第九話
「美味しそうなお嬢さんたち……」
女性は不気味に笑う。
彼女の実力は嫌と言うほど見せつけられたし、その気になれば私たちを簡単に捕食してしまうことだろう。
「同種喰いは禁忌……、それゆえ最高に……」
美味。
最後まで口にすることはなかったけれど、瑞々しくて禍々しい唇はそう言っていた。
「ひっ」
リリエッタはまた悲鳴をあげる。
なんというかこう、この女性は怖すぎる。本能的に恐怖を覚えるのだ。
「けれど、せっかく会えたんですもの。殺してしまうなんて有り得ません」
そう言って、女性は殺気を収める。彼女にとって私は“同種”だから、らしい。
アンデッドを強化した存在である彼女にそう言われるのは良い気がしないけれど、当面の危機は回避できそうで安心する。
「だったらもう私たちに用はないんじゃないの? 私たちを食べても美味しくないわよ」
「あなたが美味しくないなんて謙遜も良いところですが、お食事をしないならその通りですね」
女性は静かにクスクスと笑った。
彼女の話し方や仕草には落ち着きがあり、人を食べないならばこの女性は大人だな、と感じる。
アンナローゼは齢数百年の妖怪だが、精神年齢はリリエッタとそう変わらないのではないか。それに比べて目の前の女性は、目がなくて人を食べることを除けば見た目相応の穏やかな淑女なのだろう。
女性は私の言葉に一応の肯定を見せて、しかし、不意に遠方へ視線を移す。
「でも、気づいていますか?」
「何を?」
「教会の追っ手がこちらにやって来ているようです。隙間なく、全方位から」
「え?」
考えてみれば、あれだけ派手に戦闘を繰り広げた上に“聖女”としての必殺技まで出して教会の連中が放っておくわけがない。大慌てでこちらへ向かって来ているはずだ。
「もしかしたら私とあなたが一緒にいるところはもう見つかっているかも知れませんねえ……」
女性の言葉が本当ならば、私たちは詰んでいる。
「ミューエ……」
不安そうに服の裾を掴むリリエッタ。
たしかに、ガサゴソと高速で近づいてくる音はドンドン大きくなってくる。
教会の連中は全速力で近づいているのだろう。
万事休す。
どうしようもない。
「助けて上げましょうか?」
「え?」
恐怖しか感じられない笑みである。
女性が助けてくれるならこの状況は越えられる。
ありがたい提案だが――。
「リリエッタ……、良い?」
「うん」
人を餌と思うような精神性の女性は怖い。しかし、“聖女”アンナローゼから私たちを守ってくれて、“退魔師”アイズランドを倒してくれたのもまた事実。
それに、背に腹は代えられない。
「助けて下さい。私たち……、リリエッタと、ミューエを」
「同族は助けて差し上げます。
あなたたちの安全圏までの移動は“死神”ミクトラリシアが保証します」
私たちの回答に満足したのか、女性は名乗り、そして私たちのお腹に両腕を回した。
「ひっ」
「ふふ、ご安心なさい。取って食べたりしませんから」
安心させるためにか、“死神”ミクトラリシアはにたーっと笑う。だからその笑顔は安心できない――。
「さ、逃げましょう」
ミクトラリシアが告げると同時に、私のお腹に強い重力がかかる。細い女性の腕がお腹に食い込んで、ぐえ、と声を漏らしたら、ミクトラリシアはクスクスと笑って自分の豊満な胸に私たちの体を押しつけた。
体の接着面積が増えたことで応力が減少して圧迫感が和らぐ。体はアンデッドだけあってヒンヤリとしていたが、その心遣いには感謝しておこう。
「速いわね」
ミクトラリシアが地面を蹴るとぐんぐん地面が遠ざかっていき、遂には森を見下ろすまでになっていた。アンナローゼが「フレイム」で焼け落とした森、「万物消滅」で捲れ上がった地盤。あ、私たちのアジトも見える…。
「うわ、綺麗」
上空には“聖女”アンナローゼの「彫像」がキラキラと輝きながら浮かんでいた。
その「彫像」は今にも“万物消滅”を放とうとしており、しかし、カチンと固まったまま放出の瞬間は永遠に訪れない。
それはそれは見事な「彫像」だった。
「戦いの終わりに永遠の聖女様を見るのは乙なものね」
「綺麗だね……」
ひとしきりそのご尊顔を眺めた後、ふいに体をくっつけている女性の顔を見る。
聖女を倒せるほどの類い希なる戦闘能力に、“時間停止”という魔法。
結局、聖女様の“万物消滅”をも停止させてしまった。
「喉元を過ぎれば熱さを忘れる、ですか。安心するあなたは可愛らしいですけれど、あれは十年後には動き始めますよ」
「……………………………………は?」
女性が空気を蹴る。
地面を蹴った時と同じような加速を伴って水平方向に移動し始め、ドンドン小さくなっていく聖女様の彫像。
「どういうこと?」
「時間停止の魔法も永遠ではない、つまりは期限があるということです」
アンナローゼは固まったまま微動だにしない。
しかし、怒りに満ちたその表情は「絶対にアンデッドを殺す」という硬い意思に満ちあふれている。
そんな彼女に「死霊術師」と認定された私たちは最上級のターゲットに違いない。
いや、そもそも私が死霊術師なんて、一体何のことやらという話だが。
「え? じゃあ、アンナローゼは死んでないの?」
「“時間停止”ですからね。彼女は止まっているだけです。“万物消滅”があるので寝起きの聖女様に近づくのは自殺行為ですねえ」
ミクトラリシアは聖女の周りを囲んでいる神聖な魔力を見て嘆いた。
彫像の半径一キロメートルは聖女の停止に伴い、ピタリと固まっている。
「じゃあ、起きたらどうするの?」
「さて――。それはアンナローゼが決めること。
ただ一つ言えることは、彼女はアンデッドを、特に死霊術師とその眷属を絶対に許しません」
教会は絶対にアンデッドの存在を許さない。もしかしたら、それを取り決めたのがアンナローゼだったのかも知れない。……教会の創設は数百年も前のことだけれど。
「私たちはどうしたら……」
「せいぜい鍛え上げることです。あなたたちにはそれだけの可能性がある」
“死神”ミクトラリシアは意地悪そうに笑った。