第三話
けたたましい警笛の音が戦場に鳴り響く。
これは人間社会に対する危険度が一定以上となったときに、人間社会の防衛機構に対して活動開始を知らせるベルの音だ。
滅多なことでは鳴らなくて、私が実際に聞いたのはこの戦争が始まるときの一度だけ。
「それほど危険だったというの?」
アンデッドが人間にとって危険なのは、世界に眠っている膨大な死体と膨大な群衆の組み合わせがアンデッドの増殖に好ましいから。
一歩間違えば国が丸ごとアンデッド軍団に変換される可能性があり、アンデッドの特性が近代化された人間社会には都合が悪い。
それに、宗教的な理由。……こっちの方が大きいかも知れない。
では、あの女性は――?
「アンデッドよりもよっぽど危険そうに見えた」
アンデッドが都市に近づくと警報が鳴るようになっている。どうやらアンデッドの持つ何かに反応する警戒装置があるのだ。
……ということは、あの女性はアンデッド用の警戒域に入らなくても、警戒装置を作動させたということか。
「考えるのは後にしよう。そんなことより逃げないと」
警報音が鳴り続けている。こんな所に居たら追っ手がやって来るのも時間の問題だ。
人間の防衛機構はいくつかあるけど、戦場で発生したアンデッドは教会が処理する。足の速い彼らは探知魔法をフル活用してここら一帯を探すはずだ。
教会からの刺客はアンデッドを倒せるのはもちろんのこと、とにかく敵を見つけることに特化し、確実に神敵を討ち滅ぼす。
それに、元々この場所はあまりに見晴らしが良い。
戦場の端から端まで見渡せるほど平坦な地形が広がっていて、こんな場所では立っているだけでも
目立ちすぎる。
「ああもう、こんな所で捕まったら事情聴取からの修行生活に突入しちゃう」
世界に報われない子供が何人居るか。
神への奉仕をお金に換える欺瞞に満ちあふれた教会に取り込まれるなんて真っ平ごめんだ。
あいつら、反抗的な子供達のアキレス腱を傷つけて「反省」なんて喜ぶような集団だし。
「兎に角ここを離れなきゃ」
私は走り出す。
遥か東方では「三十六計逃げるに如かず」という諺がある。意味はさっさと逃げろ、だ。
「どうせ教会の連中は都市部からやって来るから、このまま私たちのアジトに帰った方が良さそうね。リリエッタは無事にアジトに帰れたかしら」
戦場近くの森の中に私たちのアジトは隠してある。リリエッタもそっちに向かっているだろう。
平坦な戦場を抜けると、途端に鬱蒼とした森が広がっており、私はそそくさと森の中に帰って行く。
「ああ、森の中にいると安心するわ」
森の中では死体の数は途端に減る。戦場のように見晴らしが良いわけでもない。
アンデッドの出現確率はがた落ちし、教会の人間がやってくる確率もがた落ちする。これはもう森の中に逃げ込むしかない。
「ここまで来れば追っ手にも見つからないかしら?」
それからそこそこの時間が経過した。森に入ってから結構な距離を稼いだし、アンデッドが見つからなければ諦めて都市の守りを固めに行くだろう。もう安心だ。
「こちらを探しますよ」
「えっ!!?」
……というもくろみは、森の中で聞こえてきた女性の声により霧散する。
え? どうして教会が戦場から離れてこんな所まで捜しに来るの?
「あれが出てきたならここ一帯を更地にしてでも滅却しなければなりません。百人単位で捜索活動を始めますよ」
「戦闘部隊が総動員ですね」
絶望を与えるには充分な言葉。まだ私のいる位置からはかなりの距離があるけれど、探知魔法を駆使するからには心許ない距離。
教会は「一定距離の障害物を透過するような」探知魔法を有しているはずで、樹木の影に隠れても意味がない。
地面に倒れ伏して死体と思って見逃しもらうのを祈るくらいしかない。
「動くものを見つけ次第攻撃して下さい。あの女がやって来たなんて何十年ぶりでしょうか? 見つけ出して殺しますよ」
「その通りです。絶対に見つけ出して殺さにゃなりませんな」
なんとも物騒な会話である。それに、そんな会話をしている彼らからにじみ出てくる雰囲気……。
かなり高位な聖職者だとお見受けする。あのアンデッドを喰らっていた女性は教会にとってそれほど危険な存在なのだろうか。
「あれはアンデッドが数回進化して到達する神の敵ですからね。噂じゃ太古の昔から存在しているって聞きましたよ」
「こらっ! そんな機密情報がここら辺にお住まいの方の耳に入ったらどうするんですか!」
「ああ、そりゃもうついでに殺しましょう」
なるほど。あれはそういうものだったのか……。いや、それよりも見つかったらついでに殺されてしまうのか。何て凶悪な集団だ。
探知魔法を駆使しながら私よりもよほど高速度で走っているため、私を発見するのは時間の問題だろう。
これは距離をとるよりも身を丸めて隠れた方が良いかもしれない。
「お、何か動く生体反応ありますぜ」
「優秀な探知魔法です。それがなければお喋り者のあなたを連れて来たりなんかしませんけど」
「動くものに対しちゃ王国で一番見つけられるって自負してますぜ。――って、こりゃただの兎だ」
「魔物は神の敵です。間違いを殺しますよ」
遥か後方、しかし先ほどよりも近くから大きな炎が沸き上がる。一匹の尊い命がこの世から葬られたのだろう。
あんな大きな炎魔法を使えるなんて相当に強い集団だ。戦ったらどう考えても勝ち目がない。
いやそれより、いちいち女性の声に賛同している太鼓持ちらしき男の言っていた「動くものに対しては誰よりも優れた」探知魔法……?
よし、身を丸めて隠れていよう。
周囲を見渡して隠れるのに最適な場所を探す。
森と言うだけあって落ち葉や枯れ枝や柔らかい土などには事欠かないが、その中でも隠れるのに適した木を見つけ、そこに隠れることにした。
(って、死体が倒れているじゃない!!)
いや、これは都合が良いのだろうか。
私は衛生面からくる嫌悪感を即座に理性で上書きして、死後数日くらいの兵士の死体の後ろに隠れることに決めた。
運が良いことに、木の幹には子供一人分くらいの空洞があってすっぽりと収まった。
(ちょうど良く木の空洞があってラッキーだった)
私が隠れたのとほぼ同じタイミングで二人の会話が聞こえてくる。
「ああくそ、まーた死体が転がってらあ」
「あの女がここに居るならば食料になりますね。ちょっと下がってなさい」
私とは違ったところにも死体はいたらしい。少し離れた場所から火の手が上がる。もはや遠方とも言えないような距離だ。
「それにしても今回の戦争では凄まじい数の戦死者が出ましたな。何だってこれほどの戦争が起きたのやら」
「王国と王国とのいざこざですよ。王室同士の痴話喧嘩だと私は見ています」
「姫が婚期を逃したら目も当てられませんからね。アンナローゼさんもいい加減所帯を……あ、すいません。…………すいません!!」
「私は神様と契約しているのですからそういった下世話な話とは無縁です。無縁ですが、ここから帰ったあなたには一週間の懺悔を申し立てます」
「たった一つの失言で何というご無体な」
「失言? あなたの未成熟な魂が露呈したのでしょう。修行が足りません」
一見して愉快な世間話だが、彼らの目は森全体をつぶさに観察している。隠れている私でさえも感じられるほどにあからさまな緊張感が周囲を覆っていた。
隠れている腐葉土の中でバクバクと早鐘を打つ心臓の音を聞こえてくる。
あんな気の狂った連中に見つけられたら私は一体どんな目に合わせられるのか。王室がどうのという会話はかなり庶民的ではあったが、本質はそこじゃない。
「なあアンナローゼさん。もしあの女が近くに居るなら俺たちに見つけることは出来るんでしょうかね」
「あの神敵はアンデッドを喰らいに来るはずです。大規模な戦争にもかかわらず見つからないとしたら、逃した可能性もありますね」
「一歩遅かったですか」
「私のような高位の聖職者をマナ袋……、食糧として見なし、襲ってくれる可能性も僅かにあります」
「ああ、それで俺の話題にも付き合ってくれていたんですかい」
「そうでなければ戦場でこのような会話などしていませんよ」
なるほど。先程からの会話にはそんな深遠な理由があったのか。
「どうします? ここらに動く者の気配はないみたいですぜ」
「……この方向に来ている気がしたのですけどね。私の勘も衰えたと言うことですか」
「聖女様に年の流れが関係あるとは知らんかったです」
「それはありません。断じて」
聖女様と呼ばれた彼女は年月に関してはきっぱりと否定した。
「とはいえ、これ以上離れたとしても意味がありませんね。そもそも彼女を戦場で見つけられなかった時点で望みは薄かったですが」
「仕方ねえ。帰りますか」
……帰ってくれるのだろうか。
ピリピリとした空気が緩む。
「あ、動いた」
……というのはただの虚言だったらしい。私から少し離れた場所で安心したらしい人が僅かに動き、彼らはその人を発見した。
「た、助けて下さい……」
それは、私の最愛のパートナー、リリエッタの声だった。