42話
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ぱちん、と手を打つ音が一つ。
にんまりと笑いながら、袖の余った白衣を揺らして拍手をする。思わず拍手をするほど、エミルはこれまでにない勢いで喜んでいた。「ハルトマンがここまでやってくれるなんて嬉しいじゃないか」と興奮冷めやらぬ様子で声をあげた。
「要はファンタジーお決まりの盗賊イベントなんだろ? 最高にテンプレってやつじゃあないか!
とはいえハルトマンのことだ、素直にそのテンプレ通りのものを作ってるとは思わない方がいいか。
チュートリアルにいきなりの黒幕、街で殺人、しかも人間の種族以外が犯人、プレイヤーが初遭遇するNPCはエルフで、領主とエルフは命を狙われて……ふうん。すこし見えてきたぞ?」
エミルは僅かな時間、考え込む。
育成をより効率的に行うためにメモを取るようにしていた彼は、思いつく限り、目につく限りの情報をモニター上とアプリケーションに目線を行き来させながら紙面を見ることなく書きとめていく。
「効率重視はもちろんだけれど……それにつけてもこんな分かりにくいチュートリアルを用意するのだから、ある程度の『ご褒美』があったっていいはず。
ともすれば、シナリオを楽しむのも一興かな?」
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「ムラマサ様。頼らせてて頂いてもいいのでしょうか?」
「一向に構わぬ。それと、拙者のことは呼び捨てていただいて結構」
雇い主であるなら地に足をつけて構えて居ればよい、と腰かけたレーグトニアにムラマサは快く頷いてみせた。
「さて、肝心要の領主殺害に関してだが……一つ提案があるのだ」
「提案、ですか?」
「応とも。それすなわち暗殺に在り」
案を口にしながら不敵に笑うムラマサが、レーグトニアにはいたずらを思いついた子供のように見えた。「詳細をお聞かせいただいても?」と返すと、なおのことその笑みは深く顔に皺を刻んだ。
「巷を賑わす殺人事件の犯人を、拙者どもが仕留めてみせましょう。それを引っ提げ面通るのです」
――無論騒ぎを起こすことなく。
そう付け加えて、レーグトニアに事の手順を明かしていった。最後まで聞いたところで彼女も言う。
「確認させてください。
詳細を省いているように思えるのですが、それは私に知られては策を仕損じることを考慮の内に入れていますね?」
「無論。驚きがあれば聡い人はそれを察するもの。視線の誘導も忍びの嗜みにございますればこそ」
「……では、腕を信じて事の委細は任せるとしましょう。私も焦りを感じていたとはいえ、策もなく領主に取り次いだところで一蹴に伏されるされるのが関の山でしょうからね。
しかし、ムラマサ。貴殿はその殺人犯を既に知っているのですか?」
この作戦の中で一番の問題はそこだとレーグトニアは考えていた。ムラマサはそんなことと言わんばかりに、種明かしをする。
「なに、考えればわかるであろう。先にやり取りをした、門番が殺人犯よ」
「……証拠は、あるのですか?」
「はは、レーグトニア殿が犯人だと告発されたような受け答えよな。これでは種のあっけなさに拍子抜けしてしまいますゆえ、少しだけ」
――まずは拙者の生い立ちを。
そう言ってレーグトニアに聞かせたのは、別の国から転移魔術のようなもので移動されて、気付いた時には氷壁都市の外円にそびえる氷壁にいたこと。
道中に獣一匹も出くわさなかったということ。
雪と氷で覆われたそこで、人の住む気配を感じ取って、シャルシ=ロナまで来たこと。
獣が居ないことにはレーグトニアも驚いた様子で、本当なのかと確認されたが気配は一つとしてなかったと答えた。
「拙者は目についた中で一番大きい門を目指した。それが一番、人に会うからのう。
大きいということは同時に、他ならぬ流通の往来を通す要の門ということ。
身なり振舞い言葉遣い。いずれも悪くはない丁寧な物腰。傍から見れば確かにいっぱしの門兵よな。
しかして、考えてみよ。「この時期に珍しい」だの「料金を確認してくる」だのと平気で宣うあのうさん臭さ。あげればきりがないという者のどこが、『いっぱしの門兵』と言えようか?」
捲し立てて語ってみせたムラマサに、なんら異論はなかった。
レーグトニアが街の中に入らないことで、殺人の犯人は何を得る?
「知らない存在で、尚且つ私たちのような『種族的な強さ』を持つ存在を街に入れることで、犯人が露呈しかねない不安定な要素を含めたくはなかった?」
然り、と応えるムラマサに、ここに至ってレーグトニアも一旦の納得をした。ムラマサは先程の出来事を思い返しつつ、言葉を曖昧に結論付ける。
「それだけ、というわけでもあるまいが。
……まずはなにより、殺人鬼狩りの時間よ。それでよろしいですな、主殿」
レーグトニアは静かに頷いて、応えるように一度、脇差の鍔が音を立てた。
次の瞬間にはムラマサは窓を開け放っていて、身を乗り出して向かいの屋根へと飛び移り、そこからさらに羽のような軽さで屋根の上を次々と跳ねて門へと向かう。
――それは彼女が瞬きをした、一瞬の出来事。
レーグトニアにはムラマサが音も風もなく消えたようにしか思えないことを目の当たりにして、呆然と「嘘でしょう」と呟かずにはいられなかった。




