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第二十三話

 

 とんとんとん、という包丁が食材を切る音が鳴っている。

 栗色の長い髪と緑色のエプロンを揺らして調理するのはメリッサの母親――マリサさんだ。

 

 メリッサがメリッサ誘拐未遂事件を告白してからのマリサさんは、遅い時間に訪問した私たちを自宅に招き入れ、是非御礼をと言い始め、強引なお誘いと共に私たちはこの家に留め置かれることとなった。


「好意はありがたいけど、あんまり長居すべきじゃないわね」

「お父さんから“ラダイト盗賊団”の情報を聞かせてもらうまで、だね」

 

 私たちは現在、仕事中のお父さんを待っている。私たちが知りたい情報――盗賊団についての情報は自警団を指揮しているという父親から聞くのが早い。

 

 盗賊被害はこの近隣では深刻な問題で、この村では盗賊団の首領のキング・ラードの名前を取ってラダイト盗賊団と呼んでいるらしい。


 その後、ラダイト盗賊団から村の平和を守る夫の惚気(のろけ)話をマリサさんから聞かされた後、リリエッタと共に食卓の椅子に座った。


 マリサさんは鼻歌を歌いながら調理に勤しみ、夫の帰りを待っている。

 それを見て私は――直ぐにこの家を出て行こうと決める。


 偶々助けた少女の父親が自警団の団長とは運が良い。

 下手に長居しなくて良いため、直ぐにこの村から出て行ける。

 この温かい家族を、教会とのいざこざに巻き込まなくて済む――。

 

「大したものは用意できませんが、

 腕によりをかけて料理を振る舞わせて下さい。私たち一家の自慢の品ですよ」


 そんな私の決意をさえぎるように、マリサさんは美味しそうな匂いを放つスープの中にキャロットを鍋に放り込む。

 ホカホカと柔らかな湯気とハーブを効かせた優しい香りが漂ってきて、私の意思とは関係なく胃が蠕動運動を始める。

 

 きゅー、と久しく聞いたことのない音が煉瓦造りの家に鳴り響く。

 横を見るとリリエッタが慌てて自分のお腹を押さえていた。


 ――まあ、一食くらいならご馳走されても良いかもしれない。

 

「もうすぐご飯が出来上がりますからね」

 

 マリサは赤面する客人を見て微笑む。

 リリエッタは居心地悪そうに肩を縮こませる。

 

 私たちの贅沢と言えば武器を売り払って偶に行く酒場の料理くらいだった。あれはあれで美味しいけれど、やはりできたての手料理は久しく食べていない。

 どれくらい食べていなかっただろうか――。

 

「あんまり厄介になるつもりは無いけど、そう言えばこういうのは無かったわね

「たまにブラックさんが誘ってくれたくらいかな」

 

「あれは絶対に付いてったら駄目な人だよ。

 リリエッタの体を肉欲にまみれた嫌らしい視線で見ていたんだから」

 

「そうだったんだ?」


 リリエッタは好色的な視線に無頓着である。

 あれほど分かりやすい闇市商人の好色的な目に曝されてついて行くというのか。粗末な衣裳を着た虚ろな目をした幼女を撫でつつ、リリエッタを見つめる濁った瞳は、思い出すだけでもおぞましい。


「こんな時に思い出す内容でもないわね。ご飯が不味くなっちゃう」

「ミューエは神経質だよ」

 

 いつの間にか私は顔を顰めていたらしい。リリエッタが短い腕を伸ばして私のほっぺたをつねり、現実に引き戻される。

 

「もう少しで出来上がりますからね。

 メルケルさんが帰ってきたらご飯にしましょう」

 

 メルケルとはこの一家の大黒柱であろう。

 仕事帰りにこれほど豪勢な食事を用意していたら驚くに違いない。

 

「ただいま」

 

 と、噂をすれば「自警団団長のメルケルさん」が帰ってきたみたいだ。

 

 季節が春と行っても夜はまだ冷え込み、すっかり暗くなった外の冷気が家の中に吹き込む。

 背の高く優しげなジェントルマン――それが私のメルケルさんへの印象だが、メルケルさんの表情は心なしか暗かった。

 

 どんよりと落ち込んだ様子で、メルケルさんは玄関の扉を閉める。

 

「お帰りなさいませ。――あら? どうしたんですか、そんな表情をして」


「実は……、非常に言いにくいんだが……。

 いつも通り、いや、いつもより少しだけ遅くなってしまったんだ。

 すると魚屋の亭主からはメリッサが既に帰っていると言う。

 私は彼を怒鳴りつけて……、いや、慌てて帰宅したのだが、つまりだ……」

 

 どうやらメルケル氏はメリッサが誘拐されたかも知れないと考えているようだ。マリサさんは彼の話の途中から悪戯っぽく笑いかけて、しかし直ぐに神妙な表情を作る。

 

「――メリッサがどうなりましたか?」

 

 マリサさんが何かを察したように話すと、メルケルさんは体を震わせた。

 唐突に沈黙の時間が流れる。

 夫は苦しげに言葉を選びながら、そして妻は苦しむ夫に愉悦の表情を浮かべながら。

 メルケルさんは悩んだ後、軽く頷いて口を開く。

 

「もしかしたらメリッサは――っ!!」

「お帰りなさいっ! パパっ!」

「メリッサっ!?」 

 

 と、堪えきれなくなったのかメリッサがメルケル氏に抱きつく。体を投げ出す娘の体をキャッチして小さな頭を撫でた。

 メルケル氏のコートが子供の体温で暖まっていき、冷え込んだメルケルさんの顔に赤みが差し込む。

 

「何だ先に帰っていたのか! お父さん心配したよ!」

「大丈夫だったの!」

 

 なんだこの茶番は。

 私は白けた視線を彼ら親子に向けるが、何故か私の視界はぼやけていた。

 いい話だ。

 

「くすん。良いことしたね……」

 

 リリエッタは大きな瞳をうるうるさせている。

 

「メリッサは実際に――、いえ、その前にお食事にしますか。

 娘を助けて下さった恩人を待たせてしまってはいけませんからね」

 

「助ける? メリッサは一体どうしたというのだ」

 

 メルケルさんはようやく私たちに気付いたように視線を送ってくる。

 

「どうも」

「お、お邪魔しています」

 

 見覚えの無い私たちを見てメルケルさんは首を傾げ、マリサさんとメリッサの二人を交互に見る。

 

「ミューエさんは人攫いに襲われかけた私を助けてくれたんだよっ!」

 

 空気が凍る。

 

 

 装飾の施されたダイニングテーブルには色とりどりの魚料理やスープが広げられていて、そのどれもが食欲を湧き立てる。

 リリエッタと共に瀟洒な椅子に腰掛け、メルケル一家と共に食卓を囲う。

 

「本当に助かりました。何と御礼を申し上げて良いものか……」

「気にしなくて良いわ。メリッサさんを助けたのは成り行きだしね」

 

 何度も頭を下げるブリキャス紳士のメルケルさんに困りながら、とろみのかかったトマトスープを掬う。湯気を立たせながらお皿にとろとろと滴り落ち、私はひと思いにそれを飲み込む。

 久しぶりに食べる人間の食事に、胃が柔らかく温まっていくのを感じる。

 

「美味しい。美味しいよミューエ……」

 

 リリエッタは泣きながら料理を頂いている。

 それにしても、これほど美味しい食事を食べたのは初めてだ。

 白いお皿にこれでもかと盛られたお魚料理がどんどん消費されていく。

 

「あんまりガツガツ食べちゃ駄目よ、もう」

 

 私は凄まじい勢いで手料理を食べるリリエッタにため息をつくが、かく言う私も自分のお皿が目まぐるしく回転しているのを感じている。

 美味しいから仕方が無い。

 

「ふふっ――、即席でしたけど美味しく召し上がって頂いて嬉しいです」

 

 マリサさんは聖母のように微笑んでいる。

 ここブリキャスでこれほど美味しい食事にありつけるとは。

 私は強いカルチャーショックに苛まれながら、白魚にフォークを突き刺した。

 

「王都の方から来たならば、新鮮な食材は初めてでしょう。

 あちらでは食材の質があまり良くなくて、親の敵のように食材を加熱すると聞きます。

 こちらの港湾都市では新鮮な魚はいくらでも手に入りますからね。それに港が近いから海外からの食材が豊富だ」

 

 メルケルさんは紳士らしく綺麗なテーブルマナーで食事を楽しんでいる。リリエッタも私も食材を手づかみしない程度のマナーしか持ち合わせていないため問題はあるだろうが、メルケルさんは特に気にした様子も無い。

 

「ミューエさんは彼の盗賊団について訊きたいそうだ。

 ああ、フォークを置く必要はありませんよ。

 私が彼らの情報を一般市民に流したら大問題ですから。

 つまり、これは単なる独り言なんです」

 

 かちゃかちゃとリリエッタのお皿を鳴らす音。

 それに紛れてメルケルさんは一人で呟き始める。

 

「技術革新の波に飲まれて失職した人々が大勢います。

 彼らの多くはファミリービジネスを営んできたり、

 あるいは出稼ぎの職人崩れだったりするのですが、

 ともかく経営が立ちゆかなくなった人々が王都近郊に放り出された」

 

「自分の生活を守るためですから、強すぎる大企業に恨みを持つ気持ちも分からなくはありませんがね。

 彼らは徒党を組んで上手く行っている所を叩きつぶしに出向いています。私たちの村は食品加工を営んできて何とかやって来ていましたけれど、人攫いなんかも出てきて最近では警護なしでは外にも出られない」

 

「――ここから十五キロメートルほど離れた廃城を彼らは根城としているそうです」


「たしかあの城は遙か昔のノルマン・コンクエストで争った原住民族が構えていた城だったと聞きますが、いやいや、やはり不吉な建築物には不吉な出来事が起こってしまうらしい。

 今では五百人にもなる軍勢を構え、凄腕の傭兵まで雇いだしたそうだ」

 

 メルケルさんはやれやれと言った様子でため息を吐く。

 私は白魚の最後の一切れにフォークを突き刺し、口の中に投げ込んだ。

 

「――んっ、マリサさんのお食事はとっても美味しかったです。このご恩は一生忘れません」

「あら? ミューエさんはお泊まり頂けないのですか?」

「長居しても悪いですから」

「ご馳走……様でした……」

 

 私とリリエッタは一緒に立ち上がる。リリエッタは何故かむくれ顔であった。

 

「娘の恩人ですからもう少しごゆっくりしても良いのでは?

 二人で出歩くには暗すぎると思いますが――」

 

 情報を渡したにもかかわらずメルケルさんは心配した様子である。

 ――いや、彼は娘救出の御礼をしただけか。

 

「今日はありがとうございました。また機会があったら遊びに来ます」

「ごちそうさまでした……」

 

 リリエッタを連れて、扉を開く。

 

 扉の向こうは暗闇に染まっていた。

 



――――――――――――――――――――――――――――――――


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収入

          0


支出

空腹        2


収支合計      -2

前回残高     1382

現在残高     1380 

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