないことになるからね」
足取りのおぼつかないリタの体を支えながら、診察台へ腰を下ろすように促す。
玉粒ほどの汗を浮かべるその表情が苦しそうに歪むのを、見ていられないという気持ちがよぎって、マックスは内心で自分自身の至らなさに苛立った。
座らせるとすぐに内線を取って、「N23番の棚にある薬品を至急お願いします」と短く伝える。
感情を即座に奥底にしまい込んで、程なくして看護師が持ってきた注射器の針を彼女の腕に刺した。
「……これは、何の薬?」
「寝不足もあったようですから。ただの栄養剤だと思ってください」
――実際には違う。
ジゴシンやラニラピッドといった心臓の収縮力を高め、脈拍の乱れを整える効果のある薬の類だということを、彼女自身には伝えない。
まだリタの年齢では効果の強すぎるものは負担がかかるため投与できないが、「あまり不規則な生活が続くのは、医師としてお勧めしませんよ」とだけ述べておく。
……医者は患者の嘘を疑うが、患者は医者の言葉を信じる。
嘘、ごまかし、曖昧にすることもある。それらを状況に強要される医者という仕事は本当に、業の深い職業だと、マックスは少しだけ感傷的になった。
彼女はきっと、たとえ倒れて起き上がれない程に弱ったとしても諦めないだろう。
その固めた気持ちの頑なさをマックスも知っているからこそ、止めるような言葉は出なかった。
彼女もまた朦朧とする意識の中でも「大丈夫」「もう少しだけ」「落ち着いて」と、うわ言の様に繰り返す。これを見るに堪えないと思わないのは、ひとえにマックス自身が医師であるからなのだろう。
「……そのまま眠ってくださっても結構です。今日は横になったままできる検査にとどめておきましょう」
言葉を聞いているような、いないような反応。
どちらとも取れないうめき声だけが返ってきて、どちらにしても予定通りにはいかない現状であることにマックスは辟易する。
苦しそうに胸元を押さえる手を退かすため握ると、見た目の華奢な細腕からは想像できない程強い力で手首を掴んできた。
爪が食い込んだ部分は、皮膚に食い込んで血が滲む。
「ドクター、その子は……どのような病気、なのですか?」
薬を持ってきた看護師がおずおずと小声で訊いてくる。リタが受付を後にした時に声をあげていた、新人の青年だった。彼が恐る恐る訊ねると、マックスは僅かに青年の方を見て、すぐにリタの方へと視線を戻して、言葉少なに告げる。
「田島クン、だったかな。……サルコイドーシスはわかるかい?」
「は、はい、ええと……腫瘍の一種でしたっけ」
「正確には、細胞肉芽腫。多臓器疾患で、年齢や場所を問わず発症する病気だ。今の彼女には、心臓にそれが出来ている」
「今の……ということは、以前にも?」
「呼吸器にね。7歳か8歳の頃から兆候が見られて、10歳の時に治療にしたそうだ。
そのの治療の甲斐あってか、呼吸器系は治っている。
今にしてみれば、その時点でほかの臓器も検査したら良かったんだろう。心臓の方でも発症していることが後々に発覚して、今に至るわけだ。
それが見つかったのは……かれこれ3年ほど前だったかな。
部活動の最中に、突然ばたり! ……だったそうだよ」
マックスが脅かし気味に僅かに凄んでみせると、予想以上に身をびくりと跳ね上げて、そのまま床に尻餅をついた。余程驚いたのだろう。その様子をよそに、マックスは続ける。
「日本にはドナーによる臓器提供を受け、手術をするために半年前にドイツから出て来ています」
「……ドクター、サルコイドーシスはたしか日本よりもヨーロッパの方が症例は多くありませんでしたか?
だったらわざわざ日本に来る必要もなく向こうで治療できたのでは……」
「症例を見るのはいいことだね。でも、今後は部位ごとの傾向も注意しておくべきだね」
ヨーロッパでは呼吸器系の症例は多い。
ただ、心臓となると途端に傾向が変わってくる。
「こうした部位を選ばない病気というのは、遺伝的な側面、環境的な側面など多方面からの見地が必要になる。世の中にはまだまだ理由の解明されていない病気や症状が山ほどあるからね。
君がこれからも医療に携わっていくのなら、見識を深めてより勤勉に務めなさい」
新人の職員とはまだあまり会話がしたことがないマックス。彼が顔で怖がられているのは長い付き合いなら察しもつくだろう。
それを知らない青年は、見た目と裏腹な優しい声掛けに面を食らったのだろうか。尻餅から立ち上がってしばらく、あっけにとられた様子で立ちすくんでいた。
その様子をよそに、微かな声が挙がった。どうやらリタが目を覚ましたらしい。
「……マックスさん?」
「ああ、薬が効いたかな。落ち着いたようで何よりですよ」
「検査は……」
「外は日差しがきつくて、暑かったからでしょうかね。今日はあまり体調もすぐれないようですから、簡易のもので済ませましょう。
それが終わったら、お茶でも飲みながら少しお話を聞かせてくださいね」
悟られないよう静かに、掴まれていた手をそっとベッドに横たえさせる。
マックスは掴まれた痕を見て気を遣わせないように、まくり上げていた白衣の袖を解いて隠した。
医療知識について。
色々思うところあるものと思われますが、総じて「あくまでもフィクションである」こと。
これだけ、改めてお伝えさせていただきます。
もしなにかご意見感想や、お気づきの点などありましたら、一言いただければと思います。




