第四話
教会の刺客がぴたりと足を止める。小さな少女を見下ろして。
リリエッタが教会の敵になるとは思えないが、それはそれで教会が保護して奉仕を教え込むという選択もある。
教会にとって親のない子供は資産以外の何物でもない。「本命が見つからないならちょっとお金を拾っていくか」くらいの気分で教会へと連れて行くだろう。
リリエッタが見つからなければあの女を追ってどこぞなりとも消えてくれたかもしれないのに……。
どうしてリリエッタはこんな簡単に見つかってしまうのだ。
いや、そもそもどうしてリリエッタがこんな所にいるのだろう。もしや足取りが遅すぎて追いついてしまったと言うことか。
森の中は足場が悪くて歩きにくい。木の根っこや泥濘んだ土に体力を消費して疲れた子供の判断力では、あんな単純な鎌かけに耐えきれなかった。
そういうことか。
……それにしても、どうしてこんなに簡単に見つかってしまうのやら。
二人の追跡者はアンデッドを容易く滅ぼせるだけの戦力を有しており、もちろん子供の命なんて簡単に奪える。このまま何事もなく見逃してくれる気配もない。……すぐに殺すつもりもないようだが。
腐葉土の隙間から差し込む僅かな視界からはリリエッタの細い足と、汚れ一つ無い白いハイヒールとが垣間見える。あの二人の位置からだと背の高い女性は下を見るのにさぞ苦労していることだろう。
「あらまあ。こんなところにかわいらしい少女が。どうしましょうか?」
「どうしましょうねえ」
追跡者二人の会話は端的なものだ。
しかし、あんなに大きな声で殺すと言っていた連中の「どうしよう?」なんて、「殺しとく?」くらいの意味合いにしか感じられない。声色は優しいけれど、それに含まれる意味は物騒そのものである。
「私の名前はアンナローゼ。あなたのために祈らせてもらえるかしら?」
「聖女さま直々の祈祷だぜ」
死体の陰から覗く女性の足がしゃがんでいる。リリエッタの小さな足はピクリとも動かず……。表情はさぞ困惑を浮かべていることだろう。
短い時間祈りを捧げた後、あなたの未来に幸多からんことを、と実体のない言葉を吐いてリリエッタの反応を待つ。
「あ、あの……」
「どうしましたか?」
「殺すのですか?」
「まあ! 私たちがそんな物騒なことをするはずないでしょう! 安心してください! 教会はあなたのような恵まれない方々のためにあるのですから!」
リリエッタの不安そうな声に反応して芝居がかったように大げさな言葉を放つ。ああ、どう考えても言葉だけの甘い嘘。甘くて甘くて、耳が腐り落ちそうだ。
こんな状況でリリエッタには選択肢なんてない。教会におとなしく従うか、あるいは死ぬか。
リリエッタが最期に選べるのは、私を巻き込んで死ぬかどうかくらいのもの。
「かわいそうに。どうして怯えているのかしら」
とても優しそうな声色。彼女は人を殺すときにもこんな調子でいるのだろう。彼女の言葉は慈愛に満ちている。
「私たち教会は神託を受け、人々に平穏を与える存在です。あなたを苦しませるつもりなんて全くありませんよ。しかし、こんな所にいては危険ですから保護が必要ですね」
「助けてくれるのですか?」
「ええもちろんです。怖がる必要はありません。すぐに、神様の下で暮らせるように手配しましょう」
「暖かいスープと柔らかいパンが用意されているぜ」
温かいスープと柔らかいパン? そんな高価な物を教会が無償で与える訳がない。
長い労働の果てに温かいスープと柔らかいパンの残骸を恩着せがましく与えられるだけだろう。
……と、普段から教会のネガティブキャンペーンには余念が無かったからリリエッタが騙されることはないと信じたい。リリエッタに自由意志が認められるならば。
「幸せな暮らしになります。迷うことはありません」
追跡者の女は優しくほほえんだ。
「私は……」
「私は?」
追跡者と幼い少女との間に短い沈黙が流れる。
ああ、こんなふうに黙り込むリリエッタは……。
「私は、一緒には行けません」
「あら残念」
リリエッタは明るく言い切る。それと同時に、追跡者の女はその手を振り下ろして――。
「ああもうっ! どうしてあんたは鈍くさいのよ!」
「ミューエ?」
リリエッタを見殺しになんて出来るわけがない。私は追跡者の女を思いっきり突き飛ばして、リリエッタを後ろに隠した。
「あら? あなたはどちら様ですか?」
「私はミューエ。リリエッタの仲間よ」
穴蔵から飛び出した私の不意打ちを食らってよろめく女。
この女がリリエッタを殺そうとしたのか。
突き飛ばされたというのにまるで動じていない女を睨みつける。
……女は人間と思えないくらい完璧な容姿をしている。教会の「完全性」を体現しているかのようだ。敵対的に睨んでいる私にさえも優しい視線を向ける所を見ると、人格までお綺麗らしい。
その反吐が出るような優しい眼差しで、リリエッタを見つめていたのだろう。
「今、リリエッタを殺そうとしたな」
「いいえ? 私はただ、彼女の頭を撫でて差し上げようとしただけですよ? ――怖がらせてしまいましたね、申し訳ありませんでした、と優しく頭の上を数回。心行くまで」
「ウソだ。あなたは確かにリリエッタを殺そうとした」
「信じてもらえないなんて残念です。私はあなたたちに危害を加えるつもりはこれっぽちもありませんのに」
「殺してしまったら神様の元に届けて差し上げた、殺さなかったら危害を加えるつもりはなかったでしょう。あなたたちは欺瞞が過ぎるのよ」
「そんなことはありませんが……。いえ。あなたに何を言っても信じてもらえないようです。ここまで信心が失われてしまっては改心の見込みもありませんね」
「……あら? あなたは神様の敵ですか?」
教会からの追跡者、“聖女”アンナローゼはガラス玉のような目でこちらをじっと見つめる。教会の人間から「神敵か?」なんて訊かれては、もうどう答えようとも殺すつもりだろう。
「神様に逆らうつもりはない。でも、神を騙るあんたたちに従うつもりもない」
「私たちは神の代行者ですよ? 何をおっしゃるのやら」
「あんたたちの嘘にはうんざりなのよ」
戦闘態勢に入るために腕の短剣と、ポケットに入っているアクセサリーを持ち……。
ポケットの中身は空っぽだった。
「はあ、運の神様には見放されたか」
「運の神様、なんてものはいませんよ。神様はたった一つのお方。一にして全。ーーああ! 神様の名前を間違えるなんてあなたはなんて罪を犯してしまったのでしょう! あなたは神様の秩序を乱す悪魔に違いありません!」
「うるさい。私は神様でも悪魔でもないただの人間。まともに生きてみたかったただの人間よ」
「悪魔が人間を騙らないで頂けますか? あなたは私の手ずから滅ぼして差し上げます」
いちいち発言が芝居がかった女だ。人形のように整った外見も相まって、出来の悪い人形劇を見せられている気分になる。
「御託は良い」
相手は教会の追跡者。最初から勝ち目などない。ならば、先手必勝だ。
アンナローゼが戦闘態勢に入る前に、私は隙を見て攻撃を仕掛ける。のど元に向けて短剣を突き込み――、それはあっさりとアンナ-ゼに受け止められる。
「良い突きですね」
アンナローゼは完璧な笑顔を私に向けてきて、どこから取り出したのやら彼女の両手に持っていた杖をたたきつけてくる。
彼女はシスターのはずなのに、相当な筋力で吹き飛ばされていた。
「この怪力女……!」
吹き飛ばされた先の木に叩きつけられる前に体勢を整え、逆に木を蹴ってアンナローゼに向かって飛ぶ。
「あらまあ、まるでお猿さんのようです」
「うるさい! こう見えても初等部は魔法学園の生徒だったんだから!」
「どこで道を間違えてしまったのやら。あなたのご両親は泣いていますよ」
「両親は死んだ!!」
本当に正しいルートしか見ていない女だ。親のいなくなった子供なんていくらでもいるのに、そんなものは存在しないかのような振る舞い。
木の反動を利用した突撃をアンナローゼに食らわせようとして、しかしそれはあっさりと杖に受け止められた。
「それはご愁傷様です。悪魔に墜ちたあなたのご両親は地獄で怨念の声を上げていることでしょう」
「勝手に両親を地獄に落とすな。この似非宗教家!」
アンナローゼの杖を蹴り、体勢を立て直……そうとして、アンナローゼが距離を詰めてきて顔面を殴打される。
「かはっ」
「もう終わりですか? 悪魔さん」
「終わりじゃ、ない」
この世界に神はいない。悪魔もいない。ただひたすら不条理な世界の理が敷かれているだけだ。
顔面を殴られて鼻から血液が飛び散り、思いっきり後方に飛んだ。
「あんたが私よりも強かろうと、私は絶対にあんたなんかに殺されてあげない。あんたなんかに!!」
「異様なほどタフな方ですね。何があなたを奮い立たせているのかしら」
「私は生きるのよ!!」
余裕からか、アンナローゼは杖を構えたまま動かなかった。
私はすぐさま体勢を立て直す。……命をこんなところで落としてなるものか。私は生きる。絶対に生きなければならない!!
「これほどタフだと、私も少しだけ本気を出してみたくなりますね」
大して距離がない状態で、アンナローゼは杖を構え直した。アンナローゼが持つ杖の先端にある魔法石が突如として光り――、世界が一変する。
大気中のマナが魔法石に吸い寄せられ、膨大な魔力に変換される。
この世の理をねじ曲げる不条理。人間には行使不可能なエネルギーを道具に肩代わりさせることによって行使する英知の結晶。
「――清浄なる光よ」
それは、魔法。
「神の名において悪を滅せよ“フレイム”」
すべてを滅却する炎。教会が持つ神聖系炎属性魔法、「フレイム」。
私を殺す光。あまりに神々しい光に、私は――。
「――同種に会えるとは思いませんでした。これは時の巡り合わせかしら?」
目の前に立つ黒い影によって、命を救われた。