49話
居合の剣閃は一瞬。
机の上にある花瓶を掠め切り、『それ』を左下から右肩へと袈裟斬りするに及ぶ。
肉を断つ感触が手を伝う。
その勢いのまま領主の前髪を僅かに切る。意に介せずに、ムラマサは続けざま躍動する。
領主と『それ』との間に割り入って、そのまま勢いを殺さずに右足で回し蹴りを放つ。右に驚きの表情の領主、左へ蹴り込んで窓へと押しやると、重さや防御といった抵抗の感触が全くなく『それ』は窓の外へと吹き飛んだ。
二階の高さならば苦にしない、納刀と共に跳躍、追撃。間髪入れずに中空で再び一閃、今度は首元を捕らえるが刀身から伝わる感触は硬質……鎧のような硬さにわずかに手が痺れを受ける。
領主の館の白色庭園……一年のうちのほとんどが雪に見舞われるこの地で、ある種の観光地のような扱いを受ける庭園。
『それ』は庭園、『白花』と呼ばれる雪の中で咲く白い花の咲く庭園の中央部へ。
ムラマサは領主館の扉を挟んで『それ』と対峙する位置に。
それぞれが着地したところで、僅かに膠着した。ここにきて『それ』が口を開く。
「あは。楽しいこと考えるんだねぇ!」
「三十路の身にはちいと厳しくてな、賛同しかねるわい」
「ふうん……もうちょっと遊びたいね。君たちの状態をチェックしなくちゃみたいだし」
『それ』が腕を前に伸ばすと、針のように黒く鋭い体が弾丸のように掌から飛翔する。咄嗟に身を左に逸らし、ムラマサの頬からほんの僅かなところを掠めた。
「チュートリアルでぇ、特典、ほしいでしょ?」
「あからさまに頭を狙っておろうに、模擬戦などとどの口が。 『乱れ独楽』ッ!」
『乱れ独楽』
名の通り独楽のように回転し、連撃を繰り出す技。
本来の獲物である直刀の二刀持ちであれば六連だが、反りのある刀身では威力が落ちる。
詰める速度と技の速さに、雪と花びらが舞い上げられる。
三連に留め。しかし、いずれも手ごたえはなく、先ほどの硬質な感触だけが手に返る。
「これでも及ばぬか……!」
「まーチュートリアルですし。その程度のレベルじゃ倒せない敵ですしー?
そんなことより『拙者』くん。すっごく弱くなってなーい?」
『それ』が腕を振るう動作の予兆に危険を感じ僅かに後ろへ飛び退くと、遅れて衣服が袈裟斬りに切れて胸元をさらす。
ムラマサの持つ脇差を真似たのか、はたまた袈裟斬りされたところまで真似たのか。
『それ』の手にはいつの間にか同じような武器が握られている。違いがあるとすればその武器は握りから刀身まで余すことなく黒塗りで、『それ』の体の一部であると思われることだった。
庭園の中央……背中に羽を広げた天使像のようなものが据えられた開けた憩いの場で、互いに向き合いつつ言葉を交わしていく。
「一応いっとくけどさぁ。倒そうとか思わない方がいいよ?」黒針の弾丸で牽制。
「倒さなかったとて、一矢報いることは叶うかもしれんぞ?」針を切り払いつつ、距離を詰め剣閃を二連。
「あ、そういうのはいいんでー」
自らも間合いを詰めて、右上、左横、と斬撃をいなす、最後に切り込み、ムラマサもまた防ぐ。そこから両者は一切動くことなく、言葉に剣技に。その場で互いに退かずの攻防を始めた。
「……なんていうかほら、ワタシってば友達思いだからさぁ」追撃。三度、四回、五撃、六連。
切り結ぶごとに『それ』が振るう刃の速度は上がり、一度に刃を振るう回数も増えてゆく。
「ワタシはやっぱり、万全・最高の状態の友達でいてほしいのよねー」
一息の内に十の斬撃。
その辺りからムラマサが徐々に及ばなくなり、腕や腹に切り傷が刻まれていく。
未だ致命傷を免れているのは最小限になるよう最大限の防御を行うからで、対して遊びといった様子の『それ』の攻撃を前に、応戦どころか防戦一方に押し込まれていく。既に服は原型を留めないほど切り裂かれて、滲んだ血潮に赤く染まっていた。
「……含みのある言葉よ。
こちらに来てから拙者に憑いている何某かと、さぞかし縁があると見える」
「そりゃあもちろん」お友達だからね!
数にして二十余り。
間髪を入れずに襲いくる斬撃を前に、ムラマサはそこで致命傷をついに捌けなくなる。
斬られる、とムラマサが思ったそのとき、予想外の出来事が起きた。
振り抜かれていた『それ』の刃の勢いは止まることなく、確かに切られただろう。
変わりに『それ』の黒い刃はばしゃりと液体となってムラマサの体を濡らした。
その合間……いつの間にか『それ』は後ろへと下がっていて、地に膝を着いたムラマサを見ながら淡々と述べた。
「方針が決まったみたいだし、チュートリアルはこれにてしゅうりょ~う
生存おめでとう、おめでとう、ありがとう、的なサムシング!
チュートリアルを死なずに耐え抜いた早期ログインユーザーに初回限定特典……
貴方には限定装備一式《呪いの武具》をプレゼント!」
「ぐ、ぬぅ……!」
宣言と共に、付着した黒い液体が、肌を食い破って体の中に入り込んでいく。
耳から、眼球から、口腔から。雪崩のように体内に入り込み、浸食していく。呼吸も出来なくなって意識が遠のくかと思えば全身を焼くような痛みが絶えることなく襲う。
質量を無視してその面積は増殖、浸食していき……ほどなくして、ムラマサの全身を包み込んだ。
体外と体内の両方から襲う苦痛と不快感に、しかし意識を失うことは許されない……拷問のようなそれが続く中、『それ』はムラマサの理解に及ばないことを話し始める。
「『拙者くん』には聞こえてないかもだけど、尊厳ヤローは聞いてるだろうから伝えます。
これからワタシは晴れてこの世界の敵となりましたので、ストーリーに従って手始めにエルフを滅ぼします。……というか現在進行形?
ともかくやったね、クエストキーマンが近くにいるよ!
エルフの次は人間らしいので……『拙者くん』、領主の交渉はうまくやらないと人間って面倒ごとになるからエルフちゃんの手助けするなら気を付けてね?」
――ああ、地獄送りにふさわしい罰だ。
まとまらない思考の端。ふいに、自虐的な思考を抱いたところでムラマサの全身へ及ぶ浸食が収まった。少しずつその波は退いていくが、体の内側から何かが這いまわって抜けていく感触というのは、それはそれで気色が悪い。
責め苦に耐え抜いたムラマサは、しかし不快感に項垂れて身動きが取れないまま庭園の石畳に膝を付き息を荒げる。『それ』はその様子を気に留めず言い放った。
「キミたちってあれだよねー。効率重視、ってやつ?
成長初期から勧めるのも悪くはないんだけど今回に関しては悪手だからそういうのはテコ入れするよってさ、代わりに言っとくよー。
まぁさー、異邦人なら普通の人とは違ってスキルはいつでもリセットできるんだし?
強い武器装備するだけでなんでかめっちゃ強くなれるし?
成長方針とか自由に決められるなんていうずるい存在なわけだし?
――もろもろ参照しながらバリバリ進めちゃいなよユーってことで。
おーけい? まあ答えは聞かないんだけどね!
……あと、ワタシのことは『ナミネ』で統一されていくと思うけど、その辺りは先のお楽しみってことで」
まるで友達と挨拶をするかのように、「またねー」と声を掛け、ナミネは溶けるように足元の影に沈んで消えた。
雪の舞う、花も景色も何処までも白い庭園。その中で、唯一黒かったモノが消える。
しかし、生き残った……あえて生かされたムラマサの衣装もまた、黒く染まっていた。
「これ、は……忍びの里の……」
手には黒い刀身が二刀。その装いは、斬られた白いぼろ布から、黒い忍び装束へ。
自らの装いを確かめる間もなく、緊張の糸が切れたムラマサの体が限界を訴え、意識はそこで途絶えた。




