41話
畜生、と悪態を顕わにするにもいかなかった。
ナミネは去り際を心得ていて、そのタイミングはまさに倒れた女性……紋鐘の一族の王である、レーグト二アというらしい女性が目を覚ましたからだった。
「……気が逸るのは分かるが、急に体を起こしてはならぬぞ」久しく感じたことの無い苛立った感情をうやむやにするようにして言って、棘のある言葉になってしまったことに内心でわずかに悔いつつも「倒れてからほんの僅か、運んで間もない」と伝えた。
にもかかわらず、彼女は起き上がろうとする。
「それでも、成さねばならぬことがあるのです」
「エルフ、というのか。
お主の一族はよほど性急で、決意に固いものと見える」
「それはどうも……誉め言葉には聞こえませんが世辞として受け取りましょう。では私はこれで――」
「そして急きすぎて自らの言葉を忘れようとはな。否、この場合は若さゆえか?」問い詰めるように近寄ると、「話を最後まで聞いてほしい」とムラマサは真剣な表情を向けて頼み込む。
そこでようやく、レーグト二アは気を揉む感情を抑えて留まった。
「生憎とこちらにも時間が無くなったので手短に話そう」と前置くと、彼女もそれには素直に頷く。
「伝えるべきは二、いや三つある。
一つ。拙者はなさねばならぬことが、今し方できてしもうた。
それはお主と同じ目的になるやもしれぬ……これは長くなる故、折を見て道すがら話そう。
その理由も含め、二つめ。
お主の目通らんとする『領主』が正に狙われておる。
『紋鐘の一族の王・レーグト二ア』……これはお主のことで相違ないか?」
「どこでそれを!」
「紋鐘の一族の王であるレーグト二ア、お主……否、貴殿の命を狙う者が、伏しておられるうちに現れた。結論は貴殿の存命が答えであり、そこからいくつか情報を引き出したのだが、その一つが領主の殺害計画と言えよう」
「……色々と訊ねたいことはあるけれど、今はやめておきます」
そこでようやく時間を割いても聞き入れるべきだと判断して、レーグトニアはベッドの上に腰を下ろした。「時間も惜しいが休息もまた必要ぞ」と先の受付の際に購入した黒いパン、それに水差しで持ち込んだ水を木の器に注いで差し出した。
「聞きながら食うとよい、途中何かあれば頷いて申していただきたく。
――まず、最優先目的としては『領主の殺害の阻止』。これは外せぬ。貴殿も拙者も領主に目通ることこそ目下の目的と言えよう。
だが、それにはいくつかの問題が生じる。
……ひとつは『領主にすぐにでも目通る手段』がないこと
……ひとつは『暗殺を防ぐために警戒をする、させる手段』を間違えられないこと、この二点。これまでに疑念は何か?」
ムラマサは抑揚のない事務的な言葉で「なければ首を横に」と伝えると、パンをかじりながらも横に振った。
だが同時にレーグト二アは、異論はないが、もの申したいこともあった。食事の手を止めると頬張った中身を嚥下して話し始める。
「そこから先は推論で話すより情報のすり合わせが必要でしょう。私の目的を話すわ」
「それは得難い。是非にお頼み申す」
「私の目的は……大きい意味での目的は、『各種族の結託』。
伝承に伝わる世界の危機が、訪れようとしている……『音なるる影』という名前に聞き覚えは?」
「在らず。この世界における知識は、今はさほどないと存じていただければ」
「それは……いえ、今は予断を許さないわね。話を進めます。
『音なるる影』をはじめとする世界の異変、その兆しをエルフの民は周知したのよ」
――エルフ最大の人口を誇る領地、東の森・エリス。
「……その地に住むエルフほぼすべての、死の知らせを伴って」という。ただでさえ悪い顔色を殊更青ざめた面持ちになりながらもムラマサに伝える。「このことはまだ人族や他の種族にも知らされていないけれど」とも。
「だからこそ、他国や他種族への助力を仰ぎたい、と?」
「そうです。
でも何よりの問題は、我々エルフのどの種族も、それの全てを知るわけでもなかったこと。
だからこそそれを、その終わりがどのようなものかということを、先代の『紋鐘』と『毒』の王は必要だと判断した」
レーグト二アは懐に抱えた革鞄から、丈夫そうな包みと紐で一纏めにされた、紙の束を取り出した。
「これは、かつて人の女と恋に落ち結ばれたと伝えられる第三の竜の遺したもの。
彼が世の去り際に残したとされる十と四つからなる碑文……『薄闇の伝承』」
――そのうちのエルフに伝わっていた一文を、文字に転写したものです。
レーグト二アはそう述べて、表紙書きを指し示す。
「エルフに伝わるのは、第三章の一部のみ。
神代の時代、創世から各々の種族の誰かがそれを所有していて……」
「それが、ここの領主かもしれないというわけか?」
「はい。
きたる滅亡の予言への備えとして多様な種族が結託する事への一歩もさながら、それを調べ、収集し、読み解き、抗う糧とする……それが、希望」
――前王だった母上が、私に託した希望です。
だからこそ成さねばならない、レーグト二アの言葉が、ムラマサには今にも燃え尽きてしまいそうなか細い蝋燭の明かりのように感じた。だからこそ、ムラマサも言う。
「三つ目。拙者が『雇われた』以上、主たる貴殿に最大限の助力をもたらすことを約束致しましょう。
……故にゆめ忘れ召されるな。貴殿は今、ひとりではないことを」
――頼ることと、支え合うこと。
これが伝えるべきことの三つ目だと精一杯の笑みを浮かべた不愛想な三白眼の忍は、しかし飲んでいた水を噴き出して、「その笑顔は似合わないからやめたほうがいい」とレーグト二アに笑って返された。




