第二十二話
人攫いを撃退した。
彼らが袋に詰めようとしていた少女は無事だ。
盗賊達がそれぞれの傷口を押さえながら走り去るのを遠巻きに眺め、視線を足下に移す。
今回の被害者である少女が、力なく地面に手を突いて蹲っていた。
体の大きさはリリエッタと同じくらいだが、血色が良くて幾分か健康そうである。
いや、リリエッタが不健康というわけではないけれど。
「さ、起き上がって。立てるかしら」
私はその場で倒れたままの少女に手を差し伸べる。少女は私の手をぼんやりと見て、僅かに逡巡した後に小さくてふっくらとした手を伸ばしてきた。
「あんなのに襲われるなんて運がなかったわね」
少女の体温を感じながら彼女を起き上がらせる。
「助けて下さいましてありがとうございます」
起き上がると、少女は三つ編みお下げをふわりと揺らしながら深々とお辞儀をする。
着ているワンピースがふわりと広がり、蜂蜜のような甘い匂いがした。
「気にしなくて良いわよ。人を助けるなんて当たり前のことなんだから」
更に言えば落ち込んだリリエッタの機嫌を直すための丁度良い「イベント」でしかない。私がこの娘に感謝されるのは少しむず痒い。
「助けてもらった御礼に私のお家に案内させてもらえないでしょうか。そこで何かお料理でも振る舞わせて下さい。
私の村で作っている加工品は有名なんですよ」
「良いわよ別に。御礼が欲しくて貴方を助けたわけじゃないし」
「あ、私の名前はメリッサと言います。
ご恩を受けて返さないなんてお父さんに怒られてしまいます。
――ということで、私のお家へどうぞ。
ささ、こちらへこちらへ」
「人の話を聞かないタイプか」
私とリリエッタは教会から追われている。
何かの拍子でこのメリッサに迷惑をかけてしまう事もあるだろう。
メリッサには悪いが、この誘いは固辞させてもらった方が良い。
「悪いけど――」
「ミューエ、少しだけお世話になろうよ。
それであの盗賊さんについて話を聞かせてもらいたいな」
再び断りの言葉を言おうとすると、いつの間にか私の隣に立っていたリリエッタに先を越される。
途中で話に入ってきたリリエッタにメリッサは驚いた様子だが、すぐに気を取り直してニッコリと友好的に笑った。
「どなた様ですか?」
「私はリリエッタと言います。ミューエと一緒に旅をしています」
リリエッタの言葉を聞いて目をパチパチと瞬きする。
そして、メリッサは青色の瞳をリリエッタに向けた後に私に向け、そしてもう一度リリエッタを見る。
「旅をご一緒なさっている方にも御礼をするのは問題ないと思いますが……、
盗賊について訊きたい、ですか?」
「はい。あの盗賊についてです。
彼らはあそこにいた五人だけじゃないですよね?
きっと徒党を組んで悪さをしているに違いありません。
御礼を下さるなら情報を下さい」
畳みかけるようにリリエッタが提案する。
これはきっと死霊術師に関することだろう。
「うーん……、私はあの人達についてそんなに詳しくないです……。
あ、でも私のお家に来て下さればお父さんが盗賊について何か知っているかも知れません。
丁度良いですし、私の村にいらっしゃいませんか?」
「そうね」
死霊術師としては魂を得られそうな機会を逃せない。
盗賊の討伐をすれば大量の死体を得られる。
――そういうことか。
「それでは、こちらに付いてきて下さい。
ちょうど私は帰り道でしたので、家族も待っていてくれています」
家族が待っている、か。
それはきっと、とても得がたいものだろう。私にはリリエッタがいるけれど。
「お言葉に甘えさせてもらいますか」
私の言葉を聞いて、メリッサはあんな事件の後だというのに楽しそうに草むらを歩き始めた。
緑色のワンピースをヒラヒラと揺らすメリッサの後ろを、私とリリエッタが追いかける。
「ここからはそんなに遠くはないですよ。
あの人達に追いかけられて少しだけ道から外れてしまいましたが、
ほら、あそこの草が生えてないところは村に続いているんですよ」
私たちを先導するメリッサが振り返り、緩やかな斜面の向こう側に見える場所を指さす。
白い岸壁に隠れて見えにくいが、確かに人が通った跡が残っていた。
「私たちが水産物を加工して港湾都市まで持っていくんです。
そこでもらったお金でまた水産物を買って、それを加工して……、
というように、私たちの村は働いてます」
「あんたもその一人か。立派なものね」
「私は加工品を売ってくれてる商人さんのお店で売り子をさせてもらってるだけですけどね」
商店の売り子は見目麗しい人が選ばれたりする。
その理由は――押して測るべしや。
三つ編みをぷらぷら揺らしながら会話していたメリッサは特に自慢するでもなくまた前を向いた。
「売り子か。
それじゃメリッサは特に気をつけないとね。
人攫いがいつも狙ってるだろうし誰かと一緒にいないと危ないんじゃない?」
「いつもはお父さんが迎えに来てくれるのですが、
最近はお仕事が多くて今日は一人で帰れとのことでした」
「一人で?」
可愛い娘を一人で帰らせるなんて事があるだろうか。
この長閑な港町でどんな陰謀があるようにも思える。
潮風に曝され暢気に揺れている雑草を睨む。
「ふん、ふふーん」
私の前を歩くメリッサは鼻歌などを口ずさむほどご機嫌だ。
よく整えられた栗色の髪の毛に白いカチューシャをかけた姿は大事に育てられていることが分かる。
やはり今回のはただの偶然だったのだろうか。
――いや、そもそも私が深く立ち入るような話でもない。
私は潮風の匂いがする爽やかな空気を肺いっぱいに吸い込んで、吐き出す。
そうして自分の思考を打ち切り、ゆっくりと流れていく雲を眺めた。
青い空が何処までも広がっている。
白い雲がのんびりと流れている。
ここは平和な場所だ。
「メリッサの村はどこに?」
「この道を真っ直ぐ行けば直ぐですよ」
正面を見る。
地平線の端に薄らと家らしきものが散見していた。
「ああ、あれ」
もう十分もしないところにその村はある。
両腕を背中に組んで歌いながら歩くメリッサと共に、私たちはその村に近づいていく。
ああ、ここは平和な場所だ。
・
・
・
「ただいまーっ!」
村に通された私とリリエッタはメリッサに連れられるがままに真っ直ぐ彼女の自宅へと移動し、玄関を空けるや否やメリッサは唐突に叫んだ。
目の前で叫ばれた大音量はリリエッタがビックリしてちょこんと飛び跳ねるほどである。
帰還の挨拶は家中に響き渡り、五メートルほどの距離にある台所で料理をしていたメリッサに良く似た人物は胡乱げにこちらを見やり、まずメリッサを見た後に隣に立つ私たちを見て、あら? と首を傾げた。
「はいはいお帰りなさい。
今日はお友達を連れてきたの?
そろそろお夕飯だから帰ってもらわないと行けないけど――」
「違うの。私がミューエさんとリリエッタさんをここに呼んだんだよ」
「いやだから、お友達と遊ぶ時間じゃないって」
少々間の抜けた回答は幼さ故に許されるだろうか。
メリッサの母は苦笑交じりに私たちの自宅送還を促すが、メリッサは困ったように腕を組んだ。
埒が明かないと判断したのか、メリッサの母親は相手を切り替えて私を見た。
そして気付く。
「お友達――という感じでもないですね。あら? メリッサとはどのようなご関係で?」
このくらいの規模の村ならば全員が顔見知りだろう。
私たちの顔を見て見たことがない事に気付き、そしてメリッサが連れてくるにしては年の離れた私の顔を見て、その関係性がよく分からなくなったようだ。
端麗な顔を訝しませながら、メリッサ母は社交辞令の笑顔を作った。
しかし、私たちに対応しながらもチラリと後ろを見て料理の火加減を気にする当たり、この御仁は中々に優れた妻であるらしい。
「ミューエさんは人攫いに襲われかけた私を助けてくれたんだよっ!」
空気が凍る。
作り笑いの口元はそのままに目だけ大きく見開き、問題発言の発言主――メリッサを見る。
母親の困惑に気付かず、メリッサは晴れやかな表情のまま話を繋げた。
「でもね、ミューエさんが人攫いを蹴っ飛ばしてくれて、ピューって飛んでいったんだ。もうヒーローみたいだったんだ!」
まるで作文を先生に褒められたことを報告するが如く、メリッサはつらつらと私の英雄譚を口にする。
それを、メリッサの母はその話を半分も聞けていないだろう。
もはや作り笑いは崩壊し、目には大粒の涙が浮かんでいる。
「袋の口に足が触った時はもう不安で不安で――」
母は小刻みに震えながら腕を広げ、そして、リッサに抱きつく。
「連れてかれなくて良かった……」
感動の再会である。
私は人助けが出来たことに満足感を得て、チラリと隣に立っているリリエッタを見やる。
リリエッタは悲しそうに二人を見つめていた。
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現在の魂 1382 / 10000
魂残高計算表
収入
0
支出
空腹 3
収支合計 -3
前回残高 1385
現在残高 1382




