ラルフシェンルート
「ラルフシェンは次期騎士団長候補だから学院にいないことが多いの。ヒロインが編入するときも他とはちょっと違うのよ」
「ヒロインが学院の門で降ろされるのは一緒ですか?」
「一緒よ。ヒロインが途方に暮れていると凄い速さで軍馬がかけてくるの。それにはラルフシェンが乗っていて、門の前の不審者を捕まえようとする。門の前で馬車を降りるような生徒いないもの。理事長の直筆入りの手紙で編入生であることはわかるけど本当かどうか分からないから。馬に乗せて理事長室まで一緒に行ってしまう。あっ、軍馬はもちろん白よ」
「馬の色は重要なのですか?お嬢様」
「重要じゃない。白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるのは憧れよ」
「お続けください」
お茶で喉を潤してから続きを話す。
「理事長室に行って不審者では無いことが分かってラルフシェンはヒロインへの謝罪から日々の学院生活で気に掛けるようになるの。もちろん騎士団の訓練でほとんどいないけど、今まで学院にいるときに婚約者ですら声をかけられなかったのに編入しただけでいつも一緒に入れるヒロインに嫉妬する人は多いわ。婚約者はヒロインが学院に馴染めばラルフシェンと離れていくだろうと考えて、友人や学業の面で助言をするようになった。でもラルフシェンはそれを貴族が上から目線で押し付けていると考えて婚約者にヒロインに近付くなと忠告した。婚約者は大人しく忠告に従ったけど、いきなりヒロインに声をかけなくなったからヒロインが婚約者に失礼なことをして怒らせたと周りは思ったの」
「ラルフシェン様も軽率ですね。もう少し根回しをしておけば良かったのに」
「ヒロインに婚約者を怒らせたのなら謝罪すべきだと周りは詰め寄るけど、ヒロインは怒らせていないもの。否定するわ。それを自己弁護だと思われてヒロインは孤立していくの。婚約者も何もされていないし怒っていないと言うけど庇っているだけと捉えられて周りはどんどん過熱していく。そんな中、ラルフシェンが学院に来るの」
「修羅場になりそうですね」
「それがちょっと違うの」
「どう違うのですか?」
「話してあげるけど、紙が無くなりそうよ」
「補充して参ります」
「・・・部屋を移るわ」
「どういうことです?」
「手紙を書くだけの部屋で手紙がなければ怪しまれるじゃない」
「そうですね」
「絵を描く部屋に行くわ。そうすれば絵が完成しなくても気に入らないからと言えば済むもの」
ローディが書き留めた紙を束ねて、お菓子が残っていないか確認しておく。
お茶は新しいものを用意してもらうことにして部屋を出る。
「それよりずいぶん書き溜めたわね」
「お嬢様が興に乗られてお話しくださいますし、関連項目は随時書き足しております」
「まめね」
「お嬢様に再度お話しいただくお手間を取らせるわけには参りませんから」
「ありがとう。それで三人目なのだけど、ローディは書くの疲れていないの?」
「お気遣いいただきありがとうございます。今のところ問題ございません」
絵を描くための部屋は日当たりが良く、スケッチするのは最適だ。
キャンパスも各種サイズが揃っている。
油絵具はまだ早いからと揃えられていないが、いつか買い揃えるのだろうなというのが分かるスペースが不自然に空いている。
「日当たりが良いから明日からここにしましょう」
「かしこまりました」
「・・・それで、ヒロインが孤立して婚約者は否定しても勘違いされる。周りは過熱して、ラルフシェンが学院に来る。ヒロインの浮かない顔を見て、婚約者が忠告を聞かずにヒロインに近付いていたのだとラルフシェンは思うの。ここで婚約者に確認せずにヒロインに確認するのだけど、ヒロインは心当たりが無い、でも周りは婚約者を怒らせたから謝罪した方が良いという、謝罪したくても婚約者に避けられていて近付くことができない。そう相談するのよ」
「婚約者に近づけないのはラルフシェン様の忠告を健気に守っているからでしょうに。きっとラルフシェン様は婚約者を断罪されるのでしょうね」
「そうよ。ラルフシェンは問い詰めるの。立場が下の者とは顔を会わせることも嫌だというのか。平等に接することができると思っていたが所詮貴族の血が流れていなければ価値が無いと思っていたのだな。それに対して婚約者はラルフシェンがヒロインに近付くなと言ったことを守っただけなのに責められる謂れは無いと反論するの。でもラルフシェンは女は男に従うべきで反論などするなという考えだから婚約者の態度は論外よね」
「考えや思想に対して意見しても仕方ないのですが、忠告を守って責められるのは理不尽ですね」
絵の下書きのために紙はいくらでもある。
エネミーは話しながら窓の外の木々をスケッチした。
「婚約者から反論されたラルフシェンは怒りのまま婚約破棄を言うの。夫となるべき者の考えをくみ取ることもできない女は妻に相応しくない。正式に通達を出すと。婚約者は承諾をしたわ。そして通達が来るまで家で謹慎すると言って学院から去るの」
「えらく簡単に破棄してしまいますね」
「ゲームの進行上、仕方ないからじゃない?学院にほとんどいないのにヒロインと愛が育まれているのだもの」
「これを聞くと最初から婚約者に対して情というものが無かったように思えますね」
「そうね、それで婚約者の実家に婚約破棄の書面が届いたの。内容は平民軽視。編入生への対応不備。婚約者への不敬。婚約者としての資質を疑うために破棄の申し出だったわ。婚約者の父は調べたわ。そして婚約者に何一つ落ち度が無いことが分かったの。婚約者は近しい友人にラルフシェンからの忠告を話していたし、それまでにヒロインへ丁寧な対応をしていたのが生徒だけでなく教師も見ていたの。これでは一方的に責を負わされる。でもこのまま婚約者が嫁げば苦労するだけだと思ったのよ」
「修羅場になっていませんね」
スケッチする絵が次第に形になっていく。
「婚約者の父はラルフシェンの父に連絡を取って、婚約破棄が一方的で理不尽であることを申し立てたの。ラルフシェンの父、騎士団長も同じことを思っていたのと書面がラルフシェンの独断で送られていたことで、内密に処理することにした。独断であっても書面は書面だわ。婚約破棄はされることになった。でも表向きはラルフシェンに思い人ができたことによる解消ということにしたのよ。王城に婚約関連は書類提出が必須だから」
「お嬢様」
「何かしら?」
「この間、ヒロインは何をしているのですか?」
「何って好奇の視線に晒されながら授業を受けているわよ」
「嫌がらせ等は第一王子のときに比べて弱い気がするのですが」
「弱くはないわ。だって学院内全てで見られるのだもの。そして特待生だから病欠以外で休むことは許されないわ。一日でも休めば即留年だもの。さらに留年した学年の授業料は免除されないから払わないといけないから針の筵でも通わないといけないのよ」
思い通りに描けたのか違うアングルに取り掛かる。
「そんな中、声をかけてくれる親切な人はいないし、孤立する。でも周りには噂話に花を咲かせる人しかいない。それって大変な精神的苦痛じゃない?目に見える証拠が無いもの。噂話は噂話でしかないけど、止めてほしいと言っても誰も聞かないわ。男爵令嬢が格上の方に異議を申し立てるのだもの」
「周りで囁かれているだけで直接言われていませんし、先に婚約者がいる男に近づいたのは間違いないですからね」
「それでラルフシェンとの婚約が認められて卒業と同時に婚姻式がささやかに執り行われたわ。だけどラルフシェンは卒業と同時に騎士団に入団になる。ヒロインは離れたくないと我が儘を言うの。なら騎士団の遠征について行けば良いと言われて婚姻旅行を兼ねて王都を離れる。これで終わりよ」
「いろいろと都合よく片付けてしまったような気がしますが、後日談はあるのですか?」
「あるわ。破棄された婚約者はラルフシェンの弟の婚約者になるの。これも都合が良いと言われるかもしれないけど、貴族の婚約なんて家同士の契約でしょ?利益があれば問題ないのではない?」
「そうですね。恋愛してから婚約というのは少ないのでおかしくはないですね」
スケッチするのも飽きたのだろう。
色鉛筆で塗っていく。
「それに次期当主夫人として教育を幼い頃から受けていた婚約者をただの弟の妻にはできないわ。だから弟を次期当主にしてラルフシェンから継承権を剥奪したの。独断で婚約破棄をするくらいなのだから当主としての資質は無いから問題ないでしょう」
「婚約破棄ということをしでかしたラルフシェン様を断罪したから文句はないだろうという騎士団長の思惑ですね」
「そうよ。それでも力関係は逆転してしまったけど、社交界に向けては言い訳ができたわ。婚約者も破棄を言い渡されて目が覚めたようで、弟と時間はかかるけど仲良くしたそうよ。そして、ラルフシェンとヒロインは遠征に次ぐ遠征で生涯王都に戻ることを許されなかったの。子どもが何人かできたけど、遠征の間に育てることはできないから立ち寄った町の孤児院に預けたそうよ」
「産まれた子どもを騎士団長は引き取らなかったのですね」
「引き取ろうにも産まれたことを知らなかったのよ。いくらヒロインがいるとはいえ遠征中だもの。私信を送ることは許されないわ。それに乳飲み子がいるのは騎士団にとって足手まといだわ。だから連絡ができなかった」
「女性がいるのだから考え付きそうなものですけどね」
「そうよ。騎士団長も分かっていたわ。でも男性しかいない軍で一人だけ女性がいたら、産まれた子どもは必ずラルフシェンの血を引いているとは限らないわ。確かめようがないもの。だから表向きは知らないことにしたのよ」
「・・・・・・必ずしも幸せとは限らなかったということですね」
「さっきから言っているじゃない。身分違いの恋を楽しむものだと」
色を塗るのが楽しいのだろう。
部屋の中の家具をスケッチしだした。
「でも中々、幸せだったのではないかしら?多くの男性にちやほやされて貴族としての責務も平民としての労働も要らないのだから。遠征先で寵愛を受けるだけなら楽だと思わない?」
「・・・・・・・・・・・・そうですね」
「それで、ラルフシェンはゲームの通りになりそうかしら?」
「難しいですね。騎士団長見習いには弟君を推挙するおつもりのようです」
「あら、もうすでに?」
「そうです。騎士団長の子息、長男と次男では母君が違います。愛妾ではなく、それぞれ正妻の子になります。騎士団長には幼馴染の令嬢がいらっしゃり、その方と婚姻されると誰もが思っていましたし、当人方も仲睦まじい姿を見せていらしたので、安泰だと噂していました。ですが、騎士団長を見初めた家格が上の令嬢が無理矢理に婚姻してしまったのですよ」
「そんなことできるの?」
「王城に書面を出してしまえば可能です」
「それで幼馴染の令嬢を愛妾にすることもできたのですが、騎士団長が妻として共に歩むのは幼馴染だと公言して、どのようなパーティにも幼馴染を正妻だと言って紹介していました。無理矢理婚姻したことは社交界では有名でしたし、誰もが騎士団長の妻は幼馴染だと扱っていました」
スケッチした箪笥の木目を書くことを楽しんでいるらしい。
「それでは書面で正妻である令嬢の居場所が無くなりますし、一年の間、如何なる理由があろうとも身籠れない場合は離縁が許されています。このままでは横恋慕して権力を使っただけの嫌な女となります」
「無理に婚姻した時点で、嫌な女であることは間違いないと思うけど、今更よね」
「今更です。でも離縁されたくない令嬢は騎士団長に酒を飲ませて既成事実を作りました」
「あらやだ、淑女にあるまじき行為だわ。はしたない」
「お嬢様のゲームでもありましたように騎士団長見習いでも学院にほとんど通っておりませんでした。騎士団長は言わずもがなです。夫がいない間に身籠れば愛妾の子だとすぐに分かります。ただでさえ横取りしている夫なのに、その夫でない子を身籠れば嘲笑だけでは済みません。何としても夫の子を身籠らなくてはならなかった」
「それで身籠ったのね」
「はい、奇跡的にですが、ただ問題がありました。長男を産んだあと令嬢は体を壊しました。子育ては乳母ができますから療養が必要な政略的婚姻でもない相手を養うつもりはありません。そのまま療養目的で離縁しました。令嬢の生家も婚姻までは家格が上なので強気に出られましたが、婚姻したあとは嫁ぎ先の旦那に従わなければなりません。生家も離縁に応じるほかなく、娘を幽閉するしかありませんでした」
「騎士団長は晴れて幼馴染を正妻として迎えることができたというわけね」
「はい、だから無理矢理にできた子どもを自分の後継ぎにはしません」
箪笥を中心に壁紙まで再現されていく。
「男性だから無理矢理という表現は違和感があるけど、愛する人との子だけを自分の子と言いたい気持ちは分かるわ」
「子どもに罪はないので、平等に教育を施してはいますが、剣の才能と勉学において弟君のほうが優れているのは周知の事実です」
「大人になったときに盛大に拗らせそうな素質がすでにあるのね。厄介だわ」
「本来の母の生家には後継ぎがいませんから押し付けることもできますが」
「問題だらけね。本当に遠征に出て帰ってこなければ簡単なのに、いくら血を引いていても家格が上の家に嫁ぐのではなく養子だなんて、問題しかないわ。それも本家筋、分家筋の間柄でもない家同士でなんて。それで横恋慕した令嬢はどうなったの?」
「権力と財力を駆使しまして快方に向かい、今では日常生活は問題なく送れるそうです」
「無駄なことをしてくれたものね。それでまた横恋慕でも考えているのかしら?」
「その通りですよ。自分が体を壊したばかりに無理矢理後妻を娶らされたと考えているようです」
「すごいわね。社交界に一度も出してもらえず、正妻としての扱いすら受けたことのないくせに思い込めるのは、天才的だわ」
色が増えていくと切り取ったように鮮明に描かれている。
「社交界に出さないのは愛する妻を他人に見せたくないから。正妻として扱わないのは責務が大きいから。そう考えていて、既成事実作ったのも女性に奥手だから。そう都合よく考えていたようですよ」
「すごすぎるわ。今回のゲームのヒロインも思い込みが激しいけど、そういう役どころだわ。現実にいるのね」
「はい、まぁ王家も監視対象にしていますので、そうそう問題は起きないかと」
「そうね。いち令嬢を幽閉しつづけることを叔母様にお願いすることができないもの。でもお家騒動になるのは困るわ。何か打つ手はないかしら?」
「令嬢を大人しくさせるのでしたら奥様に会わせてみてはいかがでしょうか?」
「お母様に?似た者同士を合わせて何になるというの?面倒なことにしかならないと思うのだけど」
「ですが、お二人とも相手を貶めることはお好きだと思いますが?」
「そうね。足の引っ張り合いをしているうちは、こちらに被害が及ばないということね。こっそりと会わせておいてちょうだい。うまくいかなくても次に何か醜聞があれば処罰でも離縁でもできるでしょう」
色を付けるのも飽きたのだろう。
スケッチそのものを止めてしまった。
「お嬢様、いつ絵を習われたのですか?」
「前の私よ。絵を描いて生計を立てていたもの。これくらいは簡単よ」
「貴族の令嬢としては必要ではない才能ですね」
「趣味にする分には文句はないでしょうけど、職業にはできないでしょうね。絵を描くのは男性の仕事だもの」
「旦那様には内緒にしておいてくださいね」
「分かっているわよ。お父様、絵がお嫌いだもの。もう描かないわ」
「よろしくお願いします」
大公家当主は壊滅的に絵の才能がなかった。
嗜む程度とも呼べないくらいに。
「ラルフシェンについて対応策が確実にないのは困るわね。ラルフシェンを騎士団預かりにできれば話は早いのだけど。叔母様にお願いできないかしら?」
「ベルガモーラ様に話すぶんには問題ございませんが、ただ才能が乏しい方を率先して受け入れていただけないかと。受け入れていただければ、戻ってこないようにするのは簡単ではあると思います」
「そうね。様子を見て叔母様に話すのが良いかしら?大人しく弟を支えてくれる性格に育てば問題ないもの」
「希望的観測に過ぎませんが、様子を見る以外は方法がございませんね」
絵を描くのを止めて、今まで描いたものを破り始める。
下手に残して使用人に見られて、話題になり当主の耳に入れば大問題だ。
破れば、満足のいく絵にならなかったと勘違いしてくれる。
絵が嫌いでも娘に絵を描くチャンスは用意するあたりは親バカと言える。
「それじゃあ次の編纂長子息・ミシェル・アーメイナで構わないかしら」
「構いませんが、そろそろ夕食の時間になります。旦那様が押しかけてきますよ」
「・・・面倒だわ。いっそのこと王城泊りになってくれないかしら」
「ゲームの中の旦那様はどうでしたか?」
「ゲームの中のお父様?どうって、影も形も無いわよ。存在だけはあるけど。それにエネミーが断罪されたあとは領地に引っ込んでしまうのだもの。役に立たないわ」
今でも仕事面は優秀だが、家のこととなると愚鈍になる。
その点はゲームでも現実でも変わらないようだ。
「今と変わらないですね」
「そうね。どうしてお父様に大公家当主が務まるのか不思議だわ」
「おそらくは、血筋かと」
「厄介な血筋だわ」