15話
目を覚ましたのは、ちょうど昼過ぎ。
カーテンを吊り下げるフレームの僅かな隙間からは良く晴れているのだろう日差しが微かに入り込んで部屋に明るさを持ち込んでいる。守谷は明るさと外から聞こえる車両の往来の音に唸り声をあげながらもいつもにまして眠く、重く感じる上体を起こした。
「12時13分……朝飯作らなないで昼も抜きだったら、しず姉怒るかもなぁ――あだ、あいたたた……こりゃあ、長丁場のログインする前にはストレッチをするようにした方がよさげだな」
姉の部屋の方からは時折歩く物音がするので、起きてはいるのだろう。怒りの矛先がこちらに向く前に昼食の支度をするべく起き上がる。
くあ、とあくびをひとつ吐いて、ベッドから体を滑り下ろし伸びをすると体の節々が音を立てて軋んだ。その理由に考え至って、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
少しばかりうだつの上がらないこの寝不足を説明するには、勧められた『次元躍進! 美少年神代魔法少女・めでぃかる☆アイオーン』を結局9話まで一気に視聴したことに触れけらばならない。
――まず第一に。『次元躍進! 美少年神代魔法少女・めでぃかる☆アイオーン』のはずなのに12話までめでぃかる☆アイオーンが登場してこない。つまり9話までしか視聴してないのでまだ出て来ていない。そのくせ専門知識が出るわ出るわ、おかげさまで女児アニメどころかまさに本格医療ドラマでも間違えて見ているかのような気分だった。そのせいで「出てくるまで見てやる」だなんて意地を張ってしまう羽目になる。
第二に、『アイオーン』を差し置いてライバルの『さーじぇる★ケリュケイオン』はといえば変身前の姿である『臥桐ノイエ』が6話で登場する。名前だけなら2話で出る。9話には主人公を差し置いて変身後の姿をお披露目していた。
なんだかんだとツッコミを入れつつ観るのが癖になってきた頃、ようやく『アイオーン』が話に出てくるのが9話。
この時点で、これは低年齢向けアニメとしてどうなの? と思うくらいには作品の出来の良さに見入ってしまう。
9話の最後まで観ても結局ライバル以外の変身した姿を拝むことがなかった時にはただ一言「なんでアイオーンをタイトルにした!」とツッコミを入れてしまった。
ここで集中力も限界だったのだろう。視聴をやめていつの間にやら微睡んていた。 眠気がどっと溢れ出て来て、朝日が登る少し前に就寝し今に至る。
女児向けアニメを深夜に連続視聴。……最近の児童向けアニメの出来は非常によくできたものであるとはいえ、モノがモノだけに誰かに話せるような内容ではないな、と誰にともなく感じざるを得なかった。あれは、医療ドラマだ、うん。
……そして平日なら寝坊確定の現在、起きるに至る。
「いや、ほんと。今日が休みで良かったわ……」なんて言葉が口から漏れ出していた。
原因がアニメともゲームとも取れる体の鈍さをほぐすため、台所へと足を向けながらも右肘に左腕を引っかける形で従事を作り伸ばす。ある程度したら逆の腕へと切り替えて交互に伸ばしていく。
頭の上で肘を組んで背筋を伸ばしたり、胸を張って上半身を軽くひねったりと、上体をほぐす動作の合間に、たどり着いた先である冷蔵庫の中身をチェックして昼の献立を思案する。
冷蔵庫はといえばあまり中身のストックがなかったのですっぱり諦め、戸棚にあるレトルト食品やソース缶へと目を向けた。
「トマトは……だめだな。粉チーズの賞味期限が近かったから、作れるかあと、冷凍のあさりが残ってたはず。にんにくはあるか」……ふむ、と一息、上階にいる姉へと質問を投げてみることにする。
「しず姉ぇー、パスタにするけどカルボナーラとあさりのボンゴレ、どっちがいいー?」
「――んん~今日の気分はぁ、カルボナぁぁぁぁぁぁるぁッ」
「りょーかいー、出来上がったら呼ぶわー」
「――よきにはからえ、飯担当!」
「はいはい。支度くらいは手伝えよなー食担当」
やや大きな声での応酬ののち、携帯端末でアプリを起動しながら決まった献立の食材を準備していく。
音を最大まで引き上げて端末を置いたところで再生のマークを押し、首をぐりぐりと回す。
まだ骨に響くような軽い音を立てた。……凝りの具合がいつもとは段違いだが、若い分だけまだマシとも言えるが、思ってたよりも体は疲れているらしい。
しず姉なんかはしばしば「二十代に入ると徹夜は死ねるから。前半はまだしも後半とか考えたくない。三十代とか恐怖しかない。いやマジで美容とか肌とか髪質とか言う以前の死活問題なのよコレ」とレポート課題の提出締め切りが近くなるたびに虚ろな目をして漏らしているが……その様子も見るにやはり、睡眠が不足なんていうのは体にいいものではないのは確かなのだろう。
レポートや課題の旅にしばしば死んだ魚の目になるしず姉の自室はといえば2階、自分は1階に割り振りされている。
部屋にいるときに歩く音が聞こえたのも、直上に姉の部屋があるためだ。その姉は、まだ下りてくる気配はない。
――姉が彼氏を連れ込みでもしたら大変なんじゃないかって? 大丈夫、今の所そんな話は一切ない。そんな希望的観測をするくらいなら、合コンで「相手が飲みつぶれる」なんて、ある意味無敗の全敗記録なんぞ立てたりしないだろ?
――あれこれと準備をしているうちに読み込みを終えて動画の再生を始めた端末から、明るくはつらつとした声が響いた。馴染みのある声に、しかし手を止めることはなく調理を進める準備をしていく。
『やっほい、いつもスラスラの視聴ありがとねー。
みんなを大好きゲームが大好き、今日も一日頑張ります!
『はすむ』がお送りするラジオ『//ゲーミング・トライ!』だよ~!
早速だけど今日はゲーマー注目、クローズドβテスト絶賛実地中のゲーム【エルダー・ギア】について、早速とりあげていくよ~』
始まった動画を片手間に聴きながら、2階からなかなか降りてこないので、「しず姉、レポートでも近いんかねー」と漠然とした感想を抱きつつ。
ながら作業の相棒としてよく立ち上げているラジオ代わりのゲーム実況チャンネル、『//ゲーミング・トライ!』に耳を傾けながらソース作りを進めていく。
以前拝聴した際に「当選した!」と公言していたので、やはり話題は【エルダー・ギア】だった。
β版のテストプレイは普通は情報規制も厳しいものだが、「どこまで情報公開していいですか」という問い合わせにむしろいくらでもどうぞと推奨されたというのがもっぱらの話だ。こうした動画が出るのも時間の問題だっただろう。
『どこのワールドでプレイするか、せざるべきか。それが問題だっ!
――というわけで、ほかのプレイヤーさんからの情報を元にいくつか紹介していこうかと思います。話題に上がった作品を詳しく知りたい方は、公式サイトで掲示板があるのでそちらをどうぞ~』
動画を拝聴しつつ、調理を進める。カルボナーラのソースを仕立てていく。うちのは、クリームや牛乳を極力使わない代わりに、チーズをたくさん使って黒胡椒を効かせた味付けがマスト。なれた手順で下ごしらえしつつ、泡立ち始めた隣の鍋に並行して麺を茹でる。
『まずはじめに【エルダーギア】にはワールド区分を説明しましょうか。
種類は三つ。現代が舞台の「ロア」ファンタジー世界観の「ファンタズム」近未来やSFイメージの「チャイルデッド」にジャンル分けして管理してるんですー。
その内の一つ、「ロア」で人気なのは、王道ホラーゲーム【ロスト・ヴィジョン】。昨日の最多同時アクセス数はなんと37万、すごいですね! こちらは相方自作のホラーゲーム未プレイ実況動画でも有名なキワミアキヒロ氏の作ったホラーゲームですね!
プレイヤーは徐々に視力がなくなっていき、やがて失明してしまうという病にかかったため入院することに。ところがある日目を覚ますと、入院した先の病院の人という人が眼球から血を流し倒れて動かなくなってしまった。その原因を探すため、病院内をたんさくしていく……というあらすじで――』
言葉に詰まることなく流暢に話す『スラスラ』は、やはり流れ作業にちょうどいい具合の番組だなと、少し手を休めて画面を見やる。
実況を広く公開するのなら当たり前と言えば当たり前だが、この当たり前が結構難しい。「やっぱ現代舞台だと共感しやすいんかね」とぼやきながら、ソースの加熱を頃合を見て引き上げた。
『続いて『ファンタズム』。ここで話題をさらってるのは、『エギアダルド』ですねー。
こちらはゲーム開始と同時にアプリケーションまで配信する気合の入ったワールドで、キャラクターメイクの自由度の高さは折り紙つき! 王道ファンタジーの世界を楽しみたい方にはオススメです!
風の噂ではガチのプロゲームクリエーターがチームを組んで作り上げてるだとか、ゲーム会社がバッグについてる新進気鋭のプランナーの仕業だとか、そもそもが制作会社のテストワールドだとかいろんな噂がたっていますが、それだけにファンタジーが好きなゲーマーにはかなりの完成度だと評判ですね~。
ちなみに私もここでやりたかったのですが、キャラクリで三時間かかっても始められず挫折しました! 真剣なほどに時間がかかる……くぅ~、憎いねぇ』
「なんだか、すげーキワモノな評価だなぁ。
まあ、あのキャラクリエイトじゃプレイユーザーもふるいにかけられるんだろな」
沸々と湧いてきたパスタ入りの鍋に塩を振りながら聞き流す。
――やはり『エギアダルド』は王道であるが同時にゲーマーからするとそのシステムは色物なのだろう。守谷の考えをよそに、ラジオは続く。
『そして、最後に『チャイルデッド』。私がログインしたのは【チャイルデッド】でist_tec氏が手がける【グレイズ&バリスティック】です!
バリッバリのFPSで、なんとその舞台は日本! フィールドの再現は限りなく細やかに再現されていて、都市部にお住まいの方でシューティング好きにはもってこいの一品です!
弾丸とともに生き、弾丸をかいくぐり、弾丸に恋をするかのように撃たれゆく……そんな、バリバリ殺すぜーって人ならぜひプレイをオススメするよ! 特にアンチマテリアルを両手持ちでブッ放したときは会館の極みで――』
ちょっとまって、と作者の名前を少し巻き戻してもう一度聞き直す。――うん、聞き覚えがあるぞ?
「……あとで、確認てみっかね」
まさかな、同名なだけだよな、と思っていた淡い期待は、数分で返事がきたメールにあった『あ、それおれだよおれ!』といういつぞやに流行った詐欺のような軽い口調で本人から否定された。
――イストさんマジパネエっす。
返信されたメールに呆然としてるところへようやくしず姉が降りてきて、すこしばかりノビたパスタを不機嫌そうに顔を顰めるしず姉と一緒に摂ることとなった。