30話
* * * ◇ * * *
「ただいまー」
「お帰り飯当番、オーダー入りまーす、のろけ話定食一丁ゥ!」
「ねえよそんなもん」
「ま、生モノだからな~ 冷えてちゃあ食えぬのですよ、ええ」
「言ってろ。飯用意するからちょっと待ってな」
食事の支度を始めていく。
野菜は細かに切ってスープに、付け合わせは冷凍食品コーナーで安売りしていたコロッケ。これはレンジで温めて食べることも出来るため万一遅くなっても姉が一人で食事をとれる利点がある。もちろん油で揚げたほうが触感をおいしく頂けるからフライパンを温めながら油の準備を進めてく。
――スープを煮立てて油を温める間に付け合わせのキャベツを刻んでいく。
姉が席に着いてこちらの方をちらりと見やって、満面の笑みで言い放つ。話も片手間に守谷は調理の支度に動いていた。
「アツアツの~コぉロッケ~」
帰宅からすぐに料理を要求されたことは、この時ばかりは守谷としてはかえってありがたいとも言えた。
「……料理してると余計なことを考えなくて済むな」
「――それがゲームキャラクターに必要か?
現実でいろんな悩みがあるのは分かる。ストレスだったりトラウマだったり、執着でも妄念でも構わない。その積み重ねが人生ってもんなんだろ。そんなの誰だって抱えてるもんだからな。
……でさ、何のしがらみもない世界にまでお前がお前自身で向き合うべき悩みを勝手に持ち込んで、その悩みを、アランが解決できるのか?
出来るなら、しようとするのならこれ以上は何も言わない。そいつはお前自身が向き合う問題だろうから。
でも、もしも自分で解決しようと思いもせずにコンプレックスを、執着するものをただ無責任に押し付けてそれを誇示したいだけなら……聞いてやりたいもんだ。
――お前はこのゲーム世界で、アランに何を背負わせたいんだ?」
喫茶店でハルトマンがぶつけてきた言葉に、守谷は意気消沈してしまった。何も言い返せず、向こうも何も言ってこない。最後に一言だけ「ゲームだからって変に気負うなよ」とだけ残して、そのまま先に帰っていった。――先に帰ってしまった、なにも言えないまま呆然として、アプリ上に表示される【アラン】をぼんやりと眺め続けた。
姉からの催促がアプリを遮って通知に何度も出たところでようやく店を出たときには、既に日が暮れていた。慌てて夕食の買い物を済ませて帰宅した頃には姉はオカンムリ。手軽に済ませられる料理で納得してもらえるかといえばそんなこともなく……
「で。その様子だと……なんかやらかしたんでしょ?」と、根掘り葉掘り訊かれるパターンに入ってしまった。
「ほれ、話してみなさいよ」
「話してってもなぁ。
普通に出かけて、普通に映画見て、普通にウインドウショッピングして……喫茶店で話し込んで、それで解散だよ」
「喫茶店ねー。そこでどんな話したのよ」
「話は、話だよ。身の回りのこととかゲームのこととか」
「――ふうん」
話ながらもてきぱきと進めて、すぐに支度は整いテーブルに並べてく。
台所寄りの端の席にお互い対面して腰を掛け、二人そろったところで「いただきます」と挨拶をして食べ始める。リビングに置かれている六人掛けのテーブルが、妙にいつもより広く感じた。
「ね、その喫茶店でさ、碌でもないこと話したでしょ」
「んだよ、碌でもないことってひどい言われよう――」
「自分のこととか話したんじゃない? だとしたら、碌でもないことだなーってさ」
思わず箸を動かす手が止まる。
「べつにそれ自体が悪いだとかは言わないよ。相手に自分のこと知ってもらいたいのは気持ちもわかるし。でもなぁー」
「でも、なんだよ」
「めんどくさくない? そうやって、『過去にこれこれこういうのがあって~』みたいな、不幸自慢とか、経歴自慢。限度はあるし話の内容にもよるけど、行き過ぎるとわりとうざいじゃない?」
「まあ、たしかにな……」
「そこで面倒な話もオチがあるならいいんだけどね。オチがなかったり、何も生産性が無かったりするとねぇ……『コイツ、何がしたいの?』ってなるわけだよ昌司クン」
――自分でも、くだらないとは思う。
過去にどういうことがあったにせよ今いる自分はそこにいる自分だけ。過去の積み重ねによって今いる自分が出来上がっているけれども、これからの自分がどうするかをそれに振り回されるのは、褒められたものじゃない。ましてやそれを延々と聞かされたなら、あまりいい印象は持たない。
きっと、ハルトマンもそういうことを言いたかったのだろう。
自分自身の出来事を語るのも、それにこだわってあれこれ考えるのもその人の自由。
……けれどそれらを、人任せにしちゃいけない。人任せにして、自分でどうにかすることを手放して楽に生きるなんて選択は何も考えなくていいんだから、あそりゃあ大層気楽だろう。傍からしてみれば迷惑極まりない……まさに『コイツは何がしたいんだ?』そのものだろう。
「でも」
「でももだってもないの。うじうじ悩んで、解決できないままなのは構わないけどさ。それを誰かに押し付けて一緒に背負ってもらおうなんて我儘甚だしいっての。ましてや相手は女の子よ? デート中よ? そんな時に相手が暗い顔してたら、そりゃ百年の恋も冷めるってもんよ!」
「しず姉……それ言いたかっただけだろ」
「なにおぅ? 言いたかったのは確かにあるけど、まじめな話をしてやってるのになんだその言い方―。姉さん、ご立腹なのです!」
箸がこちらに伸びたかと思うと、半分残ったコロッケをかっさらっていって止める間もなく口に運んだ。
「ちょ、最後に取っといたのに――」
「姉のご高説を無下にした罰です。罰金なのだフハハハハー!」
「ったく、まじめかと思ったらこれだよ……」
「ま、これに懲りたら早めに軌道修正しないとってことよ」
「……善処します」
「よろしい、ならばおかわりだッ!」
「へいへい、いつもの量でいいかね」
「おけ~」
茶碗を受け取り席を立って、炊飯器の米をよそう。
いつもの風景、小骨が喉につっかえたような感触。
「アランは、何がしたいか……か」
幻想に想いを馳せて、青の世界で何をしたいかを考える。
「何か言ったー?」
「いや、姉さんにも悩ましさを味わってもらおうかと思ってな。よろこべ、明日の夕食は小骨の多い魚フルコースだ」
意趣返しとばかりに翌日の夕食メニューを伝えてから、あることにはたと気づいた。
「そういやしず姉、後輩にゲームを紹介したって言ってたけど、こっちの知ってる人だったりする?」
「ん? 話聞いてないの? ほら、しょーちゃんの部活の部長やってる、里見ちゃんだよ」
「……マジで?」
「まじまじ、ちょーまじ」
考えが前向きになってきたところに、突然の不意打ち。
あまりの驚きに、危うくもう少しで茶碗を落とすところだった。




