44話
「い、痛いだだっ、 むぐ」
「神妙にお縄につくがいい」
「きさま、こんなことしてただで済むと思って……」
「無論ただでは済まされんな。巷で噂のひと殺し」
「……」
「途端にだんまりか。まあ、安心せい、傷は綺麗に切った。そのうち治るわい」
部屋を後にしてからものの半刻といったところで、ムラマサは戻ってきた。
無事に帰ってきたところをを見て、レーグトニアは安堵し、すぐに呆れた表情へと変えて出迎えることとなる。
怪我もなく戻ってきたムラマサとは裏腹に、門兵の傷は痛々しい。左肩からムラマサに抱えられた男の足首と右肩は血まみれで、その声は喉を突かれたのかひどく掠れていた。
「……これはまた、随分と手荒に捕らえてきたのですね」
「さしたる苦労もなし。呆気ないものであったぞ?」
「この有様のどこに苦労がないと言えましょう……しかしこれほどの手際、一体どのような修練を積まれてきたのですか?」
ムラマサの衣服には、担いだ部分も含めて血がついた様子は見受けられない。白一色であるから、もし少しでも血が付着していれば見逃さないだろう。
疑問に思ったレーグトニアの言葉は、それこそ呆気なく返される。
「なに、戦乱で人の生き死にに関われば否応なく身につくものよ。
自慢するようなものでもあるまい」
どこをどのように傷つけるとどうなるか……そうした『コツ』を、ムラマサは知っている。
肩筋に通る部分は肩から腕を支えるから、そこをうまく断てば腕が上がらなくなる。足首に通る筋ならば、負担が大きいと立てなくなるし、張り詰めた状態で切れたなら立ち上がれなくなる。そういったものだということを、常々説明するようなこともあるまいと、話題を煙に巻く。
「こいつが、右足に剣をさしてきて、気づいた時には、喉と肩も……!」
「と、いうことさな。顛末はさておき、これからどうするかだが」
「……その前に、事実確認を行いましょう。これを使います」
そう言って、レーグトニアは革鞄から一枚の巻物を取り出す。
「……それは?」
「エルフ固有の共通言語……『フィウェレン第三古代語』は、虚偽を言葉にすると互いにその嘘が認識できる魔法言語のようなもので構成されています。……このことはご存知でしょうか?」
「ふむ。知らぬな」
「詳細は省きますが、この『共知の巻物』と呼ばれるインスタント・スクロールは、使用者が対象と感覚を共有することが出来るものです。その中でもこれは少々特殊なもので、相手に黙秘をさせることなく、なおかつ『フィウェレン第三古代語』で会話をさせるというものなのですが……」
「まったく分らん。見るが早いな、試してくだされ」
「時間も惜しいですからそうさせていただきましょう。
アイテム使用」
巻物を広げてレーグトニアが宣言すると、書かれている文字がうすぼんやりと光り始める。ムラマサは、ここからさらに何かすごいことでも起きるのかと目を見張っていたが、「これで準備完了です」と言われたことで拍子抜けしてしまった。
「使用時間に制限はありませんから、この質疑が終わったら領主のところまでこのまま連れて行きましょう。それで、質問の内容ですが……」
「レーグトニア殿から」
「分かりました。では……『汝の成すところに、嘘偽りのないことを指したるうえ貴殿に問う、この都市にて殺生成したる殺人の噂の真偽を問う。それは貴殿の成したることか』」
「だ、『誰もが正直に話すということまかり通ると信じまい』……『なにゆえに斯様な言葉、意に沿うものではない!』」
「こちらの言葉は認識できますが、貴方の言葉は一言一句、フィウェレンに変換されます。
……こちらに権限がありますから、効果の範疇を少々弄らせていただきました」
「『この文言の終わり時の来たる、正確な刻限は何時如何なるか?』」
「正直にすべて話すまでは、そのままですね」
「『斯様なことが許されたるは神の所業、神の裁きに他ならざるに、如何様なる権限を持ち合わせてか!』」
「閉鎖も相まってこの辺りにはエルフは私しかいませんから、このままでは日常生活にも困りますねぇ……あ、そうですいいことを思いつきました。今からでも聞き取りもエルフ語に変更してしまいましょう。そうすれば……」
「『ああ、ああ、神をも恐れぬとはまさにこのこと!』」
最初は憤慨、その次に狼狽、最後に恐怖……といったところだろうか。
僅かな会話をやりとりするだけで、みるみるうちに門兵の顔色は悪転していった。
中々に、場慣れしている。内容こそまったく理解できないものの、ムラマサは感心した。
言葉の掛け方、相手の状況と心理状態、それらを完全に手の内にしているのが相手の表情からよくわかる。
レーグトニアが通じる言葉で話した内容が、どこまで本当かはわからないが……
門兵からすればたまったものではないだろう。
ほんの僅かな沈黙の後、門兵は折れたのだろう、洗いざらい喋ることを選んだ。
「『……これはレドニスと名を授かる私の言葉。その言葉の一言余さず真実ゆえに、その殺生に関わりあり。
されど主たるは別の者に在り、私の成したるは金の代償ゆえの仕事を与えられ、殺し成したるに辿り着く』」
「『その仕事、レドニスの名たる汝に与えた者の名は?』」
「『霞が如く姿を捉えること叶わず、沼のように底知れず。仕事を与えたもう者の、名をナミネと名乗るもその名は真に感じ得ず』」
「『ナミネ……?』」
レーグトニアがフィウェレンの言葉で呟いて、その名前に思い当たりがないかを考え込むが、一向に思い当たる人物像はない。
ムラマサと『ナミネ』が邂逅していた時、彼女は気を失っていた。名前を話すこともなく今に至ることが、かえって仇となる形だった。
――しかしムラマサがこの場にいることもまた、それを補って余りある幸運と言えただろう。
ここでムラマサは、初めて言葉を口にした。
「ふむ。ふぃうえれんとかいう言葉、全く聞き取れん。理解が出来ん。
レーグトニア殿。彼と貴殿が何を話しているのか……要約してくれぬか?」




