包装された呪縛
私はお歳暮を贈りたい。
送る相手は、直属の上司だ。四十代の働き盛りで、少し頭部が寂しくなっているが、笑うと少し可愛くて、私と肉体関係を持っている。妻帯者なので、不倫関係という事になる。
その人へのお歳暮を買うために、私はデパートのお歳暮売り場へとやって来た。
「いらっしゃいませ、なにをお探しですか?」
店員が声を掛けてきた。普段なら、鬱陶しいだけの存在だけど、今は相談相手が欲しい。私は、店員に正直に話した。
「少しでも、あの人の、上司の心をこちらに寄せる、そんなお歳暮を贈れませんか」
あの人は幸せな家庭を持っている。綺麗なイタリア人の奥さんと、ハーフで美人な娘さん。私みたいな、暗い女に勝ち目はない。
けど、ちょっとだけでも、あの人の心が欲しい。抱かれている時だけでなく、普段でも心を通じ合わせたい。その為に、いいお歳暮を贈りたい。
「でしたらお客様。とてもいい商品がありますよ」
チェシャ猫みたいな笑みを浮かべると、店員は白と青のストライプの包装紙に包まれた包みを持って来た。
「これは?」
「呪縛です」
「呪縛って、なに?」
問いかけると、店員は、我が意を得たりと説明をはじめた。
「呪縛とは、その言葉の通り、呪いで縛るという事です。これは目に見えない商品でして、受け取って開封した人間の心を縛ってしまいます。こうなると、もう貴女の事しか考える事ができません」
「……そこまでしなくていいんだけど」私は強すぎる効果に戸惑った。
そんなに強い力は要らない。私があの人から欲しいのは、家族に向けている愛情の一欠片だけで事足りる。砂漠のような人生に、一滴の、愛という潤いが欲しいだけだ。
「けど、当店では弱い呪縛なんて取り扱っておりませんよ。基本的にこういった呪術商品は、効果がハッキリと出ないことには、詐欺と代わりありませんからね」
「そう、なんだ」
「はい。たとえば『少しだけ彼氏が貴女を好きになります』と言ったところで、それを証明する手段はないわけでしょう。心は可視化も数値化もできませんからね。ですから、ハッキリとした効果が証明できませんと、お客様の方でも『効果がなかったじゃねーか!』とクレームに発展するのもやむなしというわけですよ。ですから、必然的に呪術商品は、強烈な効果の物だけが残るのです」
「成る程」
私は、大いに頷いた。
「その代わり、効果時間を短くする事ならできますよ。たとえば、一日だけ不倫相手の心を呪縛するとか」
「一日だけ」
「はい、一日だけ、貴女の事しか考えられなくする。そういう呪縛なら、分量を調整するだけですから簡単ですね」
「……一日だけ」
それは魅力的な提案だった。
普段、私が彼に愛されるのは、二週間に一度程度の割合で、ホテルで一時間抱かれるだけだ。月にたったの二時間しか、私はあの人を専有できない。それが一日も独占できるとなれば、ちょうど一年分にもなる。
身に余る幸せ、という気もする。あの人の家族に悪い気もする。だが一年は、三百六十五日もあるのだ。その内の一日だけ、余分に私にくれたとしても罰は当たるまい。
「……一日だけならいいよね?」
「はい!」素敵な笑顔で店員が頷く。
私は時間指定をして、上司にお歳暮を贈った。
そして、お歳暮を到着日。私は上司が来るのを待っている。デパートの店員は「呪縛を受けたら、即座にはせ参じますよ」と保証してくれた。なんでも、呪いが心を縛ってしまうので、呪われた人間は鳩のように、何処にいても私の居場所が分かるようになるのだという。
だから、私は自分のマンションで待っていた。
テーブルには料理が並んでいる。美味しいお酒も買ってある。一応、間が持たない時の為に、話題の映画も何本か借りておいた。今まで多少は話す事も会ったが、丸一日一緒に過ごすのは初めてだ。だから、保険として映画を用意した。ベッドには、上司の好きな銘柄の煙草を置いた。その隣には、勿論、避妊具が置かれている。
私はこれからを期待して、にやけながらベッドの上でごろごろする。今日は一日中、あの人を独り占めだ。
ドアが激しくノックされる。
「来た!」
私は飛び起きる。耳を澄ますと玄関で誰かか激しく叩いていた。間違いない、あの人が来てくれたんだ。
「はい、すぐに出ます!」
私は急いで玄関に向かった。ドアを開ける。
玄関には、小さな女の子が立っていた。
見覚えのある顔立ちだ。一度だけ会った事がある。確か、あの人の娘さん。少しだけだが、面影がある。しかし、なぜ彼女が来たのか。
呆然と立ち尽くしていると、少女は私の足にしがみついてきた。
「なんで……?」
「なんかね。お姉ちゃんに、すごく会いたくなったの」
話を聞いてみると、どうやら一人で留守番をしていた彼女が、私のお歳暮を開けてしまったらしい。包装された呪縛は、開けた人間の心を縛る。これではせっかく送った呪縛が台無しだ。
ともあれ、このままにもしておけないので、私は上司に電話する。
すると、彼は素っ気ない感じで、一日だけ娘の面倒を見てくれないかと言ってきた。何でも今日は、上司も、彼の細君も、とても忙しいらしい。
「あの、それは……」
「頼むよ。君なら安心して任せられる」
「はぁ……」
確かに、私ならある意味で安心だろう。だからと言って、不倫相手に子どもの面倒を見させるのは、控えめに言って頭がおかしいと思う。
「パパもママも私の事なんてどうでもいいの」
私が戸惑っていると、隣で聞いていた娘さんが、すねた顔で呟いた。「休みなのに、二人ともどっかにいっちゃうのよ。いつも私に留守番をさせて。きっと、私に興味がないんだわ」
私は彼女の頭を撫でてあげて「そんな事ないよ」と言ってあげる。
本当はそんなこと、珍しい事でもないけどね。
私の両親も、私の事なんて本当にどうでもいいと思っていた。兄達のおまけ程度にしか考えていなかった。実際、みそっかすだったし、仕方がないのかもしれない。でも、いいことをしても何も褒められた記憶がなかった。失敗をすると、ただ呆れ顔で見られた。両親にとって、私は少し気に障る、背景みたいなものだった。
客観的に見た場合、私は温かい家庭に生まれたが、いつも孤独に喘いでいた。
子どもの事を好きでも何でもない親なんて、珍しくないって事は、よく知っている。
だから、愛されたいんだよね。
私は同病相憐れむように、彼女の頭を撫でた。
「でも、今日はお姉ちゃんが一緒だから寂しくないけどね!」
泣いたカラスがすぐに笑う。
いや、これは呪縛のなせる業か。
「そっか」と私は適当に笑った。
こうして、私の不倫三昧という予定は立ち消え、孤独な少女のお守りをする事になった。
彼の為に作った料理は、少女の胃袋に消えた。
「お口にあるといいんだけど」
「うん。とっても美味しいよ! でも」
「でも?」
「なんだか、身体がぽかぽかする……」
「ああ、鼻血が出ちゃっているね」
本当なら、壮年の男の人に食べさせる料理。その多くは精が付くものや、興奮作用のあるものばかりだ。少女には刺激が強すぎて、鼻血を出させてしまった。
映画を沢山借りたのは正解だった。
悲しい事に私にはトークスキルがない。子ども相手でも、無言の時間が続いてしまう。けど、映画があれば、そうした時間を埋める事ができる。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
「あれって、なにをしているの」
「キスだね」
「男の子同士だけど?」
「そういう愛の形もあるの」
「へー!」
ただし、映画のチョイスは少し間違っていた気がする。おませなお子様は、少年同士のキスに興味津々だ。もう少し、古典的な作品にしておけば、こんな風に困る事もなかっただろう。
こんな感じに、私は少女の相手をした。
すると、あっという間に夜となった。私は、少女を風呂に入れてやって、ベッドに運ぶ。
「あー、これパパの好きな煙草だー」
「そうなんだ。偶然ね」
「……んー? お姉ちゃん、この変なの、なに?」
「これはまだ、貴方が使うものじゃないよ」
少女が目聡く見つけた避妊具を取り上げて、私は少女を寝かしつけようとする。けれど、彼女はなかなか眠ってくれない。
私の手をしっかりと握って、放してくれない。
「お姉ちゃん、一緒に寝よう?」と甘えた声でおねだりしてくる。彼女は私と一緒に居たがる。私が少しで離れようとすると、むずがってしまう。
私は少女に、無条件で愛されている。
なぜなら、彼女は私に呪縛されているからだ。呪術によって、私の事しか考えられなくなっている。だから、こんなにも私に懐いてくれている。
けど、それも今日だけだ。
明日になれば呪縛は解ける。
「大丈夫。ずっと手を繋いでいてあげるから、だから、おやすみ」
「うん」
頬におやすみのキスをしてあげると、ようやく少女は目を瞑った。私はランプシェードの明かりを落とす。これで、明日になれば彼女の呪縛は解けるだろう。
人を呪わば、穴二つ。
呪いで幸せになろうと考えた私は、あまりに浅はか過ぎた。明日、この子は私を見ても、今日のような素敵な笑みをしてくれない。この子は明日になれば、私の事なんてどうでもよくなるだろうが、私は今日一日で、この子の事が好きになっていた。
これが人を呪った罰なのか。
少女の心から自分が消える事を悼んで、暗やみの中、私は独り涙を流した。