2話
賑やぐ食堂の片隅で、ハルトマンの説明をかみ砕きつつ時折質問を挟みながら、整理していく。
――まず、クローズドの制限として、三つの大枠が設けられている点。
ファンタジー向けのエディットサポートが豊富な『ファンタズム』、現代に類する内容を重視する『ロア』、近未来や宇宙空間、別惑星といった遥かな未知を創りだす設定向けのエディットが可能な「チャイルデッド」という区分けが存在する。これらに名前があるのは、後々に推奨サーバとしてオンライン管理を見据えたものなのかもしれない。製品版ではこの限りではなくなるという話だが、曖昧に濁している辺り、そこはあくまでもβ版だ。テスターのプレイング次第といったところなのだろう。
「チャイルデッドは、『幼年期の終わり』が元かね」
「だろうな。クリエイターの見識の広さには舌を巻くよ。おれが使うのは『ファンタズム』だけど、余裕が出来たら『チャイルデッド』も触ってみたい。SFファンタジーなんてのも挑戦し甲斐があって面白そうだしな。無論、『ロア』をベースに現代ファンタジーも腕の見せ所だろうな。肝心のシステムなんだがこれが各区分けで毛色はかなり変わる。後々実装されるワールド間の往来も予定されているらしいからな。細かい説明は省くが――」
話を聞けば聞くほど、なるほど。ハルトマンが「そこまで」と言わせるほど、一口に説明することが容易でないものだとよくわかった。
誤解を恐れず端的に言ってしまえば、作るうえでの制限がほとんどないのだ。非常に自由度が高い。フィールドやエネミーの設定はもちろんのこと、文化や歴史、変哲もない村人NPC……ノンプレイヤーキャラクター1人の出生から生い立ちすらも、設定しようとすれば出来てしまう。
例えば、オーナーが世界を開始した直後。いきなり人類滅亡の危機だとか、戦争真っただ中なんて極端なことも出来てしまうってことになる。レギュレーションの調整が難しいからといってバランスをとりづらいかと言われればその限りではなく、初心者や不慣れな人でも扱えるよう、あらかじめ用意されたデータを利用、組み合わせることである程度の自由度を引き出すことはできる仕様になっているようだ。
ハルトマン自身はする気は毛頭ないようだが、「ゲーム」として世間一般からも嫌遠されがちな不快にさせるだけの内容やただひたすらに残虐で悪影響とされ得るものですら、容認できてしまう。もちろん最低限の制限や禁止項目はあるようだけれども、世界を作る側である存在をプレイヤーに一任する以上、制限を絞っていたらきりがないのだろう。
――まあ、どんなものにも需要はあるのだから、いっそのこと割り切ってしまって、適度にデメリットを組み込むのが妥当なのかもしれないな――そんなことを口にすると、「確かに。でも難しいとは思うけどな」と、苦いものでも口に含んだかのような表情で答えた。
「大概のオンラインゲームにはグランドクエストがあったりするだろ。プレイヤーは、それを目指す。これをクリアすることがおおよそ主だったゲームクリアに繋がるからな。そこに至って、エルダーギアには二つのプレイスタイルがある。オーナーと、プレイヤーだ」
「……つまりオーナーにも、グランドクエストのようなものがある、ということか?」
「そうなる。どうやらオーナーは、自分の作り出した世界が抱えるプレイヤーの総数やアクティブアカウントの割合などの非公開ステータスが管理されていて、一定数を割ると世界の崩落が始まると説明に書いてあった」
世界観設定としてかなりぼかして書かれていたけどな、と信憑性の不確かさを付け加えながら話す。「そうならないようにしながらなおかつネガティヴな世界を継続するなんて、俺ならやらないね」と締めくくって、ハルトマンは弁当の中に納まっているサラダ、そこに添えられたウサギ型キャロットを口に運んだ。
モラルには限界があるが、非道にも限界があるというわけか。それが本当なら製作したクリエイターたちは善意を信じる人間か、はたまた無秩序すら容認する人間なのか。いずれにしても、クローズドβの段階でこれだけの規模、面白くないはずがない。
「……まあ、お前はプレイヤーで当選したわけだしな。システムの説明はこのくらいにしとく、後は存分におれの『エギアダルド』を通して楽しんでくれればいいよ」
「そうさせてもらうわ。しかしキャラメイクとか、結構面倒なんだよな……その辺、システム的にはどうなんだ?」
「よそのキャラクリエイトと大して変わらない程度には仕上げておいた。さしあたってイストや有志の人に提供してもらったデフォルトのグラフィックデータ総数はたしか、30種くらいだったか。なんかノリノリだったぞあの人たち」
徹夜したお前が言うな。
「製品版になれば追加もできるって話だ。その辺りは、ほどほどでいいだろ?」
「そのほどほどでガチのクリエイターに協力してもらってたら、世の中のクリエイター志望とお前の言う、よそのオーナーが泣くってぇの」
本人いわく。
ハルトマンにはイストさんを筆頭に、日本のゲームやアニメ関連を本職とするネットワーク上の知人・友人が多いのだそうだ。
一度、外国人日本語縛りというわけのわからないボイスチャットに参加させてもらったことがある。
その際には交友の広さに本当に驚いたし、いろんな話を聞かせてもらった。
『Elder Gear Online』の話になった時、忙しいのに協力するのは大変だし断ってもいいんじゃないか、と言ったときには、「さすがニンジャは日本人、任務一筋教育の賜物か!」とかいって大笑いされたものだが。年がら年中修羅場の人たちからしてみれば、「息抜き」でも楽しいことが出来るなら気分上々、会社がらみの面倒な制限もなく腕試しとくれば、もはや千客万来の勢いなのだとか。
……日本人にはわからん感覚、あるいは就労環境の違いなんだろう、きっと。
余談ではあるが、ニンジャ呼ばわりされているのはハルトマンの「日本で縁を結んだお抱えのニンジャ」とかいう、わけのわからん紹介のせいだ。
おかげさまでクリエイターたちの覚えはいいが、自分からそんなふうには絶対に名乗らない。まあ、たまに悪乗りするときもあるが……。
考察からプレイ方針まであれやこれやとしているうちに、あっという間に授業五分前の予鈴が鳴る。時間が近くなると食事をする人も少なくなるのはわかるので、二人とも食事の後片付けもあっさりと済ませて教室に戻ることとした。
「放課後は終わり次第、すぐ帰るからさ、後でサインイン用のID送っといてくれ」
「お前のことだからそう言うと思った。仮眠はするけど20時には起きるからさ、プレイするときはチャットでどんな感じか教えてくれよ」
退屈とは思わないまでも、期待の膨らむ未知の世界を前には将来を見据えた授業の内容も霞んで見えてしまう。これは、人のことを言えないなと、明日の寝不足を予感しながら午後の授業でいかにして仮眠をとるかに思考を巡らせるようになるまで、さほど時間はかからなかった。
* * *
「結構遅くなったなぁ……」
最寄り駅のロータリーに備え付けられた時計で確認する時刻は、17時と少し。終礼を終えてすぐさま帰ろうとしたものの、ある先輩に捕まってしまったのが運の尽きだった。
「しょーちゃん、最近付き合いが悪いので手伝いなさい。これは部長命令なので拒否と黙秘は許可しないのであしからず」
なにも今日でなくても、と言いたかったのだが、そんなことを口にしてしまえばこの時間では済まなくなるのは目に見えていたから抗議はほどほどにして素直に従うことにした。幼馴染の先輩から頼まれた用事を嫌々ながらも済ませているうち、気づけばこの時間だ。部活動なんて、強制でもないのに入れられたこっちの身にもなってもらいたい。
パルクール愛好会だなんて怪我の絶えない活動に、よく学校からの部活認定の許可が下りたものだと思う。部員は部長以外の全員が幽霊部員らしいから、是非もない話だ。
ログイン開始時間よりも早く終わったことだけは不幸中の幸いだと思うことにして歩く。
夕暮れ、コンビニ前で談笑する学生たち、クラクションをひっきりなしに鳴らす原付バイク、間隔に比べて少し明るさの足りていない街灯の間を行き交う人影たち、袋と幼児を自転車に乗せて走る買い物帰りの主婦、路上駐車を避けて通る車の往来、仕事帰りの社会人、ありふれた情景の中、家路をゆく。
駅からまっすぐ伸びた道沿いに進んで、橋を渡り、坂道を二つほど登って下ったあたりで、舗装されていない脇の道を進むと家のある住宅密集地にたどり着く。密集といっても大した規模ではないが、閑散とした地域なら10軒もあればそう呼ぶのに十分だろうか。歩きでは少し遠いものの、道順や道中の危険なんてものを気にせずに済むのは、ひとえに日本という国の安全性からくる錯覚だろうなんて考えてしまう。
……無駄な考えに割きすぎた、と思い直す頃には、自宅の玄関で靴を脱ぎ始めている自分に滑稽さを感じてしまう。
「ただいま」と声をかけると、おかえりー、と間の抜けた声が帰ってくる。
「遅かったけど、何かあったの?」
「むしろいつも家にいる、しず姉さんの方が心配になるけどな」
「だだだ大学生は家でも勉強できるからな! できるんだからなゴラァ!?」
やんのかゴラァなどと、女性が言ってはならない言葉遣いを延々繰り返す姉を、視界の外にずらして食事の支度を始める。
今の時期は父も母も遅くなるか帰ってこれないか、何かと忙しいのだろう。そんな両親の子供は必然、自分で食事を用意することとなる。
幼い頃こそ協力していたものの、今となっては慣れたものだった。色々な試行錯誤の末、掃除と炊飯はこちらの領分、ゴミ出しと買い物はしず姉の領分といったふうに落ち着いた。
食事は手早く済ませることを見越して、夕食の分まで朝の時点で用意してある。
冷蔵庫に収められたサラダを取り出して、ご飯は炊飯器から。味噌汁はインスタントのものを器に用意して食事を始める。作り置いていたチキンカツをレンジで温め、サラダの皿に乗せ、手際よくリビングのテーブルへと運んでいく。何を言うでもなく運ぶのには姉も手伝って、十分もすれば支度は終わってしまっていた。
「それよりさ。宅配、もう届いた?」
「届いてたよー。部屋に置いといたけど、アレなに?」食事をテーブルに運ぶと、まだかまだかと席に着いた姉が最後の皿を急かす。
冷蔵庫にあったチーかまをスライスしたものだ。賞味が近づいていたものの半額安かったらしく、姉の最速で夕食の一品に、と食べることになった。
「VR用に用意したヘッドマウント型ディスプレイだよ、ボイスチャット対応のモデルは持ってなかったんで新調した。前に話したろ、ゲームのやつ」
「あーそんな話もあったようなナッシング。覚えてませんねぇ」
「姉さんの分も使いやすいモデルのやつ買っといたから。当選してたし」
「やるなぁブラザー、いつの間に応募したァ!」
「あんたがやりたいって言ったときだろボケ」
まるで会話にならない姉が「そんな、まさか……」などとくだらない三文芝居を続けているが、こちらとしては時間に余裕がないので「いただきます」と手を合わせ先に食べ始めさせてもらう。
「あのゲーム、完全なVRやARとまではいかないにしてもそうした技術の発展を見込んで開発してるみたいでな。通常のMMOとしても遊べるが、ヘッドセットがあれば主観視点でのプレイが出来るらしいんだ」
「いただきます。っとえぃ。……んんんぅ、チーかま旨ァい!」
特に気になるようなことはないようで、箸を進めていくしず姉。だらしのないように見えるけれども、何か気になることがあれば食事の手を止めて聞いてくることは知っているのでそのまま続けることにした。
「使うかどうか、というか、しず姉さんのプレイスタイルに合うかどうかはわからないけどさ。どうせなら試せないよりも試せる方がいいだろうし、使ってみてよ」
「おっけー。ところで。ゲームのサーバーだったかエリアだったかな、それが選べるとか話してたのは、昌司はもう決めてるの?」
「あー、ハルトマンの奴が作ったとこ」
「だれそれ、しょーちゃんの彼女?」
「恐ろしい、仮にそんなことになればおれの身がもたねぇよ」
もしそんなことになれば、主に学校内で精神的に持たないだろうことは目に見える。悪い奴じゃないし美人だし頭もいいしで、付き合いがあって嬉しくないやつなんかいないだろう。だが、そんな奴の相手になるなんてのは、どう考えても荷が勝ちすぎる。
「あら、女の子なのなー」と相槌を打ちつつ最後のチーかまを頬張ると静かに呟いた。
時計を見やると、もうじき19時になる。食事にしては早いかもしれないが、早いに越したことがないのは準備も同じ。食器洗いを手早く澄ますと宅配の包みを一つは受け取ってひとつは姉に渡し、足早に部屋へと向かっていった。
「さてと。ヘッドセット周りの設定は以前使ってたものを接続し直すだけだし、セットアップの合間であいつに連絡をとるか」
机に設置された自室のPCを立ち上げ、「これからセットアップする」とメッセージを送ってからボイスチャットのアプリケーションを立ち上げる準備を始める。
『Elder gear online』……公式、ファンの間では略称でEGOと呼ばれるそのゲームのプラットフォームは、PCと家庭用ゲームで数種類、携帯端末と対応の幅が広く、かなりユーザーが入りやすい。
テスターもプラットフォームごとに募集をかけてはいたが、ハルトマンに合わせて今回はPCを選んだ。チャットや画面共有を容易に平行して行えるPCは何かと便利だから、製品版が発売したとしても同じものを選ぶに違いない。
利用するために必要な金額は未定とされているが、そのあたりは瑣末な問題だろうと守谷は考えている。ゲーマーの口コミはネットワークを介して一瞬で広がるもので、今や個人制作の範疇のものを大手の雑誌が取り上げるなんてこともある時代。大きく踏み外さない限り一定数の利用者が現れる。そこから先でどのようにしてユーザーを手放さない、飽きさせない工夫をしていくかの方が、クリエイターにとっては重要なのだ。
そう。料金なんてものは、上辺の問題でしかない。
設定を進める手を止めず、しばらくするとメッセージの返答で「開始前に説明しておきたいこともある、準備が出来たらそっちから通話を掛けてくれ」と入っていることに気づいた。
「説明……まあ、チュートリアルみたいなもんかね」
ディスプレイ用のセットアップが終わったので、デスクチェアに腰掛けてディスプレイの着用準備を進めていく。
「ゲームパッドは問題なし、ディスプレイは良好。ボイスチャットを起動……と」
受話器のアイコンをクリックすると、何度かコール音が鳴り響いたあとに通話開始の効果音が鳴って、すぐさま通話相手から言葉を投げかけられた。
『よう、随分と時間ギリギリじゃないか。珍しい』
「わりぃ、学校で部活動の部長に捕まって時間を食ってな」
『まあ、そういうこともあるか。ツイてないなお前。女難の相でもあるんじゃないのか?』
「お前が言うかソレ」
『言うとも。おれは上手くやってるからな、人付き合い』
他愛のない軽口をいくつか交わし、「で、本題なんだが」とハルトマンは話題を変えた。
『ワールドの内容に関しては、体験してもらうのが手っ取り早いからな。要点だけ話すぞ。まず最初に、キャラクター作成が入る。そこで開始地点も選ぶことになるよ』
これは作成したキャラクターの種族によって向き不向き、難易度に差が出るのだとハルトマンが言う。念を押すということは、おそらく種族間や組織、国の対立も起こり得るからなんの考えもなしに選ぶのは勧めない、という忠告だろう。
ハルトマンは数あるファンタジー小説のように、世界観に浸った上でのロールプレイを大事にしてもらいたいのだろう。でなければ、こういったところをわざわざ言及はしない。
「そのあたりは普通だな」
『存外と、普通が一番なんだよ。それで、開始地点を選ぶと、ワールドのイントロダクションが諸々入る。最後にプレイヤーキャラのカットシーンが入って、そこからゲーム開始だ』
「か、カットシーンなんて作れたのか?」
『その辺もかなり豊富だ。ゲームの制作会社はさ、自社の開発技術が盗まれるだとかのデメリットなんて度返しして作ってる。クローズド版でここまでみせるとはさすがに驚いた』
カットシーン……ゲームで、キャラクターが登場するムービーシーン。
その手のムービーが入るゲームは多くある。しかしながらそれは、プレイするだけならば、と前置きできるはずだ。
ゲーム構築をプレイヤーにさせる機能があり、しかもイベントシーンを構成するシステムを、どの程度かはわからないにしてもプレイヤー個人で自由に使えるように機能を施していく。
それがどれほどのことか。想像するまでもなく鳥肌は総立ち、身震いは禁じ得なかった。
「……ともかく、そのカットシーンが終わればゲーム開始なんだな」
『そうなる。ゲーム内でのボイスチャットツールは使用可能の設定にしてあるからさ。ヘッドマウントで主観モードにするんだろ? だったら尚の事プレイアブルになったところで驚くとは思うから、その時にまた連絡してくれたらいい』
「そらどういう……まあ、今聞くのは野暮か。楽しませてもらうさ」
ハルトマンが意味ありげに笑う声がして、首をかしげる。理由は読めないが、向こうもカットシーンまで作ったからには没入してもらいたいのだろう。一旦そこで通話を切ることにした。
「気を取り直して」と息をつき、PCのマウスを操作してアプリケーションを起動する。
ログインID入力、ワールド選択、個人情報の入力……このゲーム、年齢制限指定がないのか? ベータ版だからまだ決まってないのかもしれないが、その辺日本では厳しいから、決まらないままだと幸先が不安になるな。
マウントディスプレイ上に表示された時刻が20時を刻むと、守谷はログインをクリックした。
基本的に、自分を叱咤激励する意味で、いわゆる「書き溜め」はしてません。できないともいう。