第十三話
夜も更けようかという時間帯。辺りはすっかり暗闇に包まれていた。
遠方からときおり魔物の鳴き声も聞こえてくるが、この地域にいるような魔物はさしたる脅威でもない。
私は必要最低限の警戒心を保ちつつ、パチパチとはぜる炎を眺めていた。
「暖かい――」
水浴と洗濯を同時に済ませたリリエッタの洋服はびしょ濡れである。
濡れたままでは風邪を引くので、寝ているリリエッタから無理矢理脱がせて獲得した洋服は、焚き火の上につり下げている。
炎が遠赤外線の輻射により身体をじんわりと温めて、リリエッタの丸い肩を照らす。
滴り落ちる水が炎の中で水蒸気と化して見えなくなるのを追いかけつつ、私の膝元で眠る少女に視線を落とした。
リリエッタ――。
私の太ももを枕にスヤスヤと眠る小さな少女の頭を撫でる。
栄養失調気味の細い手足、気の弱そうな垂れ目、ふっくらした唇。彼女の小さな頭の中では、どんな夢を見ているだろう。
そして、その中の脳みそは、どんな理屈であんな結論をはじき出したのか。
私はリリエッタが寝る直前に提案したことを反芻する。
もう一回、戦場に戻ろうか。
確かに、私たちの資産はほとんどアジトに放置したままだ。上手く行けば、今までに蓄えてきた戦利品(盗品)を回収することは出来るだろう。
しかし、あの戦場では“死神”が出没した上に、“死神”と戦った聖女が封印されている。今さら行くのは悪手。
“聖女”が封印されるなんて有史以来初めての出来事で、王国はおろか世界中にある教会は大混乱に陥るはず。きっと徹底的な調査が行われて、明日には戦場跡は完全に封鎖されることだろう。
それが分からないリリエッタではないだろうに——。安心しきったように眠るリリエッタのほっぺたをぷにぷにと突く。
「この大きな瞳が開いたら、その真意を聞かせてもらおうかしらね」
炎に照らされる可愛らしい顔をもてあそびながら、たびたび私の頭を悩ませるこの少女の唇を指でなぞる。
願わくば私の矮小な理性では考えもつかない理がありますように――。
暗闇のなか揺らめく焚き火の明かりを、静かに眺めていた。
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朝が来た。
太陽が地平線から顔を出し、空は赤色に染まっている。
光を浴びて者の輪郭がはっきりし始めて、未だによく眠っているリリエッタの可愛らしい童顔もよく見える。
朝が来たことでリリエッタを起こす免罪符を得たかのように胸を高鳴り、あたしはその小さい肩に手を置く。
「起きてリリエッタ。朝だよ」
「うんん……」
肩を揺すられて急に眉を顰めるリリエッタ。
しかし、昨日の疲れが残っているためか、眠りは深いようだ。
「ん……、もっと寝たい……」
リリエッタは幸せそうに眠っている。安心しきっている。
しかし、こうも安心しているとむしろ何かしたくなるのが人情というもの。
私はリリエッタの華奢な身体を抱きかかえて、静かに立ち上がる。
立ち上がった私の進行方向には、冷えた川が流れていた。
「ねむねむ…………?」
腕の中で寝ているその顔は天使のようだ。
私は抑えきれない嗜虐心を感じつつ、そっと川へと歩いて行く。リリエッタはまだ眠っている。出来るだけ揺らさないように、起こさないように歩く私はまるで忍者。
川に投げ捨てたらリリエッタはどんな反応を示すだろう。胸の高まりを抑えきれないでいた。
「はっ!?」
しかし、水の音が間近に聞こえてくるや否や、リリエッタの大きな瞳が突如開かれ、私の腕の中からするりと抜け落ちる。
ネコのようにしなやかに着地して、何が起きたのかとリリエッタはきょとんとしていた。
どうやら本能的に危険を察知したらしいが、理性が追いついていないらしい。
「あら、おはよう」
内心がっかりした感情を隠し、リリエッタに笑顔を向ける。
リリエッタは何が起きたのかよく分かっていない様子だったが、私と川とを見比べた後、徐々に状況を理解していったようだ。
「ま、また投げ込もうとしたんだ……?」
「そんな事しないわよ」
リリエッタは訝しげに問うてくる。もちろん私は否定する。
疑惑は全く的外れなものである。
リリエッタの心地よいジト目を受けながら私はそっぽを向いた。
「そんな事より、服、乾いてるわよ」
今のリリエッタの姿は淑女にはあるまじき淫らなものである。淑女が下着姿をするなんて物笑いの種だ。私は消えかかった炎の上にかかっている洋服を指さすと、リリエッタに着用するように促す。
「……洋服は、着る」
リリエッタは洋服を着ることに同意しつつ、釈然としない様子である。さて、どうしたのやら。
「そんなことより、リリエッタが昨日言ってたことの真意を聞かせてもらおうかしら」
「真意……?」
洋服を着始めたリリエッタに、昨夜から気になっていたことを問いかける。
どうしてリリエッタは戦場に戻ろうと言い出したのか? 場合によってはその的外れを諫めなければならない。
この残酷な世界では、間違った選択をした人間から死んでいく。教育はどこでも必要なのだから。
リリエッタは白いワンピースを着て、次は靴下を履き始めた。質問の意味を理解していないのかと判断して、私は言葉を重ねる。
「今の戦場に戻るなんて命懸けよ? きっと十二使徒が聖女様の周りに駆けつけているはずで、その十倍の退魔師が周囲を見張ってるだろうし、私たちが近づける道理はない」
そう、現在のあそこは厳戒態勢なのだ。教会だけでもそれだけの規模の人員を動員していて、王国からも兵士や騎士なんかがやって来るだろう。
少女二人で不用意に近づいたら再び捕獲されてしまう。
「ふーん」
リリエッタは私の発言を聞いて黙り込む。
静まりかえった森の中に、するすると洋服を着用していく音だけが流れている。
「確かに今は凄く大勢の戦力が、あの場所に集まっているみたい」
「……予想に過ぎないけれどね」
「ううん。きっとミューエの予想は当たってるよ。でも、私たちはあそこに行った方が良いと思う」
「どうして?」
着替え終わったリリエッタは、大きな瞳を真っ直ぐ私に向ける。
子供ゆえの無垢さだろうか——、私はその視線に、飲み込まれるような錯覚をした。
「戦場には無数の魂が漂ってるよね。
十年後に襲ってくる聖女様に備えなければならなくて、
そのために魂を回収しに行かないといけないから、かな」
リリエッタは真っ直ぐ私を見つめた。その瞳に迷いはない。
危険だらけの戦場に向かえば今度こそ退魔師に殺されるんじゃないか――、
時間をかけて他の戦争が起きた時に魂は回収出来るんじゃないか――、
反論は直ぐに思いついたけれど、恐ろしいことにリリエッタの提案に対する反論は言葉にならなかった。
リリエッタの瞳にはそれだけの覚悟と意思を感じる。
「ということで、行こ? 早くしないと魂が“浄化”されちゃうかも」
「……力、ね」
魂と、力。
どうしてそれが結びつくのかはよく分からないけれど、リリエッタには何か策があるらしい。
“死霊術師”
死神が私たちに告げた言葉を思い出していた。




