ミシェルルート
「・・・本格的に叔母様に王城泊りを命じてもらおうかしら」
「本日もいつも通りに質問攻めでしたからね」
「それか隣国と戦争でもしてくれないかしら」
「お嬢様、そうなるとベルガモーラ様が戦場に行ったきり帰って来なくなりますが?」
「それは駄目だわ。お父様に釘を刺せる人がいなくなってしまう」
精神的に疲れる食事の時間が終わると眠るまでは自由だ。
ただ、あまり遅いと確認に来るので困るのだが、そこは侍女たちが誤魔化してくれる。
寝るだけの部屋が複数あるため本当は寝ていない部屋に案内し、誤魔化している。
食事やおやつなど誤魔化していないものの中に紛れ込ませれば真実に見える。
子どもでも父親は娘の部屋に入らない。
入り口までがせいぜいだ。
ベッドが膨らんでいてそれが娘か詰め物かの判断は付かない。
「続きなのだけど、眠る部屋で良いかしら?今日はお父様の話が長くて疲れたわ」
「明日でも構いませんよ。お休みになってください」
「そこまでは大丈夫よ。あと二人なのだから」
「それではハーブティーを用意して伺います」
「一緒に行くわ。一人になったらお父様に襲撃されそうだもの」
「・・・侍女に用意させるようにします」
「そうしてちょうだい」
寝るだけの部屋はいくつもある。
今日はシックな家具でまとめられた部屋を選んだ。
「・・・・・・ミシェルとヒロインだけど、出会うのは門だけど、正門ではなく裏門なの」
「なぜ?と申し上げても良いでしょうか」
「ヒロインは御者に意地悪をされたのだけど、ミシェルはこっそりと学院を抜けているからばれないように戻らないといけないの。そこで二人は出会い、ミシェルが持っていた古文書について意見が合い、仲良くなっていくのよ」
「古文書?」
「編纂長は王家の歴史をまとめることが仕事なのだけど、ミシェルは王家ができる前の国のことに興味があって調べていたの。ヒロインは古文書の読み方に少しばかり心得があったけど、古文書を見ることができる地位にいなかったから夢で終わっていたの」
「なるほど」
「ミシェルは古文書をいくつも持っていたし、学院の保管古文書をいくらでも見ることができる立場だったわ」
古文書は厳重に保管されていて見ることができる人が限られていた。
貴族でも侯爵家までは閲覧可能で、それより下の階級の貴族は王家に申請書を提出する。
平民は研究家など王家から職業として認められている者に限り、決まった日付だけ閲覧できる。
王家設立のときのものはより厳重に保管されていて、閲覧はできても写しを取ることはできない。
「そんな二人が仲良くならないわけがないわ」
「婚約者がいる身でありながら他の女性と仲良くするのは常識に欠ける行為だと思いますが」
「でも、ゲームの中で常識を考えていたら略奪なんて恐ろしいことできないわ。社交界で後ろ指差されることは間違いないもの」
「そうですね。ときどき現実味を帯びた話になるので、ついつい考えてしまいます」
「仲良くしているところを婚約者は目撃してしまう。でもミシェルに直接聞くことができない。そこで、エネミーに助けを求めるの。直接ミシェルを諫めることができないから一緒に来てほしいと。そしてエネミーと婚約者はミシェルに会いに行くの」
「婚約破棄を言い渡されるのですか?」
「そんなに早くないわよ。まだ忠告の段階よ」
味を変えるためにハーブをブレンドする。
家柄が良いと最高級のハーブが手に入るし、珍しいものもふんだんに使える。
「それに周りにも知られていないわ」
「他の方と違って、エネミー様が接触されるのが遅いのですね」
「ヒロインと出会ったのが裏門で、普段会っているところが図書館の保管庫で人がほとんどいないところでの逢瀬だったからということらしいけど、詳細は分からないわ」
「人目の無いところで婚約者以外といれば怪しまれることは間違いないと思いますけどね」
「ミシェルは古文書が大切でその他は求められれば応じてしまうわ。だから婚約者以外に関係を持った女性はいるし、それが侍女だけじゃなく、人妻も学生もいるわ。でも全員が節度と言っていいのかしら?まあ守っているから婚約者を尊重するし、婚約者に分からないように隠しもする。ヒロインは守らないから婚約者に分かってしまった」
「まぁ愛妾が許されていますし、婚約者をないがしろにしているわけではないのですね」
「そうよ。それが良いとか悪いとか言わないけど、そういう人物だということね。エネミーと婚約者はミシェルだけに話したのよ。婚約者以外の女性と人目につかないところで長時間いるのはいかがなものか。せめて開架閲覧区域で会うべきだ。それではあまりにも婚約者を無碍にしている。と言ったのよ。エネミーはミシェルの女性関係を知っているけど婚約者は知らないからやんわりと話したのよ」
ハーブティーをゆっくりと飲む。
レモンの香りが広がり、頭が冴えてくる。
「それをミシェルは鬱陶しく思い、エネミーと婚約者を無視するの。それでもエネミーは話しかけたわ。そこをヒロインが通りかかり、一方的に話すエネミーに反論するの。ヒロインが言うには、彼は王家の歴史を紐解こうと必死に頑張っているのに邪魔をするのは間違っている。婚約者が支えるべきなのに支えないから私が代わりに支えているのに。邪魔をするならその婚約者に言え。私が責められる謂れはない。と言い合いになったのよ」
「婚約者は本当に支えなかったのですか?」
「いいえ、古文書を読むことができるし、今まで分かった古文書の文字を今の文字と照合するための辞書を作っていたわ。ミシェルを支えるのは婚約者しかいないと言われていたの」
「それは聡明な女性ですね」
「ミシェルにとって、古文書を読むのに助けになればヒロインでも婚約者でも構わないのよ。だから言い争いをしている女性を宥めることはしないし、争いそのものに興味がないの。そんなときよ。ヒロインが抱えている古文書に婚約者が気づいたの。それは幼いときに一緒に解読しようと約束した思い出の古文書だった」
「修羅場になるのですね」
「そうね。婚約者はヒロインにその古文書をどうしたのか聞くの。ヒロインは覚えていないというのよ。覚えていないのではないわ。ミシェルが他の古文書とは別に保管しているから重要なものだと思って持ち出したのよ」
「確認をしなかったのですね」
ハーブの調合を変える。
今度は香り重視で混ぜる。
「ヒロインは婚約者がミシェルとどれだけ仲が良いかは知らないし、ほぼ毎日一緒にいるから自分が一番好かれていて何をしても許されると思っていたのよ」
「思い込みの激しさは健在なのですね」
「そんなときに婚約者が古文書の出所を気にするのに不思議に思ってヒロインが持っている古文書を確認する。ミシェルにとって古文書は何より大切だけど婚約者は一緒に解読してきたから少しは情というものがあったわ」
「まだ婚約者を大切にされていたようで安心しました」
「婚約者と幼いころに一緒に解読しようと約束した古文書だということに気付いた。ミシェルは急いで取り上げて触るなと怒鳴った。ヒロインにしてみれば毎日一緒にいたのにいきなり怒鳴られて混乱したでしょうね。でもミシェルが何より大切にしている古文書だということは分かったからヒロインは素直にミシェルに謝ったわ。でも婚約者には謝らなかった。ミシェルはヒロインに帰るように言って、婚約者には残るように言った。何もおかしいことはないわ。エネミーはミシェルが婚約者を大切にすれば良いから何も言わずに立ち去った」
「何かわだかまりが残る結果になりましたね。お嬢様、お湯を用意しますので、少しお待ちください」
「分かったわ」
寝る部屋だがお茶を飲めるようにお湯と茶葉は用意されている。
「お待たせいたしました」
「そう急がなくても大丈夫よ。明日から叔母様が遠征に向かわれるから朝食は王城で召し上がることになるもの。夜更かししてもお父様に分からないわ」
「それもそうですが、お嬢様をお待たせするということは従者としてあるまじきことですから急がなくてはなりません」
「そういうものなのね。それで続きなのだけど」
「はい」
「ミシェルと婚約者は古文書の約束を再確認して一緒に解読をしたり辞書を作ったりして仲睦まじい様子を見せるようになったの。おもしろくないのはミシェルの隣は自分のものだと思っていたヒロインよ。ずっと一緒にいたのに自分のものじゃなかった。でも婚約者がいなくなればミシェルの隣は自分のものになると思って行動するの」
ミントの香りのハーブティーを飲む。
「ヒロインのはずが邪魔者の位置にいるような気がするのですが気のせいでしょうか」
「気のせいではないわ。実際はヒロインの健気さが前面に押し出されてエネミーや婚約者が邪魔者の位置にいるように見えるゲームよ。でも私はエネミーだもの。私にとってヒロインが邪魔者になるの。ヒロインを邪魔者のように話してしまうのは仕方のないことだと思わない?」
「仕方のないことでございますね。お話をお続けください」
「そう、そしてヒロインの頭脳はトップクラスだもの。教師受けは良いわ。歴史学の先生に古文書の読み方を教わることにしたの。それだけなら勉強熱心だと思われるだけなのに教師を通じてミシェルに近づこうとしたのよ。古文書をもっと勉強したいと言って。ミシェルが古文書に詳しいのは全員が知っているという状況だもの。不自然ではないわ。先生の紹介でミシェルはヒロインと一緒に古文書解読をすることになった」
「婚約者の方は良い顔をしませんね」
「そうよ。ミシェルの前では何もないけど、ヒロインは二人きりになると、先生に認められている私こそがミシェルの手伝いに相応しい。婚約者という地位に甘んじて何もしていない貴女がミシェルの足を引っ張っている。貴女がいなければミシェルは古文書だけに集中できるとかいろいろ言うのよ」
「嫌味を言う立場の人間が逆転していません?」
「しているけど、周りが少しずつヒロインの言葉に同調していってしまうの。周りから見れば、ヒロインは古文書を読めるほどの頭脳の持ち主で先生から紹介でミシェルに近づいているのだもの。誰も文句を言える立場じゃないわ。婚約者も古文書解読だけなら何も言えない。デートに行ったりすれば文句が言えるけどミシェルはそんな甲斐性を持ち合わせていないし」
ハーブティーで喉を潤す。
茶葉をブレンドし、今度は味を重視したものを淹れる。
「ヒロインが古文書解読に力になるのを周りは認めても婚約者がずっと支えてきたことは知っているわ。婚約者がミシェルの傍にいる時間が短くなるほど、ヒロインが傍にいるわ。それは古文書解読だけなら黙認できたけど、関係のないところでもヒロインが傍にいるようになった。そんな日が続くと周りからの忠告や嫌がらせが始まった」
「ヒロインはミシェル様のことを好きなのか分からないですね」
「もちろん好きよ。古文書の解読だってミシェルの傍にいるために勉強を続けているのだもの。古文書が読めても授業や試験に役に立たないわ。特待生だから一定以上の成績は修めないといけないから」
「余分な勉強をしないといけないということですね」
「それは好きじゃないとできないけど、努力をしたということにしておいて。それでヒロインは私生活でも一緒にいられる自分が婚約者になるのに相応しいと思って行動に出るの。あの約束の古文書を盗むの」
「大胆なことをしますね」
「ミシェルにとっては古文書の中でも大切なものだからすぐに気づくわ。それで婚約者に確認するの。古文書を盗んだのか?って。しばらく傍にいないから疑ったの。婚約者は否定したわ。心当たりがないもの。でもあの古文書は歴史的な価値は低いけど約束をしている者にとっては大切だわ。一度ヒロインに持ち出されているから特に気にしてしまう」
味を重視したつもりのハーブティーだが、いろいろと混ぜ過ぎたのだろう。
薬のような苦さで体に良さそうな味がした。
自分だけが飲むのも癪でローディにも差し出す。
長年一緒にいれば僅かな表情の違いくらい読み解けるようになる。
「お嬢様、適当に茶葉を混ぜるのは今後お止めください」
「私だけが飲んでいるのも申し訳ないと思っただけよ」
「そうでございますか」
「そうよ。ありがたく飲みなさい」
「では、ありがたく頂戴します」
顔色ひとつ変えずに飲む。
恐ろしく苦いはずのハーブティーを。
「・・・ひとつ聞いてもいいかしら?」
「何でしょうか」
「苦さを感じないの?」
「味覚は人並みに感じますが、お嬢様が先ほど混ぜた茶葉から恐ろしく苦いハーブティーができることは分かっておりましたので、覚悟があれば何のことはありません」
「・・・・・・そう。盗まれた古文書は探しても見つからなかった。婚約者の部屋から見つかれば良かったのだけどヒロインでは婚約者の部屋に忍び込むことはできなかった。見つからないまま疑惑が大きくなってミシェルと婚約者は仲違いをしてしまう。今まで喧嘩らしい喧嘩をしなかった二人だもの。すぐに学院で噂になるわ。そこに古文書が燃やされるという事件が起きた。このときの古文書は偽物よ。先に騒ぎに気付いた婚約者が火を消そうとした。そこにミシェルが到着して婚約者が燃やしていると勘違いしてしまった。それも思い出の古文書を燃やしたと」
「偽物の古文書を燃やしたのはヒロインですか?」
「えぇ、婚約者を蹴落とすためにしたの。偽物にしたのは本物を燃やしたら罪になるから。ミシェルは本物の古文書を燃やしたのは婚約者だと思い、婚約破棄をすることにした。理由は古文書を燃やしたことによる罪で罪人となったから。もちろん冤罪よ。でも古文書が燃えてしまい証人がいないからミシェルの言葉が信じられてしまった」
「もっと詳しく調査をしていただきたいですね」
苦いはずのハーブティーをローディは飲み干してしまう。
代わりに甘味を感じるハーブティーを淹れてエネミーに出す。
「調査のために婚約者は王城に連れて行かれた。ヒロインはミシェルの傍にいるようになった。何かの間違いだ、すぐに戻ってくる。そう励ましながら。でも婚約者でないという証拠がないから解放されない。反対に婚約者であるという証拠もない。それでも古文書を燃やした犯人が必要だった。だから婚約者は罪人として処刑されることになった。証拠もないままによ。そして学院には静けさが戻った」
「婚約者は誰かに嵌められたのですか?」
「いいえ、騒ぎが大きくなるのを嫌がった王家の独断よ。そのあとはミシェルは古文書解読に没頭し、女性関係が荒れたの。その中で一番傍にいたのはヒロインよ。ヒロインは古文書の解読でも女性関係でも寵愛を受けることになった。面白くないのは婚約者がいたときの相手たちよ。彼女たちは婚約者を立てていたわ。でもヒロインは婚約者の喪が明けていないのに自分が婚約者だと周囲に吹聴していた。それはあまりにも婚約者を侮辱していた。証拠がないのに処刑されたことの意味は貴族なら分かっていたから」
「ヒロインが悪女に見えるのですが?」
「そうね。自作自演で人を嵌めたのだもの。可愛らしい嫉妬とは呼べないわ。でも婚約者がいなくなり古文書だけに目を向けるようになったミシェルでも家柄は魅力的だわ。本人の了承を取らずに次の婚約者が決まったの。そんなときヒロインが燃やされたはずの古文書を持ってくる。裏庭の花壇にあったと言って。婚約者が処刑されたあとに本物を出す意味を知らずに」
「自作自演で救世主になるおつもりだったのですね」
「そう、でも本物が見つかっては困るのよ。婚約者を処刑したあとだもの。間違いでしたでは済まない。だからヒロインには口を閉じてもらわなければいけなかった。理想はミシェルと婚姻をさせることだけどミシェルにはすでに新しい婚約者がいる。ヒロインは王家の息のかかった庶民の家に嫁がせようと考えた」
ヒロインは知ってはいけないことを知っているだけで処刑することはできない。
ひっそりと処刑するには学院内で有名になりすぎていた。
ミシェルの元婚約者と仲が悪かったことで知らない者はいなかった。
そして、ミシェルは古文書が見つかることの危険性を知っていた。
それが取り返しのつかないことであることも。
「ミシェルは古文書をヒロインから受け取ると、王家に婚姻届けを提出した。自分とヒロインの」
「それは、・・・できますね」
「婚約者がいながら別の女性と婚姻することはできるもの。だから卒業と同時に婚姻してヒロインと婚姻旅行として遺跡巡りをすることにしたの。燃やされてないはずの古文書を読み解くために必要だと言って」
「なかなかに重い結末ですね」
「そうね。でもヒロインは幸せだと思わない?婚約者は罪人として国が排除してくれて婚姻は国が応援してくれるのよ。平民出身だと後ろ指差されることもなく、古文書を解読するだけの旅に出るのよ」
「ヒロインから見れば幸せですが、ミシェル様や他の方からは贖罪の意味になりそうですね」
「そうね。でも冤罪で一人の少女を処刑したのだもの。当然の結果だと思わない?それで現実のミシェルは冤罪で婚約者を処刑しそうなの?」
「そもそも婚約者がいないですからね。古文書に魅せられているのは間違いないですけど婚約者をつける気はないそうです。これはミシェル様の御母堂が自分の旦那様が古文書や編纂史にかかりきりで、妻の顔すら覚えていないことに辟易されて息子には婚約者を作らないと夜会で宣言されたそうです」
「すごいわね。というか、婚約者がいないなら大丈夫かしら?」
「おそらくは、むしろ古文書を読み解くことができるほどの能力を持つ女性なら嫁いでいただいた方が良いかもしれませんね」
ミシェルの分を書き終えて紙を束ねてサイドテーブルに重ねる。
蝋燭が短くなったため新しいのを用意する。
「そうね。でもヒロインはどうやって古文書を読む方法を知ったのかしら?だって貴族でも教養として学んでいる人はいないわ。平民なら機会そのものがないようなのだけど」
「そうですね。民間研究家はいますからね。出会う可能性はゼロではありませんが、ヒロインの方への家庭教師で古文書が読める人を手配しますか?」
「しないわよ。してどうするのよ。ヒロインがむしろ学院に来ない方が良いのよ」
「ヒロインは豪商の娘なのですよね?」
「そうよ」
「家庭教師を用意すると思うのですが、そこであまり教え方の良くない者を用意しておけば学院に特待生となる可能性は低いのでは?」
「その手はあるけど、ヒロインの両親が勉強熱心だと困るわよ」
「その点は様子見かしら?今はまだ五歳だもの。貴族でもないのに家庭教師はつけないわ」
家庭教師の手配は考えるまでもなく学業においては芳しくない成績を出すヒロインだった。
それでも学院に来ることになるのだが、それはまだ先のことだ。