43話
* * *
筋肉は心臓を動かす。
それが弱まれば血が巡らない。
骨格は体を支える。
それが脆ければ容易に立ち上がれなくなる。
痛みは健常な肉体の反応で、それがなければ体の傷に気づけない。
逃避は正常な精神の選択で、それが許されなければ心の傷が手遅れになる。
男には、心と体の双方に理解を得る機会があった。
命を救うため、心を救うため。
時には遠方まで出向き、多くを救う。
時には近くにいる者すら、救えなかった。
幾度か繰り返すことで、男は人の肉体と精神の双方を『壊す』最善を知る。
幾度も繰り返すことで、男は人の肉体と精神の双方を『救う』最善を知る。
……学んで、学んで、学んで、学んで。
それでも足りないということに気づかされたとき
男は相応の成果と相応しくない無力を覚えることとなった。
人を救うことと人に死を与えることとは、肉体に手を加えることで行われること。
男が恐怖を覚えるまで、そう時間はかからなかった。
それでも男は自問する。
『救う』にはどうしたらいい?
手にした刃を意にも介さず振るいながら、自問する。
* * *
忍び足、音も立てずに、「さて」と言い。
「内側の見張り番は……ふむ。門前にひとり、しかしあの男ではないな」
門を左手に見据えられる一番近い位置、大きな煙突のある建物の屋根の上。
ムラマサは門から見えないように煙突の影に隠れる形をとって周囲を覗き見る。
城壁といってもいいほどの高さを持つ壁、四闇に紛れてというならまだしも、雪模様とは言えまだ日が出ている。
目立ってしまうのでは、無理やり乗り越えてというわけにもいかないだろう。
門の近くに住み処となるような家屋はない。
代わりに、門を挟むようにしてやや離れた位置、両脇に比較的小さな倉庫のようなものが六つ、左右に三つずつ並んでいる。
片側に一人の割り振りで、二人が見張りに立ち、大門の内側すぐにふたり、門の中側から見て右手にある詰所と通用口らしき扉に、見張りはなし。
外側には詰所しか伺えなかったことから、構造上城壁内で三階相当の高さまで上り、外側は梯子。詰所の屋上かその近くにでも下ろされているのだろう。
厳重に、無理のない人数での警備。
悪くないが……しかしこれでは建物の影に隠れることもできず、出入りの制限の影響か、人の往来もないので紛れ混んでという手も打てない、とムラマサは悩み込む。
「あの男は門の外が持ち場。
であれば如何様にしてそこまでたどり着き、悟られることなく脱するか。
片っ端から始末するのが最も早いが、此度は不殺ゆえ姿を隠さねばならぬのは難題よ……」
物騒なことをつぶやくも、実践はしない。
今の雇い主がそれを許さないだろうと思慮を却下して観察を続けていく。
……事が急ぎである以上はあまり時間をかけてもいられない。
そう考えて門外への出入りの道筋を探るべく周囲を注意深く観察していると、ときおり門の詰所に出入りする鎧姿にふと考えが思い立った。
「なり代わりは、否。重くて身動きがとれぬし、いざという時に声で露呈するようでは安全とは言えぬ……」
鎧がどの程度の重さかはわからないが、いざという時に少数で応じることを考慮しているのだろうか。かなりの大きさと厚さが傍目からも伺える。
寒冷地のため要所以外は金属の鎧ではないが、体を大きく見せる金属鎧と同じ程度までかさ増しをされた革鎧は、防寒の面も兼ねているに違いない。
予備分を拝借したところで、これを着るだけでもひと手間な上、顔を覆うような兜がないからすぐに不審な人物だと露呈する。出る折ならまだしも、忍び込むには向かないだろう。
「であればやはり、気づかれずに忍び込む。単純だがそれに限る」
先程からの観察で、人の流れはおおよそ掴めていた。
詰所に入るのはこの寒さならやむもなし。外には詰所はあれども交代要員は門の脇にある小扉を通らなければならないなら、そこから人が交代で動く瞬間こそが好機だとムラマサは判断する。
そして息を潜めてしばらくの後、倉庫の見張り番の一人……見張りに動きがあった。
「倉庫の見張りはここに来てより休んでおらぬ。
体は相当に冷えているはず……内門の詰所で少なくとも軽食の時間ほどは暖を取って休むだろう。
代わり番が居るゆえ、内門のものが倉庫番に交代、内門の番が変わることを外のものに連絡をする……好機とみた」
素早く屋根から身を乗り出して壁伝いに音を立てず降りると、低く身を屈めて倉庫まで駆ける。雪模様の中でこの白い衣装が目立つことはなく、足音もまた雪が消していた。無論、文字通りの忍び足も相まってのものではあるが、いずれにしてもそれに気づくものはいない。着地の折に手ごろな大きさの雪玉を握り込んで、そのまま移動を始めた。
雪道を駆けながら見張りの位置を頭の中で確認する。
ほかの見張りは三人、おそらくは抜けた穴を補うなうことはないが、倉庫番が向かいの方への警戒も兼ねて視線を向けることは予測できる。
詰所側から遠い見張りが暖を取りに行ったのは、まさに好機だと言えた。
物音を立てないよう慎重に……しかし遅すぎては気を逃す。
移動を始める。
滑走していくかのような速さで倉庫の傍まで距離を詰め、勢いを殺さずそのまま門を挟んで裏手に回る。
ちょうどその位置は門からも詰所からも死角。 壁伝いに歩き始めた見張りの背後へ、勢いを落とすことなくそのまま忍び寄っていく。
……数歩先。
……一歩先。
……拳ひとつほどの僅か先。
近づくごとに速度は緩め、歩調から呼吸まで合わせていく。
背筋は上体のみを程度丸く屈めて、全身は鎧姿に動作を重ね、動きひとつまで身体の線をぴたりと添わせる。
門の見張りからは完全に視線は隠れていて、倉庫の見張りはこちらに気を向けていない、いずれも雪の降る中で遠目では、こちらには気付かない。
見張り番が右手をあげて、内門の門兵に挨拶をする。
まだ気付かれていない。だがこのままいけば扉に入る際に視界に入り込む。
――ここで、振り向いてこちらの身が目に映る直前、挨拶に合わせて握り込んだ雪玉を扉と反対側へと手首の動きだけで投げ放つ。気を逸らす手段は、これしかない。綱渡りのような危うさに、ムラマサは緊張することなく息を潜めるのみ。
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……息を潜めて、気配を殺して。
やがて、外へとつながる扉へ踏み入る兵の後を忍び歩いて、露呈することなく忍び込んだ。
忍びの業前ここにあり。
内心でほくそえみながらも静かに見張りの男の後を影のように付き歩いて、誰の目にも留まることなく外への道へとムラマサは踏み込んだ。
投稿忘れたまま寝てしまっていました。
最近更新が遅そくなり気味で、楽しみにしてくださっている方に申し訳ないです……




