第十一話
死神が消えたのを確認して強い安堵感を覚えつつ、私は周囲を見渡す。
ここは『王都ブリキャス』の外縁部。
草原がドーナッツ状に広がり、中心には王都『ブリキャス』が見える。
魔法技術の進歩により王都のインフラは急速に発達して、王都は「太陽の沈まない都」などと呼ばれるようになっているらしいが、実際のところ魔法石が輝いているだけである。
「ふう……」
城壁の外にはフカフカのソファーもないし、暖かいベッドもない。
あるのは代わり映えのしない単一な自然ばかり。王都を遠目に見ながら重たい疲労を感じていた。
そろそろ夕方に差し掛かり、空もオレンジ色だ。
……今日はあまりに多くのことが起きた。
アンデッドに襲われて、“死神”が現れて、教会に追われて、“聖女”に殺されかけて。
頭がパンクしそうだ。
挙げ句の果てに聖女が十年後に殺しに来る……?
訳が分からない。
「今日は疲れたわね」
「そうだね」
色々なことが起きたが、感想を一言でまとめるならば、「疲れた」これに尽きる。
「酷い疲労感があるけど、寝る前に返り血くらい洗わないと」
「うええ、明日にしようよ」
血液は人体には一番汚いものだ。感染症のリスクがあるし、放っておくとすぐ腐る。返り血を浴びた洋服なんてすぐに脱いでしまいたいが着替える服もない。
今日の汚れは今日落とす。そうでないと気持ちが悪い。
「ミューエは綺麗好きすぎるよ。少しくらい汚くても良いんじゃないかな」
「そんな訳ないでしょ。
リリエッタはまだ小さいんだから病気には気をつけないと」
王都に背中を向ける。
嫌がるリリエッタの手を引っ張り、森の中へと帰って行く。
一キロも歩けば綺麗な水の流れる川にたどり着くから、そこで体を清めた後に手頃な木の上で休もう。
「うー、疲れたよ」
「あと少しだから」
リリエッタの足取りは重い。
あれだけのことが起きたんだから当然と言えば当然である。
震えるからだと共に、土と血で汚れた白いワンピースが力なく揺れている。
「ミューエの方が疲れてるはずなのに元気だね……」
「ま、私の方がリリエッタよりお姉さんだからね。これくらいは動けないと」
リリエッタは、流石だよ、と呟いてため息をついた。
私に手を引かれて歩いているうちに、手から伝わってくる体重が徐々に重たくなっていく。
「はあ……、はあ……」
「仕方ないんだから」
歩かせるよりもこうした方が移動が早い。私はリリエッタを背負った。
「え……、おんぶ?」
「疲れてるみたいだからこのまま連れてってあげる」
「嫌だよ、子供じゃないんだから」
「何言ってんの。あんたはまだまだ子供よ」
どうやら背負われるのはお気に召さないらしい。
しかし、私はリリエッタのか弱い力を嘲笑うようにとても安定した足取りで歩き始める。
「下ろしてよっ」
「諦めなさい」
リリエッタは背負われた途端、そんな体力が残っていたのか、というくらい暴れた。
それからひとしきり嫌がった後、とうとう観念して体重を預けてくる。
伝わってくる身体はあまりに軽くて何とも言えない気持ちになるが、幼少期なんてそんなものだ。
「恥ずかしい」
「見てる人はいないから」
「そうじゃなくて……」
リリエッタは私の肩に顔を埋めた。感じる体温は熱い。……小さな呼吸の音が聞こえてくる。とくん、とくんと小さな心臓の音。
ああ、生きているんだ。
「疲れたよ……」
「疲れたね」
誰に言うともなく呟いた声に、誰に言うともなく返事する。
リリエッタはぺたりと私の背中に体重を預け、静かに胸を上下させている。
「ミューエ、今日はありがとうね……」
「パートナーを助けるのは当たり前でしょう。気にしなくて良いわ」
「そうだね……、でも、ミューエのお陰で生きていられたよ……」
そう言ったきり、リリエッタは寝息を立て始めた。
私はオレンジ色に染まる空を眺める。目的地はもうすぐだ。
・
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「うわ、あああああああっ!!」
目的地の川に到着した。
最近は戦争が起きて人の姿は消えたが、戦争が始まる前は身体を人々で溢れかえっていた場所である。
ここには清潔な水が音もなく流れている。
到着したので幸せそうな寝顔を見せていたリリエッタの肩を揺すったり、ほっぺたを叩いたりしてみた。
起きなかったので、リリエッタを川の中にそのまま投げ捨てた。
「ぷはっ! なに!?」
清浄な川の中に赤色や土色の色々な汚れが流れていく。あの通り暴れていればすぐに綺麗になるだろう。
「今はそんなに寒い時期じゃないから風邪を引いたりしないでしょう。そのままじっくり汚れを落とすのよ」
「ミューエ!?」
リリエッタは目を白黒させて周囲を見渡す。あるタイミングで目が会った。
私は川の中で髪の毛をとかしたり、洋服から血液を洗い流したりしている。
透明な水に流れ出した汚れは、拡散して直ぐに見えなくなった。
「落ち着けば足も着くでしょ? 目覚ましには丁度良いんじゃない」
「ぷはっ、はあ、はあ……」
リリエッタは何とか体勢を立て直したようだ。
一息吐くと、恨みがましい視線を私に向けてくる。
「どうしてこんなことを……」
「何となくよ」
疲れていた身体には丁度良い刺激だっただろう。私は水流を受けながら、からからと笑う。
笑う私を見てリリエッタの不機嫌顔はますます酷くなっていく。
「……ミューエは恥ずかしかったんだ。本当に正直じゃないんだから」
「はあっ!?」
すっかり落ち着いたリリエッタがジットリとした目で私を見てくる。
意味不明なことを言って……。
そんなわけはない。何を言っているのだ。
「ち、違うっ」
「違わない。もう……、嬉しいなら嬉しいって言えば良いのに」
すっかりびしょ濡れのリリエッタはため息を漏らしてそっぽを向いた。
私は何か言い返したかったが、言葉が出てこなかった。言葉が出ない私を後ろ目で見て、リリエッタはすいーっと遠くに泳いで行ってしまう。
どこへ行こうとしているのか……? いや、あれは単に泳いでいるだけである。趣くままに水の流れに合わせて泳ぐリリエッタの姿は愛らしい。
しばらく滑らかに泳ぐリリエッタを見たら、今度はこちらに向かって泳いできた。
「ぷはっ」
水につけていた顔を上げる。
水面が激しく揺れ、水滴を垂らしながら大きく息を吐く。
「ぷはーっ。これでもう綺麗になったかな?」
「大体ね。でも、髪の毛に土埃なんかが絡みついてるからじっとしてて」
リリエッタを捕まえて髪の毛を手ぐしで梳く。
初めは手に引っかかることも多かったが、しばらくしたらそれもなくなった。だいぶ綺麗になったかな――。陸に上がってもいい頃合いだろう。
「そろそろ上がる?」
「んーん、もうちょっとここに居たいかな」
どうやら水遊びが楽しくなってきたらしい。
とは言え、そろそろ太陽は本格的に沈んできてお星様が輝き始める。
長居が出来るわけではないが――、水の中にいると疲労感までも溶けて行く。
「太陽が昇っている間だけね」
「はいはい」
太陽が昇っている間は此処にいよう。太陽が沈んだらそこら辺の木の上で休もう。
今日は疲れた。眠たい。
……あ、でも、その前に。
私は自分のお腹を撫でる。
「ねえリリエッタ、お腹すかない?」
「えっ!?」
人間はご食べないと生きていけない。
当たり前のことを尋ねただけだが、リリエッタはギョッとしたように身体を強ばらせていた。
お腹がすいた……。




