1話
本日投稿二話目。ゲームの話はしばらく先です。
4/18 日付表記に齟齬があったため修正しました。
――声が聞こえる。声を無視する。
大勢の声を遠巻きにし、それでもごくわずかの静寂しか得られていない。
顔を伏せるのでは、周囲から一歩後ずさるだけの誤魔化しでしかない。けれども少年にとってのその一歩は心の安定を保つ上では上等で、自身の意思で僅かだが静寂を保てる数少ない手段だった。
「おはようさん」と、涼やかな通った声が耳を打つ。
……眠い。
なので挨拶は返さない。どこにともあるような学校机に突っ伏したままうなり声をあげるのが限界だ。
態度が悪いと言われようとそれ以上は無理というもの。誰だって大抵の不機嫌は大多数にとってのくだらない事柄でできている。
学校でのあいさつなんかがいい例さ。
たまに先生はそれを悪し、と言うけれども、それは世にいる先生達がそれを忘れてしまっているから言えるのだと思う。
誰だって挨拶すら厳しいほどに落ち込んでしまう時はあるし、先生だってそういう時はあるだろうに。
まあ、それが仕事というか職業柄の責任なのだから、教師というのは報われない仕事だとは思うけれど。きっと、必要悪と言っていいレベルで……ああ、つまり何が言いたいかって、眠い。
要約すると眠い。
……要約しなくたってわかるだろ。眠いんだ。そういうことにしていただきたい。
退屈でも厭世感でもなく、純粋な眠気に勝てない。そういうわけなので、伏せたまま返事をする。
「昨日は眠れなかったのか? もしかしてティッシュ片手に一晩セルフか」
「ンなわけあるか。例のメールが届いてな。どうしようかと悩んでたんだよ」
皆まで言わせんぞとばかりに伏せたまま制服の内ポケットから端末を取り出して画面をみせると、どうやら納得いったらしい声が返ってくる。
表示をそのままに画面を閉じていたから、わざわざ開いて見せなくとも画面を表示すれば見て取れるはず。その目論見は難なく成功した。
「テスター当選、したわけか。
そいつはおめっとさんー。ちなみにおれも届いた。これで両方アタリだ」
「……へえ、両方。やったじゃん。こっちは片方だけだったけど、どっちにするんだ?」
「そりゃあもちろんオーナー側だろ。いずれはプレイヤーもやるにしてもさ、まずはオーナーだ。
どうやらお前はどんだけおれが待ち焦がれていたか知らないと見える」
ちょうどホームルーム前の予鈴が鳴る。
ここにきてようやく気だるさより話への興味が上回ることが出来てきたので顔を上げると、会話の相手であるその顔がすこぶる近かった。
どうやらかなりテンションが上がっている状態らしく、呼吸も荒いのは構わない、しかしながら君、いちいち顔が近いんだよ。
とはいえ、こうして話しかけてくる数少ない友人がクラスでは諸々の意味で目立つこいつで、対して休み時間には年中突っ伏す勢いのダウナー君と認識されているのが自分の立場。
共通の話題を持てるだけでも運がいいとは思う。
おかげさまで関わりの強い友人はこいつを通じて数える程度に増えたし、かといってアクティブに動くでもなく穏やかな学生生活が確保されたのだから、良し……としたかったのだが。
こいつだけは別だ。話題の持ちかけはともかく、絡み方だけはいただけない。
「お前、あれだろ。寝ているふりして周りの人の話を聞き及んでる。ニンジャか」
高校一年生。
年度頭の一週間。一年生なら、初顔合わせだ既に周囲に打ち解けていたこいつは、突っ伏したまま身動きしないこちらに対して、直前まで話していたクラスメイトに「面白そうだからちょっとイタズラしてくる」と言って近づいてきた。
そして、悪戯する素振りをしてそう耳打ちでそう囁いた。
案の定大きな音を立ててたじろいでしまったのだから思うつぼだったに違いない。以来こいつは何かにつけて話を持ち掛けてくるのだが問題はこいつが男口調に似合わぬ美人であることに尽きる。
おかげさまで……ああ、何でもないから睨まんでくれ男子クラスメイトAよ。
先ほどみたいにクラスメイトのB子さんの腕組みに隠し切れないセーターの下のFサイズでも見ていてください。
なあ新入生にして留学生クンや。
起き上がったら顔が近いとかやめてくれ、変な噂が立つだろ。
みんなも頼むから、なにも三十八席ある教室の一席に注目するのは勘弁願いたいの。この気持ち理解できるかねえ?
まだ朝礼の時間には早いとはいえ教室には既に生徒がちらほらと登校を済ませている。
この学校では朝から活動する部活も多いので、予鈴の10分も前になれば七割程度は教室に揃ってしまう。
部活動は文武両道、学生が立ち上げ自由ということも手伝ってマイナーまで数えだすときりがないほど。確かに中高一貫で千人以上も在籍する私立校とはいえ、十人十色とはよく言ったものだと思う。
その大御所帯の一角、クラスという単位の雑踏の中で、そいつは周りの目も気にすることなく会話を続ける。
「そりゃあもちろん、オーナー側だよ。お前さんはどんだけおれが待ち焦がれていたかまだ理解していないなんて、トリ頭なのかお前は」
ああそういえば、昨日の帰り道に散々聞いたんだった。あれだけ話してまだ足りないか、と勢いそのままに語りだそうとするものの、幸いなことに予鈴がそれを防いでくれていた。
「む、おれのクラスは一限は化学……授業は実験だったか」
教室移動の準備があるからまた昼に、と言い残して、あいつは去っていった。
しばらくして本鈴が鳴り、それほど興味の持てない学業に費やす一日が始まってゆく。ほとんどの人が経験するであろう代り映えがない人生の一部である日常だ。
それが壊れるなんてこともまた、起きたりなんてしない。それが日本だ、平和でいいよ。そのかわり、嫌って程に娯楽があるんだからさ。
* * *
「で、お前。おれとヤってくれんの?」
「だから語弊を招くような言葉選びで話すのやめろくださいよね?!」
「はは、語尾が変になってやがるの面白いな。わりと新しいぞ、お前」
サンドイッチの詰め合わせと唐揚げだけ買って混む前に席を取っておくと、しばらくしてやってきたと思ったら開口一番に誤解を招く発言を受けた。
どんな学校でも食堂はいつだって大賑わいだ。
食堂自体が学校にそもそもなかったりもするが、食堂のある学校なら賑わうに違いない。メニューが豊富なところならば、両親に食費をもらうことによって貴重なお小遣いを使うことなく、合法的にラーメンやカレーといった料理を毎日のように食べられる。
この学校もご多分に漏れず若者に人気なメニューをそろえているためか利用する生徒は多い。
入学当初ならいざ知らず、既に暦は四月も終わり。
混雑するのは新入生でもわかりきったことなので、生徒数を鑑みて広めにとっているはずの食堂に空いている席はさほどないという状態。
そんな公共の場でそういう、誤解を招くような発言をされると社会的に干される。もとい学校のありとあらゆるグループから村八分にされる。
「あとお前っていう呼び方もだ。そろそろちゃんと名前で呼んで、ああいや、名字で呼んでくれよ」
「苗字って……なんだっけか?」
「初対面ならいざ知らず、ひと月も経っててそこそこ話すようになってそれかよ。間違えあるならまだしもうろ覚えくらいはしてくれていいんですけど。ちょっとショックだな」
「冗談だ冗談。そのくらいの冗談も聞き入れないような心の狭い人間なのか。そんな体たらくじゃニンジャとしてやっていけないぞ」
「ニンジャじゃあねぇし…」
「拗ねるなって。将来禿げるぞ守谷」
「禿げねーよ、じいちゃん超ふさふさだし!!」
そんなことよりゲームだよゲーム、と、人の頭皮事情もそっちのけで本題に入ろうとする。ちゃっかり苗字を呼んでいる辺りが憎たらしいが、話が脱線するのも時間の無駄なので納得するしかない。
「それで、ハルトマンはもうワールドの設定は決めてるのか?」
「そうだな、基本的にはファンタジーで行こうと思ってるのは誘ったときにも話したとは思う。機能を触ってみてわかったんだが、かなり自由度が高くてな。キレノア風に行くかミドルアース風で攻めるかが迷いどころだ。タイトルに噛ませてセプティムも捨てがたいところではあるが、最初は見送りってとこだな」
「また随分とマニアックなチョイスだな」とサンドイッチを口に運びつつ答えてみると、うれしい悩みだと言わんばかりにハルトマンはしゃべりだした。
「そうでもないさ。ファンタジーで作るユーザーはこの手の作品は総じて好きだろうし、真似したりリスペクトして作る奴なんかはざらにいるはずだ。違いをどうみせて、自分のワールドを盛り上げるか……そこは腕の見せ所ってものだけどな」
「そりゃあ、一から作るなんてのは容易じゃないしな。既存のイメージや影響が強いものだってあるわけか」
「そういうこと。ゼロから未知のものをつくるなんて芸当、今の世の中でできたならそいつは本物だ」
そういうのが本物の天才だよ、と快活な笑顔をみせながら、ハルトマンは弁当箱の中身をつついた。
彼女……リタ・ハルトマンについて考える。
ファンタジーの作品群が大の好みで、小説はもとよりアニメやゲームといった日本特有の文化の広がり目当てに海外から留学してきたらしい。
今年日本に来たばかりなので高校からの編入で来た。だからといってあまり交友関係は広くないかと思ったら大間違いだ。昨今のネットワーク事情を舐めて掛かったらいけない。
中学生の頃に日本のファンタジー小説を読んで以来その虜になった彼女は、SNSのコミュニティを通じてファンの日本人と交流を重ね日本語を1年掛けて習得。教えた人の影響かなぜか男言葉ではあったものの、肩口で長さを整えたブロンドに、男前とも美人ともとれる整った面立ち。
その上年齢を知ったなら、誰にも口を挟ませようと思わせなかった。
日本語が喋れて、顔もよく、おまけに人当たりもいい上に交流にも積極的ときたものだから、交友関係は初日で誰より広いのも自然な流れだと言える。
……改めて考えると、末恐ろしいアクティブさだよ。外国人ってみんなこんな感じなのか?
「ハルトマンがそう言うんなら、こっちとしては帰ってからが楽しみだな。その様子だと、もう粗方組み上ってるんだろ?」
「ゲームタイトルの『Elder gear Online』からあやかって、ワールドネームは『エギアダルド』。剣と魔法、神々と異形が存在する神代より続く世界になってる。お察しの通り、昨日メールを受け取ってからすぐに触れてみて八、九割方は完成させたから……設定したNPCから受けられるクエストの設定くらいだな、残ってるのは」
「それってほとんど全部じゃんよ……」
「若いってのはいいことだぞ、完全な徹夜なんてものは久々だったけどさ。生きがいみたいなものだし、これだけは譲れないね」
ともあれ、そんな理由で日本に留学までしてきたわけだから、今回の『ワールド』作成に掛ける熱意は本物であり、腕の見せ所というのは楽しみを裏切らないだろう。
よくまあ眠くないもんだなーと思ってはみたものの、言われてよくよく見てみるとさすがにきついらしく、時折小さなあくびを噛み締めているのがわかる。
メールが届いたのは日本時間で昨夜の0時ちょうどだったので今朝ハルトマンに知らせることになったが、『オーナー』プレイヤーは一週間前に当選を既に通知されている。
プレイヤーの当選が通達される0時のタイミングに合わせ、『オーナー』のログインが解禁になると通知されたからこその徹夜なんだろう。
そして、このタイミングで話す機会を逃さず昼に約束したのも、作成したワールドを遊ぶ『プレイヤー』のログインが日本時間で本日の20時だと通達されているからに他ならなかった。
「実際、どのくらいの自由度だったんだ?」
「なんでもありだな。正直、クローズドβの段階でここまで出来ているとは思ってなかった」
朝、ハルトマンとのやり取りの中で「アタリ」と言っていたのは、新作として開発されているMMORPG『Elder gear Online』のクローズドβ版テスターの当選メールのこと。
このテスター募集には二つの種類があった。一つは他と同じようにプレイヤーとして参加する方。もう一つは、ゲームの『オーナー』としてプレイヤーが遊ぶワールド自体を作る方だ。
――ゲームの売りの一つである、『ワールドオーナー』システム。
このシステムは文字通り、『プレイヤーが世界を管理する』ことが出来ると触れ込んでいた。製品化するにあたっては、プレイヤーはオーナーとプレイアブルキャラクターの両方を選ぶことが出来て、ゆくゆくは他のワールドに移動することも出来る仕様すら実装予定らしいという、とんでもない代物として発表された。
クローズドの段階であるため多くの面で制限や未実装こそあるものの、公開された前情報においてそのシステムは賛否両論、世界中のゲーマーからかなりの注目を集めている。
ハルトマンに誘われて両方とも応募したけれど、残念ながら自分の応募はプレイヤーのみの当選だったので、実際にオーナーがどんな仕様かは公式以上の情報を知らない。興味はあったので、その辺りを詳しく訊ねてみた。
「具体的にどんなことができそうなんだ?」
「難しいんだぞ、その聞き方にうまく答えるの」
「そこまでなのかよ」
「そこまで、だな。もちろん、不得手だけども作りたいというプレイヤーの為のサポートもあるが、それを踏まえてもかなりの自由度があるぞ」
唐揚げを堪能しつつ、ハルトマンの話に耳を傾けて反芻する。