18話
第二防衛線まで撤退していた戦線は、フィオセアたちが後退したことによって更に悪化の一途をたどっていると言える。しかしながら、方々に分散した猟兵の一族が、瀬戸際のところを喰い止めていた。それが既に限界ということもエルフ達は承知の上で最後まで抗うことを選んだ。
【毒】の一族は最終ラインとなる砦にて備えを行っている。時には各所に赴き急ごしらえの砦を不眠不休で築き上げていつとも知れない終わりを目指すため、戦場から戦場へ往く渡り鳥のように駆ける。
【紋鐘】の一族はわずかな望みを賭け、幾人かは人族の国へと助けを求めて旅立ち、幾人かは最前線で帰れぬと知りながらも戦場の指揮を執ることを選んでいた。
【猟兵】の一族はもとより、総じて紋鐘の指揮の下に戦うこととなった。
「数で勝てぬのならば術で手立てでと尽くすよりない」
フィオセアが前線で最後に「王達」に目通りしたのは戦端が開かれる前で、その時はまだ今ほどには苦戦を強いられてはいなかった。碧衣纏う【毒】の王はそう告げた。
――最初は、戦術などなく押し寄せてくる音なるる影|音なるる影音なるる影を、弓と剣、魔法と技とを振るうのみだった。それだけで、押し返すことが出来ていた。
やがて戦況は大きく崩れる。
音なるる影たちが変わり始めたのが先か、【紋鐘】の砦の一つが落とされたという知らせが先だっただろうか。そのころには、音なるる影たちは多様に『形』を成し『戦略』を謀るようになっていた。
「影たちの歩みは尋常ではない」
【紋鐘】の一族は、この時になると多くの命が失われ、数えるほどしか残ることが出来ていなかった。その異常さに感付いたころには要所を抑えられ、しかし皮肉にも王は生き延びる。後方の砦より書簡を受け、空けていた所を砦は落とされたのだ。
王は前線に戻ることなくその足で国を渡り歩いた。王は歩くことを止めなかった、
倒れる毎に起き、歩き、また倒れ起きを繰り返し大陸中を渡り歩く。
「我が国の、我らエルフに救いの手を頂きたく」
戻った時分には半分の年月が立ち数はそれより更に少なくなっていた。そして加わる数は国の一つとして参じぬままに、【紋鐘】の王は再度の他国への伝令に幾人かを残して己のみが戦場へ行った。黄衣を翻し戦場で待つ二人の王の下へと戻っていった、数の一つを増すために。
――現状、この砦は戦える者の最後の砦。後方の戦えぬ年若い者たち、女子供に、先短い老人たち。我々が落ちたとき、後に控える砦は転じ、ただ滅びる時を待つだけの処刑台となり果てる。
痛み切った橋砦を守りながら、王達の足取りも一つとして知らぬまま、それを探さねばならなかった。
既に事切れているやもしれない可能性の方が圧倒的に高いのだろう。それでもフィオセアにとっては成さねばならないことなのだ。
……無意味に屍をさらすことのどこが潔いのだろうか。
仲間を見殺しにし、心を見殺しにし、タァナのエルフ族を見殺しにしたその屍の上のどこに潔さがあるというのか。疑念は尽きず、靴音を鳴らし手招いてにじりよるかのような絶望が眼前にはあるのかもしれない。
しかし。猟兵のエルフは、恐れを抱いてはいけない。
醜きこと無かれ。唯一どの一族も守るべきとされた戒律を、自らの心に認めてはならないのだと。
そう信じたが故に、アランの言葉は天の救いと見紛うほど心強さを感じるとなった。
「――『繋がり』が新たに一つ出来たらしい。
その者の言うに、『猟兵の王と毒の王が共に居る、手が足りない故、どうか護りに力貸されたし』と」
「方角はさっきの報告から聞いたものと一致するよ」と、アイオーンは今までになく真剣な表情で言う。二人がこちらを見つめてくる。
二人だけではなく、気づけばこの治療室の誰もが、こちらを、フィオセアを見つめていた。それらの瞳は一様に、「お前はどうしたい?」と問いかけてきているように、フィオセアには思えていた。……それは事実だ。この場で決めた決断に何の後悔も抱かず滅びるのを待つだけのエルフなど、この場にはいない。
――何もかもが止まったような静けさを彼女は、一息に払い退けた。
「動ける者は総出で砦の防衛を。 アラン、アイオーンの二方には、王の元へ参じ、その窮地に助力を願う!
二人が戻り次第、我が王達と生存者を迎え入れ即座に砦を閉じることのできるようのちほど人員を再配置する。――動けるものは魂の限りに、動けぬものは星の輝きほどにも自らの出来得ることに、尽力せよ!」
「ここが分水嶺だ……フィオセアの名に忠する兵達よ! 今一度立ち上がれ!」
フィオセアの言葉に浮足立った者たちは各々に奮起の声をあげ、アランが介添えた言葉にさらにその勢いは増していく。
先ほどまでの沈痛な面持ちと静けさは鳴りを潜め、兵たちは慌ただしく備えに走り始めた。先ほどまで聞き入るままだったノーフィスはフィオセアへと声を掛けた。
「フィオ、私が砦の防衛を抑えるよ。貴女は王の元に参じるといい」
「しかしそれではノーフィスが!」
「聞き及ぶ数が事実であるなら、いかにそちらの客人方の助力と言えど砦は確実に襲われるでしょうね。
でも……その危険から逃げ出せば身の安全がいつまでもあるとでも?
私はそうは思わない。それともエルフの、猟兵の者の教えはそうであると?」
「違います!」
「ならばどうか御心のままに。私もまた成すべきことを成すまでは倒れるわけにはいきませんから。
――ほらフィオ、ここでの大将は貴女なんだから、そんなしょんぼりした顔してないでしゃきっとする!」
ぴしゃりと背中を叩いて、ノーフィスはフィオセアを励ます。
何の根拠もない精神論で何を励まされるのかと馬鹿にするのは滑稽だ――彼女は、ノーフィスの言葉そのものに励ましを得たわけではない。むしろ言葉だけならば、嫌というほど飾りばかりの者なら、各地を回っていた時分には山というほど見てきた。言葉だけを取るのならばそれら上辺ばかりの言葉と何ら変わらないだろう。
「他ならないノーフィスが自分を奮い立たせる言葉までもらって、尻込みしてもいられませんね」
「……話は、覚悟は決まったか?」
「はい、私も同行させていただくこととします。アラン殿」
「移動は任せてーっ。私の方でフォローするから~」
支度を既に済ませているアラン達は、フィオセアとノーフィスのやり取りに口を挟むことなく見守っていたのだろう、仮に決めあぐねたところで時間もないことは事実で、すぐさま行動を起こせるよう待っていた。フィオセアが頷いてみせるとノーフィスが治療室の面々に指示を出す姿に背を向け、足早に砦の外へと移動を始める。
その移動の道中、僅かな時間の中で、アランはフィオセアにある進言をした。
「フィオ殿、一つ話しておかねばならないことがある。作戦中の指示に関してだ」
「言語でしょうか? 私は公言語はもちろんのこと、多少は部族言語も把握しておりますから指示に関しては問題なくそちらに従えると思われますが……何か問題が?」
「言語もそうなのだが、この先、戦闘中やその前後に。我々が使う言葉の中ではどの言葉とも取れない理解できかねる単語での意思疎通が行われることがあるかもしれぬ。それをどうか、気になさらないでいただきたい」
思い当たる節があったと思い訊ねたが、その時はどうにも意図の汲み取れないフィオセア。
わざわざ申告するには奇妙ではあるものの、前もって言うからにはよほど不思議な言葉があるのかもしれないなと思い直す。
「今更ですよ、アラン殿。あなた方にはいくら感謝しようとも足りぬほどです、その程度のことはお気になさらず、存分に力を奮われてください」
「ではそのように」と答えるや否や、彼の言わんとすることはすぐに分かることとなった。
「――アイオーン、バフは速度向上のみでかまわん。DPSも稼がなくていい。とにかく誰も死なせない回し方で頼む。こちらも極力デバフは使わないようにする……余力があればDoTを挟んで援護をくれ」
「回復は継続HoTの方が管理しやすいんだけどそっちは?」
「秒管理を2以下でできるなら任せる。3以上ブレるならこちらのDPSに支障が出るので継続HoTはなしにしてその分を速度に回したい」
「おけおけ~☆ 誤差がどのくらいかは、アランっちの立ち回りもあるし二巡くらい試してみるね!」
――彼の言う言葉が理解できるのもまた、『繋がり』の力なのだろうか。
不安や疑念などなくむしろ理由もわからない心強さを感じて……フィオセアの足取りから震えが遠のいた。
門前に到着したことに気付いた兵たちが、掛けられた閂を五人がかりで外していく。
「さて、出陣だ――なぁに気負う必要はないさ。死ぬな、そして死なせるなだ」
「アラン殿、言ってることの真剣さの割りにに随分と楽しそうですが」
言葉のまじめさと裏腹に尻尾が揺れる様子は、余程格好がつかなかったに違いない。行き交う兵たちからも笑いを堪えたような声が届く。
「あははは、アランっちは感情が尻尾に出すぎだね☆」
「それに、艶もよく触り心地もいいのでしょうね……うちで毛皮に欲しいくらいです」
「ふぃ、フィオセア殿、生きて帰ったら如何様に触っていただいても構わんので……毛皮だけはどうか勘弁いただきたい」
「ふふ。冗談ですよ、冗談」
それを聞き安心した表情のアランをよそに、「でも言質は取りました、これは触り心地を堪能するまでは死ねません」などと緊張感の欠けたやり取りを楽しんでいるうちに開門の準備は整い、次いで厳かな音を立てながら人が出られるほどの開門が始まる。
夜闇に包まれた橋砦の石畳を蹴って、三人は周囲を見渡し、そして駆け出した。