第二十一話
使徒が襲ってきた森から抜け出して五時間が経過した。
木の密集していた景色は様変わりし、剥き出しの白っぽい地層が高低差を生んでいる。
この地域は潮風の影響で樹木が育たずチラホラと短い草が群生している程度だが、漁業が盛んで不毛な土地というわけではない。
もう少し進めば、『港湾都市ドーバル』として交易の盛んな港町が見えてくるはずだ。
「流石にここまで来れば襲ってこないでしょう」
「そう……だね」
あの忌まわしき森を抜け、標高二千メートル級の山脈を横断して遥か遠くまで逃げてきた。
魂を消費しつつ時速六十キロメートルくらいで五時間。
リリエッタを背負いながらのため最高速度とはいかなかったが、ここまで離れたら教会と言えども追っては来れまい。
「ん?」
しかし、心配なことにリリエッタは私の背中でグッタリとして元気がない。
死霊術を放った後遺症でもあるのだろうか……。
「どうしたのリリエッタ。大丈夫?」
「うう……」
リリエッタは返事を返してこない。
流石にここは安全地帯ということでリリエッタを背中から降ろす。
「少し休憩にしましょうか」
自力で立つことは出来るようだが、リリエッタは栄養失調気味の華奢な体を震わせながら下を向く。
金色の髪の毛が小刻みに揺れ、大きな青色の瞳には涙を浮かんでいる。
これは、肉体的と言うよりも精神的な疲労が大きいようである。
見るからに落ち込んでいる。
そして、私が何かを聞き出すのを待っている。
あ、これ面倒くさいやつだ、と私が気付くのに時間はかからなかった。
「私に言いたいことある?」
ため息交じりにリリエッタに尋ねた。
リリエッタはビクッと肩を跳ね上げ、そのまま下を向いて停止した。
まるで悪事がバレた子供のようだ。
親からのお説教を待ちつつお説教がない事を祈るような態度。
「はあ……気にしなくて良いわよ」
リリエッタが気にしているのは自信満々で提案した案が失敗した事だろう。
戦場から魂を回収するにあたり、「教会は隙だらけ」「魂を回収するなら今がチャンス!」などと言って、見事に使徒長アナスタシアに裏をかかれたのだから。
しかし、私はリリエッタを怒る気にはなれなかった。
この小さい少女の落ち込みやすい性質は今に始まったことじゃない。
「私たちが攻め込みそうな場所に使徒を配置して、
まんまと誘き寄せられたのと同時に私たちに襲いかかったんでしょう。
アークランドに対処している間に私たちを包囲して、
安全圏から遠距離攻撃で私たちを仕留める――、
っていうのがアナスタシアの策だったんでしょ?」
「おそらくは……」
私は慰めることが苦手である。
しかし、リリエッタは物事を曲解して自責の念を増幅させるタイプだから事実確認でも少しは気持ちを持ち直すだろう。
「危険なのは最初から分かってた。
でも、あれをやらなかったら私たちは今頃のんびり出来たけど十年後には確実に死んでる。
だって、初期ブーストを得られなければ今後の伸びしろは期待できないから」
「うん……」
そもそも、リリエッタだけが知っていた死霊術師としてのルールを考えれば、今回の行動は妥当。
死霊術師にとって魂は最も基本的な資材。なければ何も出来ない。
「最近は戦争が多いと言ったって月一回も戦争があるわけじゃない。
むしろ大きな戦闘の後には休戦期間が数年か、下手したら十年以上かかるかもしれない。
死神が現れたなら世界的な休戦協定が締結されるかもしれない。
そんなことになったら、復活した聖女に殺されちゃうもんね」
「その通りです……」
「戦場に行ったのは無駄じゃなかった。
危険も多いけど私たちが永く生きるにはこれしかなかった。
だからあんたは気にしなくて良い。そうでしょう?」
「うう……」
リリエッタは辛そうに地面を見る。
ポタポタと透明な雫が垂れ落ちていた。
「ごめん……、ごめんね……ミューエを危険な目に遭わせちゃった……」
「気にしなくて良いわよ」
これが多感な時期というものだろうか。
自信満々と自信喪失の振れ幅が大きいことだ。
正直なところ頼りない、という印象しかないが、死霊術師のルールを知っているのはリリエッタしかいない。
「リリエッタは良くやった。私だけだったらあそこからは抜けられなかった。
死霊術?
あんな凄い魔法見たことも聞いたこともなかったよ。
リリエッタがあんなに凄いこと出来るなんてビックリした」
「それは……、五千人分の魂を消費しているわけでして……」
「退魔師だけじゃなく、
使徒――、それも十二使徒から逃げ果せたんだから胸を張りなさい。
あいつらに一泡吹かせてやれたことは凄い事なんだから」
「でも……」
「あんたは凄いことをした。私はそれで助かった。それで十分じゃない」
ぴしゃりと言い切る。すると遂にリリエッタは黙り込んだ。
リリエッタとの長い付き合いから、これは少しだけやる気を出し始めたと言うことが分かる。
「湿っぽいのは抜きにして、次の一手を考えましょう?」
「次……?」
「これからどうしようかしら? 適当にお墓でも漁っていれば良いのかしら」
「死体は重要だけど大切なのは魂だよ……」
「えーと、つまりは?」
「うう……」
詳しい話を聞こうとしたところでリリエッタが呻き始めた。
私は心の中で舌打ちする。リリエッタの精神力ではまだ次のステップに進むのは時期尚早だったようだ。
「――――、――――ッ」
「それじゃ、取りあえず……ん?」
リリエッタのメンタルをどうやって持ち直したものかと思案していると、遠方から甲高い女の声と男達の怒号が聞こえてきた。
痴話喧嘩と言うには少し声色が不穏である。
こんな辺鄙な土地で起きそうなことといえば人攫いの類いであろうか。
「話は後ね。ちょっと人助けにいきますか」
「そう……だね」
リリエッタの声は浮かないままだった。
しかし、少しはやる気を持ち直したらしい。
少なくとも、顔を地面と水平に持ち上げる程度には。
「リリエッタは本当に世話が焼けるんだから――」
苦笑しつつ、少女誘拐の現場へ向かって走り出した。
・
・
・
ここは高低差の激しい地形である。
私たちのいる場所からずいぶん下の所で五人の男が一人の少女を袋詰めにしようとしている。
「助けてっ――、やめて――」
「黙れ餓鬼がっ!! 大人しく捕まってやがれ!!」
「いやっ!! いやああああああっ」
少女は三つ編みお下げの田舎っぽい姿をしていた。
これは人攫いだ、というのは一目見て理解する。
分かりやすい悪事。自明な人攫い。
リリエッタが気を取り直すにはおあつらえ向きである。
「助けて上げないとね」
少女が誘拐されそうな現場を見て放っておくことなど出来ない。
傷ついたリリエッタの心は善行により回復する。まさに一石二鳥。
私は少し危機として――誘拐の現場を見下ろしていた。
「そう、だね」
五人の男たちが寄ってたかって少女を捕獲しようとしている。
三人が少女を押さえつけ、二人が大きな袋の口を開いて中に入れようとする。
見事な連携だ。
男達はお揃いのバンダナを頭に巻き、悪そうな口ひげをたくわえ筋骨隆々。
その姿はまさに山賊そのもの。
山賊だけあって全員武装していて戦闘力は高そう。
助けに入ったとしても、下手な手を打ったら少女の命は危険にさらされるだろう。
「それじゃ、いっちょ助けてしまいますか」
しかし、それは実力が拮抗していればの話である。
あの教会の使徒とやり合った後では山賊に脅威を感じられるはずもない。
軽く崖から飛び降りて、人攫いたちと少女の真ん中に着地した。
「なんだてめ――っ」
「ほっ」
私の登場に驚いた山賊の一人を回し蹴りで撃破。
蹴りの勢いを殺さずにそのまま男の胸ぐらを掴み、力任せに投げる。
投げた先にはもう一人の男。二人まとめて体勢を崩し、そこに前蹴り。
「がはっ――っ!!」
高低差もあり、三人の男がどこか遠くに転がり落ちていく。
残りの二人は呆然と口を開き、ついでに袋の口も開け続けていた。
「んじゃ、あんたも飛んどく?」
三つ編みの少女を後ろに控えさせて、二人の山賊に対峙する。男たちは顔を見合わせて、そして私と向き合う。
彼らの目はまさに忌々しいものを見るものに変化していくが、過半数の仲間を一息にやられて戦意を喪失したようだ。
「糞女が。覚えていやがれ」
悔しげに捨て台詞を吐くと、男達は去って行った。私に背中を向けて。
「くそおんな――?」
暴言を吐かれて見逃すはずもなく、暴言を吐いた方の男を強めに蹴飛ばす。
ぷぎゃ、という蛙を潰したような音を出し、五十メートルくらい先に飛んでいく。
「ちっ」
残った最後の一人は舌打ちをしてそそくさと去って行く。
まあ、舌打ちくらいなら許すか。
埃を払うようにパンパンと手を打ち、男を見逃す。
そして、足下にいる少女へと振り返る。
「怪我はないかしら?」
「はい――大丈夫です」
三つ編みの少女は頬を赤らめて応えた。
うん、無事で良かった。
やはり良いことをすると気持ちが良い。
私は胸のすく思いで少女を見つめ、崖の上にいるリリエッタに視線を移す。
私たちを見下ろすリリエッタは――、悲しそうに少女を見つめていた。
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現在の魂 1385 / 10000
魂残高計算表
収入
0
支出
高速移動 560
強化付与攻撃 30
強化付与強攻撃 20
空腹 5
収支合計 -615
前回残高 2000
現在残高 1385




