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第十七話



 深い森の中を音もなく駆ける。

 足の位置、加える力の加減。

 音が立たないように、それでいて最大限の速度を得られるように、効率的な肉体動作を選択し続ける。

 

「二人の退魔師がアンデッドに釣られて移動を始めたよ」

「私たちに警戒している人は?」

「いないみたい」


 アンデッドの現れた地点は一つ間違えば「疑わしい」と思われるかも知れない。だから、私は事の起こりを不鮮明にするように移動する。僅かに迂回し、足跡を残さない――。

 

 戦場からの距離、八百メートル。

 

「どう?」

「まだ無理かも」

 

 どう、という短い言葉だけで意図を汲んでくるリリエッタに改めて好感を抱きつつ、私はひたすら森を走り続ける。

 目の前に迫る木々、足下の葉っぱ、人の死骸の一つ一つに注意を払う。一個でもミスを犯せばその音でゲームオーバーかも知れない。

 

 ……ここまでの行動にミスはない。私たちは上手くやっている。

 

「でも、あと少しで行けそうだよ」

「了解」

 

 魔法の効果範囲なんて曖昧なものだ。正確に測ろうとしても術者の健康状態や環境によって結果は異なるだろう。私の手の中にいるリリエッタが可能な距離まで、私たちは移動しなければならない。

 

 戦場からの距離、五百メートル。

 

 風を切る音だけが聞こえてくる。戦場に近づくにつれてアンデッド戦における戦闘音が聞こえる。しかし、戦闘を行っているにしては静かだ。

 リリエッタの様子からアンデッドが倒された様子はないが、かといって何か問題が生じた様にも見えない。

 

「戦場の様子は?」

「二人の退魔師がアンデッドを追ってる。異変に気付いた周りの人が急いで応援に来たみたい」

 

 そろそろアンデッド作成から一分が過ぎようとしている。戦場からの距離はリリエッタが魂を回収出来るといった距離が差し迫りつつあり、私はいっそう注意深く行動した。

 

 ――大丈夫だ。あちらがこちらに注意を向ける様子はない。

 

 とは言え、ここは既に戦場からかなり近い位置である。次第に疎らになっていく木々に頼りなさを感じつつ、しかし、まだ戦場から「目視で」見える距離ではない。これ以上近寄れば、運悪く退魔師に発見されてしまう可能性もある。

 

「ミューエ」

 

 そろそろ限界だ――それをリリエッタに伝えようとした頃、リリエッタは私の身体をタップした。私は静かに立ち止まる。


「どうしたの?」 

「――ここで大丈夫」


 リリエッタが深い集中状態にあることは一瞬で把握できた。

 異様な迫力に戸惑いつつ、私の身体は機械的にリリエッタの身体を地上に降ろす。

 そして、リリエッタは腕をかざす。その途端に小さな手に不可視の“歪み”が集まっていくように感じた。

 

 いや、まだリリエッタは何もしていない。

 

 戦場に散らばった無数の魂。色のない、形のない、この世界の理に外れた命の残滓。虚構存在。

 それらはリリエッタの“意思”に呼応して、何かの支配権を託そうとしている。それゆえ、リリエッタはまだ何もしていない。

 

 リリエッタは緊張したように目を瞑り……、私に微笑んだ。

 

『集まれ』

 

 ――大気が鳴動する。

 

 世界が金切り声を上げているような錯覚。違和感。

 死霊術の行使は私の耳に多大な負荷を掛ける。頭が痛くなって耳を押さえた。

 

「ミューエ、静かにしていてね」


 耳を塞いでいるのに聞こえてくる声。

 リリエッタの白い手がぼんやりと薄く輝いている。それはまるで指揮棒のように世界の理を犯す“歪み”を操り、魂の行く先を示している。


 ――向かう先は、私だ。

 凄まじい速度で魂は加速を続け、その膨大な奔流の中に飲み込まれた。


「えっ!?」


 口、鼻、眼孔、あらゆる箇所が拡張される。拡張されて、膨大な何かが流し込まれる。

 流し込まれる、流し込まれる、流し込まれる――。

 

 キモチワルイ。

 

 体の中で魂が悲鳴を上げる。私の自我が浸食される。なんだこれは。得体の知れない悪寒。

 思わずリリエッタを見ると私に申し訳なさそうな目をこちらに向けていた。しかし、リリエッタの目の奥には悪戯を成功させた子供のような輝きが――。

 

「うぐっ!!」 

 

 魂の流入は止まらないが、容量いっぱいのバケツに注ぎ込みすぎた水は溢れる。

 体内に自我を浸食される気持ち悪さの次に激烈な嘔吐感が襲いかかってきた。


 吐きたい。吐けない。ただひたすら()が膨れあがっていく――。

 

「あ、ああああ――」


 何かを吐き出したい嘔吐感が私の思考を埋め尽くす。

 そして、それは増幅していく。

 目から汚物をひり出したい。毛穴から、鼻から――。

 あらゆる穴という穴が嘔吐感を訴えている。


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


 ……そう言えば、リリエッタは「魂を回収する」と言っていた。

 ならば次に「どこに回収した魂を保存するのか」という疑問を抱くべきだった。後悔先に立たず。私は恨みがましくリリエッタを睨む。


 リリエッタが私を●すことはあり得ない。だからこれは許容可能――。

 

 一万人分の魂が私の中に侵入してくる。

 体内でぐるぐると何らかの“意思”のようなものを感じる。死亡して混沌としたそれらは、「恨みそのもの」、「喜びそのもの」といった物自体(それそのもの)――認識不可能な概念を私に流し込む。

 

 薄れ行く意識の中で、けたたましい警笛の音が鳴り響くのを感じた。

 

 

「行こう。もう回収は終わったよ」

 

 リリエッタの声を聞いて、ぼんやりと彼女の小さな身体を見下ろす。

 無意識のうちに立ち上がろうとして、実際には直立不動でいたことに気付く。

 蕩けた頭で周囲を見渡すと、森の中に警報音が鳴り響いていた。これは“死神”が現れた時と同じ音……だ。

 

 ああ、そうだ。ここは戦場の近く。危険地帯。

 急速に取り戻される表在意識に現況情報が流し込まれて来る。

 

「リリエッタ――」

 

 数時間意識を失っていたような感覚がある。しかし、実際は数秒の出来事だったのだろう。

 私は“死霊術”により意識を喪失し、それに加えて沸き上がるような吐き気を覚えている。


 文句の一つでも言いたいが、今はこの場から離脱することが最優先だ。


「ア――、あ、あ――。行きましょうか」

 

 リリエッタを抱きかかえる。その体重は、羽毛のように軽く感じられた。

 

「後で文句言わせてもらうから」

「え、それは止め――」

 

 私はリリエッタの返答を待たず地面を蹴る。

 地面が水のように沈み込むのを感じながら――「飛んだ」。

 

「う、わ」

 

 一瞬で景色が吹っ飛ぶ。私はあまりの加速力に仰天し、前を見ると木が立っていた。

 

「くっ」

 

 このまま木に直撃したらリリエッタが潰れる。焦りつつ地面に“そっと触れて”方向を転換する。

 

「あ、危なかった」

 

 自分でも信じられないくらいの加速だった。そして、戦場跡に大きな痕跡を残してしまった。

 

「こういうのは先に言ってよね」

「私も初めてで」

 

 リリエッタは冷や汗を浮かべていた。私に叱られるとでも思ったのだろうか?

 その通りだ。

 

「まあでも、まずはここから逃げるよ」

「うん」

 

 私は再び逃げようとして――。

 

「あれ? 君たちこんな所で何をしているの?」

 

 どこか退魔師(アイズランド)を彷彿とさせる好青年に呼び止められた。

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