36話
* * * ◇ * * *
「3……2……1──」
カウントダウンがゼロになると設定していたアラームが鳴った。
設定した当のエミルはかれこれ三十分ほどデスクトップに張り付いて開始はまだかと待ちわびていたため、念の為にと設定していた携帯のアラームは無駄になってしまう。
スピーカーからアニメソング──『次元跳躍! 美少年神代魔法少女 めでぃかる☆アイオーン』に出てくる神代院アイネと臥桐ノイエのキャラクターソング「☆恋の病★は切除不能」──の軽快な少年声のデュエットが流れ出す。
ハルトマンから紹介されて「めでぃかる☆アイオーン」にハマってからというもの、エミル一番のお気に入り曲だった。
かわいい少年声が日常生活では耳にすることもないような難しい病名を早口でまくし立てる歌詞の、この何とも言えないテンポの良さ──中毒性が高い、いわゆる電波ソングというやつなのだろう──がわりとやみつきになる。
……冗談にするには治療法のないものや重い難病ばかりで不謹慎という感はある、けれどもそれは、見方次第。上辺で語らず作品を観たのなら、不謹慎なんて言葉を軽く言えなくなるのが「めでぃかる☆アイオーン」の良いところなのだ、とエミルは思う。
──なによりも、あまり知られていない病名を少しでも知ってもらえるという意味もある。だから、エミルはこの曲が特に好きだった。
「ふふふん~ふふ~ん~『エリテマトーデス★サルコイドーシス☆まてまてまてまてそれは違うぞ★患者に対して御診断など人命軽視もほどがあるっ!』 ──ふんふふん~」
時折歌いながら、鼻歌交じりにキャラクターメイク画面を操作して、圧倒されるほどの量の設定を尋常ではない速度で進めていく。アラームを掛けておいた携帯とは別の端末画面には、既にアカウントを入力してログインを済ませるだけの状態にしてる周到さを見せる。
──アラーム設定した楽曲の総時間は3:10しかない。その時間の中で数時間もかかると言わしめるキャラクターメイクを済ませることができたのには理由があった。
スキル欄のほとんどの項目は、『未振り分け』のままなのだ。
『微々たるものだが、未設定状態で開始するとステータスの伸び代が上がる……そういう効率にこだわるの、好きだったかなってさ』
ハルトマンからメールのやり取りでいくつか質問をした中で、特にその情報がエミルの目を引いた。
話によればステータス設定はアプリに依存させてゲーム内で「遊ぶこと」に集中させたいという考えらしく、過去の作品をプレイしながらステータス設定を構築している時に考えついたそうだ。
初期段階からある程度楽になる強さを持たせてレベリングのストレスを減らすもよし、初期状態から進めて厳しいながらもステータスの伸びを重視するもよし。
βテストだからこそどちらも取れる手段のように思えるが、それでも難易度の調整やレベルングの面倒さを鑑みてユーザー視点でプレイヤーの層を少しでも広くしようという気概が見て取れた。
そうした情報のいくつかを得るごとに、エミルはいつにも増して高まる期待に胸が踊りだす気分になっていったのは当然の流れだったといえる。
そして三分ちょっとの曲が流れ終わる前に、エミルは名前を除いて作成を終えた。
「名前は悩むなー。
『逢切』……微妙? 『切子』……読みが『きりじ』だと語呂が悪いし『きりこ』かな、いつも使ってる村正……はいいけど漢字だと捻りもないなァ……『キリコ・ムラマサ』──うん、これで行こう」
額に鉢金、背には直刀。全身を黒く染まった忍び装束の長身痩躯の男。エミルは『キリコ・ムラマサ』と名前を入力して、デスクトップに表示された決定ボタンをクリックした。
悩むと言いながらもものの10秒足らず。決定を押すタイミングで、ちょうど曲が終わった。
* * * ◆ * * *
ある男がいた。
男は従者で、影の者だった。
忍びと呼ばれた者たちの中でも抜きん出て腕利き。
その者に掛かって生き残ったものはいなかった。
しかし、敵なしは本人のみの話……
時が経ち、主の娘子にも忠義を誓って長らく経った頃。
男が仕える主が恨みを持っていた他所の領主に謀略に嵌められて娘子は誅殺されそうになった。
──男は主の娘子を取り囲んだ悪漢どもを人ひとり残さず切り伏せた。それこそが罠とは知らずに。
男の切り伏せた者の中に、謀った領主の息子が居たのだ。当然の顔をして、その領主は息子を殺すだなどなんと非道な、と責任を追求した。その要求は一つ。
『最高にして最後の忍び』と呼ばれた、その男を処刑せよ、と。
「罪人よ、面を上げい」
──空中都市・「オエドガハラ」。ハイブリッド科学忍術で浮遊するその都市の、統治機構のなかでも国に4つしかない、最高裁判所にあたる裁判施設『セキ=ショ』……そこで、一人の重罪人がその処遇を今まさに受けようとしている。
「罪人の罪は重く、その罪は死罪を以てしても拭いがたい……しかしながら、その罪の理由はひとえに主への忠義であることもまた、軽視しかねるものと決議する。
──罪状はヨモツヒラサカとし、その期限を生涯にわたるものと定める。これにて落着!」
死罪ではないことに意義を申し立てようとしたものも、その結論を前に沈黙する。
それは罪人にとって、主のもとへと戻ることを許可しないという、死よりも辛い沙汰であった。
ヨモツヒラサカ……オエドガハラでは『地獄』として認識される。それがなぜ刑罰にと問われれば、帰還用の印を持って向かった陰陽師が「あそこは地獄、地獄じゃ。人の踏み入ってはならぬ場所……」と残し、一週間の後に死んだからだ。
検証のために送られた者は一様にそう述べて死んで、それを何度も繰り返した頃。見切りをつけるという意味で「生き地獄ならばいっそ、刑に組んではどうか」と37代目のエンシェント・ミカドが述べた。以来数百年、この流刑は最上位の刑として続いている。
──そして今、男はその最上位の刑罰を下され、まさに処されようとしていた。
「ムラマサどの……どうか、どうか、生きてくださいまし」
法定に正座した罪人へ、証言人の待機する傍聴席から一人の少女が声をかける。声を聞いてか罪人はわずかに微笑んだが、何も言わずに黙したままだった。──温情心より感謝致します我が主──彼は心の中でそう呟いた。
ほどなくして座する罪人の前に、文様の書かれた藁敷が陰陽師によって運ばれてくる。
立ち上がり、二歩、またそこで正座を行う。すると両隣に控えた陰陽師が何事かの妖術めいた文言を呟いて、敷物が淡い光を徐々に放ち始める。
「罪人よ、最後に何か申すことはあるか」
「感謝致します、奉行殿。なればこそ影めは、主に送るではなく、言葉を頂きたく」
「……それはまかり通らぬ。──刑を始めよ」
男はその言葉に無情なりと諦める嘆息をつくものの、奉行の言葉の僅かな間に「この御仁ならば、何か述べようとした言葉があったことを主に伝えてくれるだろう」と安堵する。
そうしている間に淡い輝きは光の強さを増し、視界が眩むほど輝いて……
──数え切れぬほどの修練を重ね
数え切れぬほど死地を彷徨い
数え切れぬほど殺した男
数え切れぬほど救った男──
今に名はなく、幼名は切子……その忍び名を『逢切村正』
輝きが収まった後、少女にムラマサと呼ばれた男は二度と戻れぬ遠い地へと消え去った。




