47話
今後の更新時間の方針などについて、後ほど活動報告に掲載させていただきます。
お時間ある折に一読いただければ幸いです。
「――――|Oh mein gott《なんてこった!》」
画面に表示されていた首なしの死体。それだけでもエミルは嫌な予感がしていた。それなりに理解が早い思考をしているエミルは、先の展開がどことなく救いのない方向へと流れる予感はあった。
……あったとして、こんな展開は全く予想していなかっただろう。
首なしの胴体から飛び出した、黒い影。
もしその場に居合わせたとしたなら、そうとしか見えないはずだ。
ムラマサたちの位置からすると偉い人が座る執務机の背には大きな窓がある。西寄りに窓を用意し、陽光を取り入れて出来るだけ遅くまで仕事をしようという、灯りに乏しい時代背景が見て取れるデザインだろう。
日で焼けないように戸棚の容量で書架に仕切り戸が立てられているのも良い工夫だ。今は閉められているが、どれも高そうな背表紙の本が立ち並んでいるのだろう。
執務室らしく、そこには敷き詰められた緋色の毛皮の絨毯と大小いくつかの棚しかない。けれど調度品は机に置かれたインクの瓶や書類受け、どれも装飾が一級品だということが分かるくらいに丁寧な作りをしている。
その基調は白と青で統一されていて、部屋中が色合いと混ざり合って紫に染まったかのような錯覚。
――日光は夕暮れ、日の沈む間際だ。
西日が差しこんでいるからムラマサたちにとってはまさに、ちょうど窓を背にして逆光の中の出来事ということになっていた。
逆光の中、首のない死体のその全身が身震いするかのように震える。
――やがて音もなく、首筋から何かが這い出した。
流動的で、形状は不定形な液状の物体が、もぞりと膨れ上がって顔をのぞかせる……もはやそれだけでも、十分に尋常ではない。
それに拍車を掛けるかのように、目の前の状況を名状しがたい自体が重なることになる。
眼球だ。いくつもの眼球と、唇。這い出したそれに、突如としてそれらが発露する。
とってつけただけの飾りのような目と口は、部屋中を見渡して薄気味悪く笑ったに違いない。ぐずぐずに形が定まらない口角が何度も形取り吊り上がっては崩れるを繰り返す。
いくつもの口、いくつもの目。
形はそのままに黒一色、艶めいて光っている。光沢は部屋の色を映して、表面にわずかな色彩を帯びて見えていた。人間を構成する一部分が不特定多数に存在することの恐ろしさを、本来あり得ない色艶が相乗して凝縮し内包せしめていた。
――しかもそれは、まさか! そんな!
あろうことか言葉を発しようとしているのではないのか!?
「それに我々を理解することがが出来ようとも、それを我々が理解することが出来ようはずもないのに。言葉を交わす? そんなのあり得ない!」
喜色満面、怖いもの見たさの子供のようにエミルはそう叫んで……喜んで恐怖した。
暗室でスプラッタ気味なホラー映画全般のドッキリをみるような、唐突な衝撃。
エミルは思わず椅子ごとひっくり返りそうになるのをすんでのところで食いしばって留まった。
「ガチガチのコズミックホラーな要素なんて最近とんと見なくなったからって、この使い方はずるいよ、リタ、ずるい!」
興奮冷めやらぬ様子でドイツ語と日本語の入り混じった言葉を捲し立てるエミルをよそに、場面は進んでいく。
『「初の快楽殺人、おっめでとうございま~す。初回特典には、わ・た・し・を。プレゼント!」』
画面上ではまさにホラー映画ならば見せ場のシーン。黒くつやつやとした液状の何かがまさに発言していた。
言うや否や、机に座した領主の後ろ、刃物を突き立てる飛び掛かる。
その発言と出来事に、興奮と同時に冷静さも取り戻してゲームパッドを操作し始める。
エミルもまた、興奮すると同時に取り逃がしてはならない要素があることを十分に理解して、画面上の操作が受け付けないかを試し始めていた。
何の操作をしてか、やがてその情報が画面上にステータスという形でポップアップする。
「ワォ、驚いた。……こいつ、『友喰らいのネフィリム』じゃないか」
――表示されたのは名前と状態。
そのうちのプレイヤーネームは、『ネフィリム』と文字表示していて、エミルはその名前に思い当たりがあった。
それはMMORPGの時代でかなり初期のころに流行したオンラインゲームで、プレイヤーキラーをしていた有名なユーザーの固定ネームだ。
当時、有名なユーザーには英雄にちなんでか二つ名のようなものを付けて呼ぶのが一部ではやっていた時期があった。『友喰らいのネフィリム』もまたその一人だ。
他のPKと同じく、いや、彼ほどプレイヤーを殺し、殺された者は数えるほどしか居なかっただろう。
その最たる特徴は、フレンド殺し。
現代のようにネット環境も未熟な世の中。情報はユーザーの中で伝え聞いても、信ぴょう性がないと切り捨てられて共有され切らないこともままあった。PKのような情報であれば共有されてもおかしくはないのだが、それはなにかうまくやる手立てがあったのかもしれない。
最初は初心者狩りで。勢いがついてからはクランぐるみで集団PK。段々と規模が大きくなっていった。
忙しくなってきた時期と重なって参加しなかったエミルの聞いた話では、最終的には街に拠点が作れるアップデートを皮切りに、犯罪系の集団の中でもトップクラスの要塞を築いたほどまで行き着いたという。
その最後は、公式イベントも顔負けの大規模なギルド戦。
生産系から戦闘系、果てはエンジョイ勢のギルドに他の犯罪ロールプレイギルドまで。
敵味方入り乱れて様々なギルドが総出でお祭りのようにギルド戦を宣言し合い、その悉く、ネフィリムのクランは受けて……
ギリギリのところでネフィリム陣営の敗北。そのクランは全財産を分配の上、解散という形で終止符を打ったらしい。
『友喰らい』はその後も懲りずにPKロールプレイを楽しんだそうだが、最近はあまり見かけなくなっていた。
一度そのゲームのイベントで顔を合わせたことがあって、そのとき気になって聞いてみたらこんな風に言っていたのをエミルは思い出す。
「最近のゲームも、まあ面白いんだけどね。私は健全に楽しみたいのよ。犯罪をさ」
それは思春期の子供が反抗的になって悪いことに手を出すようなものなのだそうだ。悪意のない、悪意を及ば差ない形で健全に『犯罪』が出来るのなら……できなかった人生を、ゲームでくらい一度はしてみたいものじゃない?
そんな風に笑っていたのが、当時まだ十代の少女だったのだから世の中は面白い。
エミルにとってはどんな強面のだんせいかとそうぞうしていたものだから、そもそも外見の時点で非常に面を食らった気分だったのだが。
「しかし彼女、ずいぶんとまあ楽しんじゃってるじゃない?」
感慨深く思い出に浸ると同時に、そこでエミルは少しだけ悪戯を思いついた。
ひとの表情は二転三転して変わるもの。
しみじみと昔を思い出す優しげな表情が、今度は面白いものを見つけたジュニア・スクールの生徒のようなものへと変化する。
プレイ開始から開いていた、アプリケーションの画面を触る。
やがてそこに表示された、『周辺のプレイヤー情報』からネフィリムを表示して、UIを操作していく。
表示するのは『フレンド申請』の画面。
「『【友ゆえに、友だからこそ、喰い合おうじゃないか】、しかし今世のお主には、拙者が殺せるか? 親愛なる尊厳死を S・D よりあなたに』」
申請にメッセージ……【友ゆえに、友だからこそ……】とは、彼女とイベントで親しくなったエミルがゲーム内で一戦交える前に使っていたやり取りだった。S・Dは当時のあだ名だった『Sterbehilfe Doktr』頭文字、これでおそらく気付くはず……それを付け加えて、申請を送る。
するとすぐに、『尊厳で腹は膨れないのさ!』と短い文章がアプリ内のメッセージで飛んできて、受諾がされた。
「さあて、面白くなってきた」
画面上で、首なし死体から飛び出た黒い何かが『ネフィリム』を包み込んでしばらく。テキストボックスを占めるうめき声や言葉にならない周囲のNPCの驚愕を表す台詞はなりを潜め、やがてやや小さくなった姿の『ネフィリム』のアバターが姿を現す。
『ああ、やだもうこの体、最高じゃないですかー。願い事叶ったり!』
人の形をした黒い影が、窓の陽光を浴びて微笑みながら産声を上げたように思えた。
ディスプレイに表示されたステータスもまた、物言わず更新される。
名前の表記は『ネフェリム』のまま。しかし状態の表記を『健康』から『依り代:渦』に変化される。
それらの変わり映えを素知らぬ顔で、黒い姿がひとつ身振るいした。




