24話
――争いとは。
万全の状態での戦力が拮抗しているならば、正面からぶつかったところでどちらに采配が傾くにせよ両者に被害は出る。
兵となる人員……人的資源は総量も供給率も有限で、過度の損失を顧みない戦争の強行の先に待つのは緩やかな滅亡しかない。
では、目的が争いでないのならどうだろうか。
侵略行為の事前阻止、宗教派閥間での対立、格差社会を利用した知的生命の間引き、国家同士の武力牽制、純粋な殺戮、純粋でない殺戮。どれも真っ当な考えではないが、いつどこで爆発的に起こらないとも言えない。けれども、それらはいずれも人為的なもので、人工的なもの。
戦争は作られた人工構造物、それ以上でも、それ以下でもない。そしてその先にあるのも、滅びでしかない。――人は戦を選ぶが、戦は人を選ばない。いつどこで誰がどう戦うかなど、知るものはいない。
極端な話をすれば滅びは人工的に引き起こされるものごとの流れの一つだ。それを滅亡と取るか時代の変化と取るか、観測……記録する者があるいは継続しているかどうか。
争いが誰かの手に寄って作り出された人工的なものだとするならば、なぜ必要なのだろう。
――フィオセアはその答えの一端を、荒れ狂い消え入りそうなほど揺れる心の奥底で、芥子粒のように小さな真実なのだと自覚した。眼前の存在を前に、強く強く、自覚させられた。
「あ――ああ、」
ノーフィスの血は零れ、生命の灯火が失われゆく。
この目の前に現れたる純粋な威圧にこそ、立ち向かうため……生き残りを賭けた闘争に挑むためにこそ。
いずれ人が争うためにあらゆる力を備えるため自らに本能が課した、生存競争の最終形だと、理解する。
閃光を放ち戦場から命からがらに退いて僅かに後。砦に辿り着いたとき、その者は前触れもなくふと、現れ出でた。
声になく……しかし心は終始、悲鳴を上げている。
――事の起り、時は僅かに遡る。
* * * ◆ * * *
折を見ての撤退は成功し、敵の数も半数近くを撃退。後は警戒しつつ迅速に砦へと撤収し、状況を確認だけとなった。
ブラザック駐留部隊の救援を目的とするのならば、アラン達の行動は十分すぎるほどの成果と言えただろう。しかしながら、なにか、恐ろしいことの始まりが待ち受けているような感触が拭えず……気絶してフィオセアとアイオーンに担がれているアランを除き、その場の誰もがどこか落ち着かない様子を携えていた。
「――静かすぎる」
閃光の後、アランを回収するために最後尾にいたフィオセアとアイオーンの二人だけはその光景を目にしていた。異形のものたちがまるで統率を取る何者かからの指揮を受けたかのように、ひとつとして残らず一斉に撤退していった姿を思い出す。
毒の一族の王や警戒を行う兵達にも伝えはした。
しかし、それを訝しんで対策を立てる余裕はなく、周囲の警戒を引き締めて奇襲による全滅を避ける他に出来ることなどなかった。誰も声をあげず、ただひたすらに森の中を歩き、砦へと向かう。
動物の声、風はさざめき、虫と水が揺れて遊ぶ。――今の森の静けさは、かつてのような穏やかなものではなかった。虫の鳴き声はせず、風は肌に纏わりつく陰湿さを感じさせる。
加えて、こちらを窺う視線を感じていた。
相手もまた気付いているのだろう、隠すことなく、しかしその身の痕跡の一切を表すことなく一定の距離を保ちこちらを追っている。見回してみたところで姿は一度も見当たらないことに、一層の不安を掻き立てていく。疲弊した状況だからこそ襲ってこない視線の主を放逐しているが……万全の状態でそれでも見つけられないに違いない手練れを前にしていたなら、さぞ気を揉んで隊列は大きく乱れたことだろう。
思案を置き去りにして今はただ前に進む。
「見えました――砦は破損大きく、しかし健在。敵はおらぬ模様!」
先触れとばかりに前を走る騎士の一人が告げて、痛々しくもその顔に安堵の笑みを浮かべた。喜びは伝播し、しかし歩を緩めることはなく砦を目指す。
森を抜け見えた先……門は大きく歪み、崩れ、割れた石畳は戦場の激しさを物語る――しかし旗は落ちず、掲げられていた。開けたところまで歩み、一同はその有様を見た。
「旗は無事……旗は無事、砦は守られておりますが、これは――」
「みんな、息のあるものを探して! 見つけたら私のところに連れて来てッ早く!」
橋を渡り、砦門に辿り着くが……名のある者の姿もなく。屍が累々と重ね上がるばかりの情景が、門の内に犇めき合っている。動揺を、しかしアイオーンの声が引き戻す。誰ともなく疲弊した足を手をと動かして生存者を探し始めた。往来する兵達を横様に、毒の一族の王は思案の後にフィオセアへと語り掛ける。
「上階の旗が健在ということは、最上部に籠城するものがおるやもしれぬ」
「では、私が――」
「敵がまだ、何処にいるとも知れない……我々が護衛、しよう」
「アラン殿! しかし傷が……」
「……この程度の傷のいかなる程か。先ほどのような力は振るえぬがな、この狼人族、木っ端ごときに遅れは取らぬよ」
「……努々、無理はなさらぬよう」
願い聞かぬことを彼の者の金の瞳に見たフィオセアは、この者の誰も止めること叶わないと、追従を許した。「ノーフィス殿、無事でいてくださいますよう……」か細い願いを口にしつつ、フィオセアたちは階段を上りゆく。
――胸元を抉られたもの、恐怖の眼開くままに半身を砕かれたもの、顔の皮膚を喰われたもの、鎧を押しつぶされ人型を留めぬもの――上階へと上がるごと、屍の数は増えその無残さもまた増していった。
最上階の扉の前もまた、犠牲となった砦の兵の手で……まさにその身を挺して、自らの身を鎧ごと焼き繋ぎとめたのだろう、幾人もの屍によって扉は固められ、閉ざされていた。「――中に誰か?」と呼びかけるが、声はない。
「勇敢であった者達には悪いが、扉を開けるしかあるまい」
「……そうしましょう」
どちらともなく手を動かし始める。金具に溶け付いた鎧から遺体を丁寧に外し、やがて扉が開いた先にあったのは更なる煉獄。肉、皮、血、臓物、骨。人の形を留めぬそれらが、治療のために用意されたはずの床へと命なき抜け殻を横たえている。
そして部屋の中央には……人の形を成した、異形の姿をしたものが力なく弛緩するノーフィスの首元へと手を掛けていた。
『藍染むるれば 夜明ける。 白のみのなき 届かざる時の遥かより竜は暮れむ
ひとこころの灰色に染まりゆくときに、世界はおこりてわかつ音の響かん
其は先触れよ 心せよ、 音の早来 光より次ぐ。
しき然りて喪われ
やがて地を去るのちには、いかなるも虚空に立ち戻らむこと定めたる
新たに在れ、そこに三度おとずることのあいまみえぬ
かなうやも かなわぬやも、誰ぞ知ること叶わず。
統べ識りたるを退けるそのすべの 史紀のいずれにも知り足れぬ
やがてそとより訪れたるものの 未だ神ならざるものたちの知る……
――そとなるものの問われたる。人の王の命の灯火、救うに足りるか 』
まるで誰かに語り掛けるかのように――視線をフィオセアとアランに向け……
その何者かは、ノーフィスの腹へと、躊躇いなく腕を突き刺した。




