19話
ある人間の研究者の一人が言った。
知性ある生き物として適応していくために、竜族の中の一部が竜人族へと変わったのではないか。
竜人族と呼ばれる種族は、長寿であることもあり人間を基準に見たならば出生率も低く、総じて数が非常に少ない。少ない故によからぬ考えの輩に狙われることもあるが、狙うものはよほどのモノ知らずな大馬鹿者だけだろう。
竜人族の皮膚は、大なり小なりその身体の部分のどこかが鱗で覆われている。
強度は鋼よりも硬く、尖った部分の鋭さを活かした戦い方をするものがいたという話もある。生半可な武力では、挑むことすらままならない。
「ちょ、たんまたんま無理だっての、くっそ――」
しかし、その強靭な鱗にも欠点はある。生物としてはあり得ない程に、重い。その重さは鍛錬と共に強度と重量を増し、自在に軽くすることも出来るという、不可思議な特性を備えていた。
空を駆ける竜ではない竜族の鱗は総じてそれに準じることは広く知られていた。
加えて、竜人族となればその特性の度合いは桁外れに違うとされる。
強度と鋭さに見劣らせぬほどその鱗は重く、たとえ砦に備えられた弩弓であっても穿たれたところで足の僅かさえ動かず耐えきれるほどの質量を持つことも、逆に羽毛と見紛うほど軽くすることすら自在だと、研究者が記録を残している。
竜人族であっても優れた武人においてはこの重さを意巧みに操り、自在な体捌きをみせるのだが――その者においては、重さを扱える上で「扱いきれずに振り回されて」いた。
「だーぁぁぁぁあ、うざい、ウザすぎるっ! こっち来んなっての!」
空を切る音が周囲に届くほどに鳴るが、それはつまり空振りだ。
――この者においては、誰の目が見ても到底「優れた武人」には見えなかった。
一目にして「戦における素人だろう」と口を揃えて言うに違いない。
もっともそれを見咎めるような余裕あるものはこの場にはおらず、そもそもそのような状況ですらないことを除けば。
「ドラウ殿、右だ!」
「おおぉ!?」
身を屈めて避ける。そのまま勢いを殺せず正面に転がって、何とか体を片膝立ちに整えたところで……悲鳴が耳を刺す。危険を知らせてくれた兵士が、避けたが為に黒いぶよぶよとした不定形の獣に喉を食いつかれてしまっていた。
「く、ぐ、あぁァ」
「こん、のおッ!」
叫びながら立ち上がり、異形の獣――『音なるる影』と呼ばれているらしいが、だれも詳しいことは知らず、おぞましい害獣だとドラウは考えていた――その首元へと乱暴に縦一閃、手にした剣を振り下ろす。
斬撃というものではなく、打撃だ。刃は既に研がれたものなど一つもなく、ただひたすらに殴り潰す以外の手段でしかなくなっている。
叩きつけた異形の獣は一際鋭く派手な音と共に瞬時に地へと叩きつけられ、しかし勢いは留まることなく。
叩きつけられた反動で噛みつかれていた兵の身の丈の倍ほどに宙へと跳ね上げられた。
「おい大丈――」
声を、掛け切るより前に気付く。
食いつかれていたその兵に言葉を返す口はもう残されていない。そこにあるはずの頭部そのものが千切れかけて、今にも千切れそうな剥がれかけの張り紙のように真下へ向けぶら下がっているばかりだった。遅れて数瞬、その身体を支える糸の切れた操り人形さながら、兵であった名も知らぬ誰かは地に倒れた。
途切れることなく襲い掛かる「敵」を前になりふり構ってはいられる余裕などない、それが戦場だ。死と隣り合わせの中を、薄氷の上を歩くが如く危うい中を、彼はゆく。
「くそったれくそったれくそったれ、こちとら初心者、ってんだよ、チ、チュートリアルって、言葉を、勉強しやがれこん畜生ォ」
後ろから襲い来た異形の獣をやはり力任せ、乱暴に振り抜いた盾でもって跳ね飛ばして、勢いそのまま切りつけて。肩で息をする仕草とは裏腹に、その体力は無尽蔵とでも言わんばかりに動きを止めることはない。
「――『まとめて掛かって来い』やァッ!!」
「……あちらか」
気を緩めれば意識を持っていかれるほどの音、周辺一帯に轟き渡る怒声、それを耳にした三人と三頭――フィオセアは王達を無事に逃す確率を上げるために自身の乗る黒い馬と、他に二頭の栗毛の馬を引き連れてきていた――の誰もが身に総毛立つほどの恐怖を肌で感じた。
それでも、引きつれる馬たちは嘶きの一つも上げない。
連れて行くと言い出した時には訝しんだ二人だったが、「猟兵の馬は戦馬、早さも、そして強靭さもある」とフィオセアが言ってきかない言葉は伊達ではなかったと考えを改めさせられる。
動揺を見せることもなく先を見据えて構える姿は、余程よく訓練された軍馬である証左であった。
先頭のアランが正確な位置を割り出そうと立ち止まって耳をそばだてると、フィオセアとアイオーンも追従している足を止める。
「い、いまのは?」
「ヘイトコントロール――対峙するものの敵愾心を煽り、自身に矛先を向けさせる技術だが……凄まじいな」
「私の元居た世界で言う『任侠』とか『族』とかでいそうな感じの勢いだったよー……『ハラキリ×ヘヴィーマネー』、元気に闇医者してるかなぁ」
「いずれにせよ味方であれば頼もしいものだろう。だが、あれほどの規模となると長くはもたないはずだ、急ごう」
アランが先頭を行くのは戦力はもちろんのこと、繋がりあう者同士で互いにおおよその位置を把握できるらしいことも理由の一つだった。
たどり着きさえすればフィオセアが王は健在かを確認できるが、そこまでの道のりはそうはいかない……そう考えての順列が功を奏したのだろう。
「進路より2時の方向、見えました」
フィオセアが後方から遭遇戦に加勢することなく意識を向けることは、猟兵のエルフが持つ目の良さと気配の察知能力の高さを効率よく発揮する。その上戦力としても十分であるから万一の後方からの襲撃にも耐えられる。
彼女が叫ぶと、警戒しつつアラン達もそちらに意識を向けた。
方向に感づいたのか両の耳と顔を右に向けると、暗闇の中で微かに草木の揺れる音が二人にも聞こえる。姿を捉えたのは一瞬だったが、先の声の方へと駆け抜けていく異形のもの達の姿を確かに捉えていた。確認すると合図もなくただ頷いて、アランが歩を動かした。
草木を搔き分けた先に池が見えた。
そこには応戦する鎧姿が一つ。そして、負傷した者たちがその後ろに庇われている。まさに、先ほど駆け抜ける姿を見た異形たちがとびかかる瞬間、アラン達はその場にたどり着いた。
「――いた!」
大きな池を背にした彼らと異形たちとの合間に、これまでないほどの俊敏さで割って入る。拳だけでは足りない――アランもまた飛び掛かる、右腕と左腕で異形のものたちを爪を掛けて裂き、僅かな距離も瞬間も惜しいとばかりに、牙で食らいついて、力のままに振り回し千切り捨てる。
三つ、その合間にアイオーンは狙いを絞った。
数を減らすことよりも、致命的な敗北と死を回避するために、取り溢して後方へ庇われるエルフたちを狙う異形へと意識を引き絞る。
あらかじめ詠唱し待機状態にしていた毒の魔法では、効果が遅く間に合わない。手持ちの道具の中でも数少ない攻撃に指向性を持っている医療用のメスを、投擲具として惜しみなく振るう。こちらも三つ。
そこで追撃は一度止んだ。
アラン達最前列の者と異形たちとの合間を隔てるようにして腕ほどもあるの太さを持つ鎖付きの矢のようなものが二本、彼らの動きの間に地面に突き立てられていた。
放ったのはフィオセア、しかしその手には弓すらない。馬に跨ったまま如何様にして放ったかなど誰もわからないが、鞍の横合いにそれと同じ矢が下げられていることから、何か仕掛けがあるのかもしれないことだけは分かる。その柱ともとれる矢の先には片方に三つ、片方に二つ異形のものの命を絡め捕っていた。
余程の勢いだったのだろか、地面に突き刺さった余波だろうか。近くにいた異形たちはその脅威を警戒したのだろう、大きく後退を強制され、踏み込むことへの躊躇いをみせた。
その合間は、駆け寄った三者は体制を整えるには十分だった。
先陣を切っていたアランは声を張る。
「火急故に無礼許されたし、我ら猟兵の救援なり、これより退路を開く!
――鎧男、ヘイトコントロール! アイオーン、重傷の者を最優先、終わったらタンクの体力を全快まで回復、管理ミスってハネるなよ!」
「へい、コントっ……んだよそりゃァわけわからん!」
「とにかく敵の注意を自分に向けろってことだ!」
「引き付けりゃあいいんだな? 分らんが解かった!」
「わぁお、ノリのいい素人さんだ、くぁわいいーっ――っと、回復まかされたっ☆」
「――全員、生きて帰るぞ!」
勢いに任せて戦いに臨む者たちの中で、ただ一人心の乱れから立ち直れない者がいた。
彼女は酷く疲弊した表情の碧衣を纏った毒の一族の王のみを負傷した者の中に見つけると、歩み寄って力ない声で訊ねた。
「父上と兄上は、いずこに」
「……討ち死に召された。
そこを皮切りに、彼の鎧の者が顕れたが故に奮迅し永らえはしたものの、猟兵の者は終ぞ倒れ尽きたのだ……貴殿が生きておられたのは僅かならぬ僥倖であるが、それ故に、すまぬ」
毒の一族の王もまた、尽力したのだろう。指は弓の弦を幾度となく弾いた末に擦り切れ、鎧は傷の無いところなどない程に傷んでいる。
ここにいるいずれの者も有様は同じくしているほどだ。得意とするはずの魔法で傷を癒すことすらままならない程に、疲弊しているのだろう。
王は言う、――彼の王はここまでの道のりに死者の一人を出すこともなく殿を最後まで全うなされた。しかし彼の鎧の者が参じた時には既に血の止める手立てもなく―― 傷の痛みを堪えながら絶え絶えに言葉を続ける王をよそに、その言葉のすべてを耳に収めることなど、今のフィオセアには出来ていない。
ただひたすらに、戦場の音すらも遠く、酷くゆっくりと周囲が引き延ばされていく。
別世界の砂漠の真ん中に一人投げ出されたかのようなどうしようもない感覚が胸に去来しては、それすらも蜃気楼の如く朧げに霞んでいく。
「すまぬ。クムの娘よ、我らは彼の王と連なる者に命を救われた。
なすすべなくただ、救われて、しまった」
やがて一纏いの衣が、王の近くにいた兵から手渡された。
見知った衣、かつては陽光よりも紅く眩しく見えた衣。
その布地は今や痛み黒ずんだ染みを残さぬところはなく、色は元の色など忘れ去っているかのように濁っている。
――彼女は涙の零れ出ることを自身に許さず、ただ黙したまま、愛しき者を抱くかのように衣を纏った。




