23話
* * * ❖ * * *
「――そうですか。それは非常に良い経験をなされましたね」
女性の声。目の前には白衣の女性。対面して座る相手は患者ならそれは医者。座る女性は医者だとして、対面する相手が患者とは限らない。必ずしも患者と対面するとは限らないが、その相手をするのは、他体の場合は医者。
タイマーの音が割り込む。ああ、タイマーは時間を知らせる。上限であったり、期限であったり、制限であったりする機能。
正しい認識を外部に置くことは重要だ。自己認識と現実の差異は、少なければ少ないほど物事はスムーズに進む。来るべき時に来るべき対応を取るための指針になることの重要さは計り知れない。
「きりの良いところですから、今日はここで終わりにしましょう。次の予定は組めますか?」
頷いて、手帳の日程を確認して予定をすり合わせる。予定といっても学業以外に取り立てて空けられない予定がそう多くあるわけではないので、程なくして決まった。
どこの病院の廊下も、総じて静かなものだ。それは喧噪であったり会話であったり音であったりといった実際の音に依るものではなく、もっと抽象的で、精神的なもの。あるいは病院が静かであるというのは、日本人特有のものにも感じられる。日本においては、死やそれに近づいていくことに対しての絶対的不可侵のような概念が存在していて、あたかもそれらに踏み込まぬよう沈黙を守るかのような……そんな静けさ。そう、たとえ泣き喚く子供がいたとして、それは一部でしかないかのような、全体を俯瞰した時に感じる静けさ。
病院は静かで。廊下、受付、処方箋窓口を、順序立てて巡る亡霊さながらで。
入り口から屋外に足を踏み出した時、終わりが近いとはいえまだ四月のはずの外の暑さと熱気に、視界がぼんやりと薄らいだ。
「今日は、日差しがやけに強く感じるな……めまいがしてきたよ」
日差しは既に直上より少し傾いたあたりで、まだ日差しは強い。
それに日曜日であるにも関わらず外は人の往来、車通りも多く賑やかに感じられる。眩暈を隠し切れずしばし呆然としていたところに、通話の通知がポケットの中で振動した。液晶画面へ表示された名前に、すこし気分を持ち直しつつ、マイク付きのイヤフォンを準備し、通話を受け取る。
「『昨夜はお楽しみでしたな、守屋君』
馬鹿みたいな若者らしいやり取りを挟んで、寝不足か、と訊ねられて。
くすり、とひとつ小さな笑みを浮かべてみたりして。
……笑ってしまっているこの様を、はたして彼に隠しおおせただろうか。私にはわからない。
* * * ◇ * * *
――音。気の抜けたコール音。
遅れて、覚醒する。どうやら、意識を手放していたらしい。随分と長かっただろうか、窓の外にはめまいを覚えるような日差しは既になく、うっすらと輝く三日月の月明かりがうかがえる。
音の発信源を辿ると、通話の通知が表示されていることに気付いて、一も二もなくそれに応じた。通話の主は、どうやら英雄の第一歩を踏み出したようだった。応じるや否や意気揚々と語り始める。
『――というところで、止まっていてな。ちょいと休憩をはさんで、再戦するかは集まった後の残り時間次第って話になったわけ』
どうにも興奮冷めやらぬ様子で通話の相手――守谷はゲーム内で起きた戦いの様子と、その経過を熱く語ってくれた。楽しんでもらえているのは何より。その生の声を楽しんだ本人から直接聴けるともなれば、作り手冥利に尽きるというものだ。不安も少なからずあったものだから、思わずこちらまで嬉しくなって気分が高まる。それを表に出さないように努めて返事をした。
「『ふぅん。それで、逃げおおせたはいいものの、ヒーラーの人が一時離脱する戦闘継続は難しくあえなくログアウト、と。そりゃあ、ドンマイだな』」
『おいおい、そんな言い方ないだろうよ。ハルトマンの言う通り、死なないように……死なせないように頑張ったんだぞ?』
「死なせないように、か……」
マイクに取られないよう声を潜めて、小さく呟いた。昼の通話と違って、今は自宅。屋外ならば騒音で掻き消される声も、聴きとれてしまう。ミュート設定をするほどまでに聞き取られて困るものではないにしても……彼はあくまで、一人のプレイヤーだ。プレイヤーがクリエイターに感情移入をして、いらぬところでそれに振り回されるようなことにはなってほしくない。
ほしくはないけれども、贔屓をし過ぎかもしれない。……話したいことは山ほどあるのだ、と自覚し、その感情を戒めながら。
「……『この後もやる時間はあるんだろうし、今はそっちに集中しとけよ。詳しい話は、明日学校で話そうぜ』」
相手の返事を待たずに通話を終了して、PCの画面上にブラウザをいくつも表示していく。
ひとつは、友人へのメッセージの送信。これが意味を成すかどうかは相手の出方次第ではあるが、守谷にとってマイナスにはならないはずだ。
もうひとつは、これもメッセージの送信。ただしこちらは、直近ではないものの、『エギアダルド』の今後の展開として、送信した相手以外のプレイヤー全体に対してのマイナスになり得る。すぐに影響が出るとは限らないが、これが実行されたならば確実に『マイナス』となるだろう。
そして最後に、表示された画面上にある、ボタン。
――『ログイン』と表示されるそれへとマウスを誘導し……一拍の間を置いて、クリックした。




