第十九話
使徒アークランドの身体に魔法が巡っていく。
身体強化系の魔法は誰にでも使えるが、その性能は術者に大きく依存する。
使徒は教会の最高戦力。
すなわち、その身体強化魔法は高い性能だと予想される。
「こっちは生身なのに卑怯じゃない?」
「使える物を使い切るのが僕の主義でね」
アクセルの魔法はみるみる内に浸透していき、魔法の完成と共にアークランドの背中に“翼”が生える。
白銀の甲冑を纏い、輝く翼を生やしたその姿は、教会信者ならば“聖騎士”と呼びたくなるだろう。
「これなら少しは追いつけるかな」
アークランドがにこりと微笑む、と同時にその姿が消えた。
「こっちだ」
私の目の前にアークランドが立っていた。背中に生える両翼は神々しく、迸る魔力はまるで烈風。更に腰に差した魔法剣は――聖剣と呼ばれそうな大業物である。
逃げ切れない。切断される。
下手に動こうとすれば魔法剣に両断されるかも知れない。
アークランドに接近するのは危険な上に、リリエッタを抱えたままじゃ戦えるはずもない。
一刻も早く離脱すべきだが、立ち止まったアークランドに交渉の余地があるのだろうか――?
「そんな顔をしないでくれ。ただ教会に来るよう勧誘しているだけだろう?」
「断ってるでしょう」
「神は万人に微笑む。すなわち、君たちを保護することは教会の使命だ」
嘘。
論理が破綻している。
どうして神が微笑んでいると、私たちが保護されなければならないのか。
腹立たしさを覚えながら、アークランドに問いかける。
「その男は思い込みが激しく、勧誘がしつこく、武力行使も辞さない。こんな時、私はどうするべきでしょう」
「教会に保護を求めるべきだね。何なら僕が個人的に助けて上げても良い」
「逃がしてくれるつもりはないと?」
「そもそも僕は手を差し伸べているだけだ。君の本当の気持ちを教えて欲しい」
ここまでの会話ではっきり分かったことがある。
この男には話が通じない。教会のストーカー気質を体現したかのような男だ。それにあの足の速さ。この男からは逃げられない。
しかし、このまま立ち止まっているわけには行かない。
さて、どうしよう。
「ミューエ」
弱々しく私を呼ぶリリエッタ。少なくとも、腕の中に居るリリエッタだけは何としても助けなければならない。戦場でアンデッドに襲われた時と同じように、二手に分かれるべきだろうか。
「ああ、そこにいる娘も一緒に助けて上げよう。君たち二人が別れることはない」
私が視線をリリエッタに向けると、使徒は思いついたように私の大切なものを「助ける」と言い始める。お菓子に付いていたおまけに気付いたかのように――、教会の人間は本当に私の神経を逆なでしてくる。
「ミューエ」
「安心して。リリエッタだけは何が何でも助ける」
「あの使徒は、倒せるよ」
「――え?」
唐突に素っ頓狂なことを提案するリリエッタ。
倒す? 私が?
思わず思考が停止した。
「くはっ! そっちのお嬢さんは冗談の才能を持っているね」
リリエッタの発言に思わず噴き出す使徒。
彼の下劣な笑顔は心底不愉快だが、私も同じ感想である。私はリリエッタの口元に耳を近づけて続きを促した。
「どうやって?」
「ミューエはまだ、魂を使えてない」
死霊術――。
リリエッタは私を一万人分の魂を入れる容器としただけで、魂を用いて何かしたわけではない。アークランドが魔法を使用したように、死霊術にも何か特別な効果を期待できるのだろうか。
「今、ミューエは強い吐き気を感じているはずだよ。その力をそのまま腕に纏わせて、あの使徒を思いきり叩けば一発、です」
やり方は、シンプルだった。
「思い当たる節はある……よね? ミューエの体が軽く感じられたり、嘔吐感を覚えていたり」
「確かにそれはある」
「それ、ちょっとずつ魂を消費してる……。だから、その魂を一回のパンチに込めれば……」
なるほど。
――戦闘の途中で作戦会議をする愚行をみすみす見逃したアークランドに感謝しよう。
まあ、アークランドの目的が勧誘ならば、彼が私の隙をついて攻撃してくる事はないと予想しての愚行ではあったけれど。
「む? 相談事は済んだのかい?」
「あんたがそうやって余裕ぶってたこと、後悔するわよ」
リリエッタが私の腕からスルリと抜け出す。
私はアークランドに向き直り、腕に魂を纏わせようとして――。
水が低きに流れるように。
臓腑から込み上げる欲望をそのままに、肉体に嘔吐、絶え間なく流し込む。
「おや?」
使徒の声が聞こえる。
――違う。あれは外界の異物に過ぎない。私の中に渦巻く世界を感じ取れ。
「う、わ」
内側から沸き立つエネルギー。抑えきれない衝動。
嘔吐感は少し和らぎ、カチリ、と何かが動き出した音が聞こえる。
全身を覆う魂の増幅。
魂と、力。
体感することでようやく、リリエッタの言葉の意味を、理解する。
生命を存在させる概念。生命そのもの――。
体表から魂が噴き出す。同時に込み上げてくるエネルギー。魂が漲る。
死霊術――肉体強化は成功した。まるで初めから魂の使い方を知っていたかのような自然さ。
これなら、イケる。
「君の力がずいぶん強化されているようだ。それが相談事の成果かな」
「やっぱりあんた化物だわ」
私の“強化”はあっさりとアークランドに見破られる。彼に魂が見えているはずもないが……、一体どういう理屈で見破ったのやら。
「手に存在感が集中しているね。それだけじゃなく全身が大きく強化されている。その拳ならば僕の剣に罅を走らせることくらい可能かもしれない」
「私はあんたの潰れた顔を見たいけどね」
「怖い怖い」
アークランドは怖いと言いながら、嬉しそうに剣を構える。
――高みまで登り詰めたら周りには自分と同じ位階の者がいなくなる。そして、自分の実力を証明するための上質な供物を求めるようになるらしい。
戦闘中毒――、はた迷惑な戦闘主義者はそうして戦場を彷徨う。
「さっさとあんたを倒してここを離脱する」
「それでは僕は君を倒して教会へお招きしよう。君なら“使徒”待遇でも無理なくやって行けそうだ」
こと、ここに至ってようやく、私たちは対等に対峙する。
アークランドの翼が光る。魔法剣が輝く。――高度な技能だ。美しくすらある。
一方の私は白っぽい半透明な魂を拳に流し込んでいるだけ。
しかし、力の大きさで言えばこちらの方が――。
「大体千人分かな」
リリエッタは妙に真剣な面持ちで私を観察してくる。どうやら死霊術の運用を確認しているようだった。
「あんたを倒してここから離脱する」
「さっきお嬢さんが言っていた言葉と同じだね。だけど今の君が言うなら、僕を倒すことは出来るかも知れない」
好戦的に笑うアークランド。
私はそれに対しては無言で構える。呼応してアークランドが押し黙る。
刹那、戦いの合間に差し込まれた一瞬の空隙。静寂。
“戦闘”という張り詰めた弦のような緊張状態。
相手の体が僅かにずれた、ように見えた――。
「ぐっ!?」
私はアークランドとの間合いを一瞬で詰め、その腹部に掌底をたたき込んでいた。掌底はまるで液体に手を突っ込むかの如く甲冑を破壊していき、底に留まらずアークランドの腹に突き刺さる。
破壊的な力積を受けたアークランドは後方にずれ、私の手にかかる反発が徐々に弱まり始める。だめ押しとばかりに体を捻り、掌底を限界まで押し込む。
「かはっ」
アークランドは血を吐きながら後ろに吹っ飛んでいく。
目の前にはバキバキと音を立てて倒れていく木々が見えた。
勢いは止まらず、まるで死神が聖女にそうした時のように――。
使徒は血反吐を吐きながら倒れた。
「魂が――」
手の平から伝わってくるジンジンとした感触。
目の前に広がる、誰も居ない平和な景色。
魂が抜けていく虚脱感とともに、込み上げてくる疲労感。
勝った……。
私は今、間の抜けた表情をしていることだろう。自分が勝利したとは思えず、その事実にぽかんと腕を突き出したままの姿勢で居る。
「リリエッタ」
唯一の味方の名前を呼んで――。
「あらあら。もしかして助かったと思いました?」
修道服を纏った、意地悪そうな女の声を聞く。




