第八話
万物消滅
神に仇なすものをこの世から消し去る神聖な魔法。教会の権威の根源。
数百年前に邪神を滅ぼし世界に平和をもたらした世界最高峰の魔法とされている。
あれはかつて、「魔法」という概念がない頃に神の「奇跡」と恐れられた魔法の原初。
「――そんなものを間近で見られるなんてね」
万物消滅は神をその身に宿した神の代行者だけが扱えるとされている。教会は畏敬を込めて使用するものを「聖女」と呼んでいる。
聖女なんて実態は襲名制の形骸化した惰性の遺物と思っていたけど、「万物消滅」を使えるとなると、あそこにいる聖女は数百年前から存在している齢数百歳の――。
「滅びなさい!!」
かつて邪神を滅ぼしたであろう極大の光を一人の女性に放つ。そこに容赦など存在せず、絶対殺す、という意思だけが感じられる。
「そんな魔法を受けては死んでしまいますねえ」
時間停止
相対する女性が発動させようとしている「魔法」
そんな魔法を私は知らない。
時間にアクセスする魔法なんて聞いたこともないし、制御できるなんて考えたこともない。
もし時間を停止させることが可能ならば、その魔法は聖女に勝るとも劣らない奇跡である。
「どうなるの?」
この世界において、万物消滅はトランプのジョーカーだ。この世界のあらゆるものを片っ端から消し去っていくために戦闘という概念も存在しない。
しかしそれは、時間が流れているならば、という但し書きが付く。本来は考慮されることもない条件だけれど、時間が流れていく端から万物が消滅していくが、時間が停止した世界ではその消滅は進行していくのだろうか……?
この二つの魔法が衝突したとき、どうなるかなんて検討も付かない。
だが、決着の時は来る。
万物消滅と時間停止。
両者の魔法が発動し、漏れ出た余波であらゆるものが蒸発していく。
「万物消滅の影響範囲って……」
万物消滅は影響範囲内のものを全て消し去るとされている。
影響の及ぶ範囲は、この神聖な魔力が触れる部分であり、私は完全に影響下に入っている。
聖女を起点として、カサブタを剥いでいくかのように物質が溶け出していき、消滅の波は音の速さで広がっていく。
「隠れて」
本能的にリリエッタを私の背中に隠すが、そんなの意味があるとは思えない。
リリエッタの前に立った次の瞬間、私の目の前にはめくれ上がった土が飛び、そして消滅していた。
消える――。
身を強ばらせた瞬間、しかし、万物消滅は目の前でピタリと止まり、そして収縮し遠ざかっていく。
――このレベルの戦闘では、私の命なんて吹いて飛ぶような塵芥だ。拳を振り上げる余波で簡単に消し飛ぶ。
「どうなったんだ?」
私よりちょっと強力な塵芥であるアイズランドは、自分に噛みつこうとするアンデッドの顔を押さえながら呟いた。
完全に魔法が発動しているならば、私やアイズランドはアンナローゼの魔法が消滅させる範囲内にいるはずだ。あれほど強力な魔法が発動したからには王都の一つや二つは簡単に蒸発する。
しかし、実際に消えた範囲はせいぜい森の一領域。
不発だったのだろうか――? いや、あの魔法は完全に発動していたはずだ。ならば、一体どうなったのだろう。
「残念ながら、あなたたちの聖女様は“停止”しましたよ」
どうなったんだ? の言葉に答えるように女性は現れ、そしてアンデッドに襲われて両手がふさがっているアイズランドの首に手刀を落とした。
「うがっ!?」
アイズランドは首を九十度ほど折り曲げながら、あっさりとその場に倒れる。
「聖女の魔法は本当に強力でして……。私は今、とっても空腹ですの」
女性はそれだけ言うと、アイズランドの頭にかぶりつき、そのままかみ砕いた。
「ひっ」
アイズランドの顔が半分なくなった。その光景を見て、私の背中に隠したリリエッタが小さく声を漏らす。
女性は返り血なんて全く気にせず、頭、首、胸部、腹部……とドンドン捕食していき、そしてその場にアイズランドはいなくなった。
「ごちそうさまでした」
女性は満足げに口元をぺろりと舐める。
「■■■■■■――」
「あなたはそれほど美味しくなさそうだけど、まあ良いです」
アイズランドを襲っていたアンデッドの頭蓋骨を掴み、同じようにばりばりと捕食していく。アンデッドは消えた。
「空腹が満たされない。まるで満たされませんね」
女性の視線がこちらに向いた。
「……来るなら来なさい」
リリエッタは私の背中をぎゅっと握りしめた。