55話
「…………でさ、あのとき――って、あのさ、聞いてる?」
「おい、さっきの女の子見たかよ……超美人だったわ」
「えっマジで。話に夢中だった……」
「マジかよもったいない。
白いワンピースに負けないくらい色白でさ。めっちゃ顔ちっちゃくてサラッサラの金髪で、モデルみたいだったんだよ――」
人通りの多い休日。
大通りを行き来する人だかりの中に、白と金を着飾った一人の少女が涼しげな表情で通り過ぎてゆく。その可憐さに目を引かれて、今度もまた一人の青年が後ろ髪をひかれて振り返っていた。
今も昔も、目を引くような美しい女性が路上を歩けばこういった声の一つや二つくらいはきっとどこかで上がるのだろう。
かといって声を掛けてくるような人物はといえば、なかなかいない。
間近で見れば彼女の眼の色が黒ではなく青色で、傍目に見てもブロンドの髪が天然の者であるということは一目瞭然。
もしもその場を一緒に歩くものが居たのなら、染めた色ではない艶のある金色が風になびくたび、目を奪われる人を目にすることは少なからずあったに違いない。
ともあれ、その外見から外国人ということは目に見えるだろう。
それだけで日本人にとっては近づきがたい、距離を取る理由になってしまうのだ。
使えるとわかった途端にそれ以上の進歩を怠け、無駄に労力を割くもの。
例えば先ほどのような「外見・見た目で物事を判断する」といった先入観など、最たるのかもしれない。
――例えば服。
道中の暇つぶしに、服というものについて考えてみよう。
服は、文化の象徴の一つ。
現代において公共の場で服を着ないということはそれだけで異常な事であり、ありていにいえば公共わいせつ。あっさりと犯罪扱いされるだろう。モラルというのは文化発展の賜物、けれどもそれ以上に集団生活の「ルール」でもある。
ルールというのは従うもので、それに不満を抱いたもの、不便を感じた者が形を作り変えていくもの。凝り固まっているようで、あやふやで、それでも人を律するもの。
律するのは集団あってのことで、人は服のそれに『正装』を求めてきた。
着飾ることは罪ではないが、あまりに場違いでは元も子もない。
「ふさわしくない」という言葉がそれを表現するのに適切で、だからこそ必要以上に聞かざる必要、贅沢、労力。
そこに時間をかけるくらいであれば、決められたルールに則って決められた正装を身に着けるのが、最も楽で無駄がない。
――詰襟の制服はダサい? 需要はあるだろ。むしろ希少価値だ。
――ワイシャツのボタンが苦しい? むしろ無駄に着崩す方が見苦しいだろ。せめて色っぽさを身に着けてからにしてくれよ。
――おしゃれはブランドで固めればいい? 確かに統一感は出るけれど、ブランドだからいいセンスって勘違いはダメだろ。おしゃれってそういう楽なもんじゃない。
――服装が個人のパーソナリティになる? 個性が欲しいならまず考えなしの真似をやめろよな。
――女性ならばおしゃれをした方がいいに決まってる?
押し付けだ。時間の使いかたなんてのは人の自由だろ。女性に人権を、なんて路上活動している暇があるならまずその化粧を落としてから言えよ活動家。
自身が見てきた出来事を思い返して、反論を方々に念じてから、心中でその考えを捨て去る。
これも所詮は、マイノリティ。
一般的感覚ではではあるが、必ずしも全体の共有意識ではないものだと自分がもし誰かに言ったなら、最後にそう加えていただろう。
服を着ることが文化人だというのなら、集団に所属することも文化人である事に相応しいのだ。制服や正装、その場に合った服。
聞かれれば応えることは山ほどあるが、それだけで十分だった。
実際、そうした質問には少なからず興味関心の薄さを表に裏に伝えてきた。
「だっていうのに。夏美さんは容赦がない、うん。遠慮容赦ってものがないよなあの夫婦は」
……伝えてきた、そのつもりだったのだが。
彼女の部屋のクローゼットを開けば、いまや華やかな服がたくさん並んでいる。親戚夫妻の、特に夏美さんの容赦ない「くぁわいい親戚への単なる個人的プレゼントだから。着てほしいだけだから。絶対に合うから」攻撃は、瞬く間に生活スペースに彩りをもたらしていった。マックスさんは……無言で可愛いぬいぐるみを数日にひとつ部屋に増やしていくくらいだけれど。
「……お。この店、ラインナップが変わってるな。
ふうん。服の合わせは好いけれど、この胸元のネックレスは体格を選ぶように見えるのが惜しいところ」
通りすがった店のショウウインドウに立ち並んだ着飾るマネキンが目に入って、ふと立ち止まる。
――自分から選ぶだけの興味が起きないというだけであってもリタ自身もおしゃれな服自体が嫌いなわけではない。
むしろ、見る分には好きな方で、似合わない服や合わない人を見ると気に掛りすらする。
わざわざそれらの思ったことを人に指摘するようなほど強いこだわりはない。
それが自分に自信がないことの裏返しでもあることでもあることもわかっていて……怖いのだな、そんな風に感じて。
思わず口元が苦々しくも僅かに緩んだことに、ウインドウ越しにわずかに移り込んだ自分の姿が目に入って気付いて、逃げるように歩き出した。
突然歩き出したことでぶつかりかりそうになった歩行者の女性を避けて、人並みに再び戻る。雑踏に紛れると、思考もまた雑多な方向へと流れて行った。
――こういう葛藤しやすい性格をものともせずに接してくれる親戚夫妻のやさしさを自分は、なんだか言葉にしにくい、くすぐったいものに感じている。
例えばそう、今こうして歩いているときに感じる僅かに涼やかな風のように。
もしくは、あの夫妻の優しさは、この晴れ晴れとした青空みたいで。
その優しい風を肌で感じられる白いワンピースの服は、彼女にとってはちょっとした宝物みたいに大事にしたいと、決して本人たちには恥ずかしくて言えないものの、内心では思っていた。
……けれども、どうだろう。
少しだけ、その気持ちにも陰りを感じる。晴れ晴れとした空模様とは裏腹に、リタの心は細波の如く揺れ動いて不安定だった。
この服は、つい先日ショウジと出掛けたことを思い出してしまうんだ。
出掛ける時と出先で、こうも気分が浮き沈みするなんてことは今までなかったのだから当然だろう。と、一応の結論をつけてみるもの、どこか釈然としないもやもやしてしまう。
これを恋心のせいだというのなら、どうか笑えばいい。私はそれを否定しない。
否定できなかった。否定できないだろう? そうだ。否定できないままなんだ。
「恥ずかしさをおくびに出さずに言ってやったのに。……ちぇ。なんだよアイツ」
通りの角を曲がったところで、親戚夫婦の旦那の方……マックスさんが勤める大学付属の総合病院が見えてきた。
――いくじなし。
歩きの中で少しばかり汗ばんだ首筋に張り付く髪の毛をかきあげながら、誰に向けて呟いたのだろうか。
リタは、自分自身にもその言葉の矛先が分からなかった。




