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臨月天光  作者: 蒼原悠
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抗衡の闘諍






「君はあの時、どんな夢を見ていましたか」


 成木先生の前に来て、最初に聞かれたのはその事だった。

 夢を見てたこと、知ってたんだ。私は自分の感じたままを話す。「……首のない私に、首を絞められていました」

「他の誰かが、君の首を絞めたんですね。以前に、現実でそういう体験は?」

「ないです」

 何を知りたいんだろう。不思議に思いながらもそう返すと、先生は指を組んで椅子にもたれかかった。

「君を救助した友達の話を聞いていても、どうようの傾向が見られました。君は昨日も、悪夢を見ていたそうですね」

「そう……ですけど」

「いつから、悪夢を見始めるようになりましたか」


 私は思わず顔を上げた。


「一月近く前、です」

「その間、夢の内容は変わりましたか」

「毎日、別々の夢でした」

「そうですか……」

 ため息を吐く成木先生。私はそっと、喉に手をやった。蛍光灯に照らされた青白い部屋の中では、誰かの「手」に捻るように絞められた首にしっかりとついた痕が鏡越しに見えた。あの悪夢と現実を結びつける確かな証拠を、私は撫でた。


「──悪夢を見る理由は、様々です」

 先生は言う。

「そもそも悪夢とは、誰もが見るもの。現実における不満などを解消するための『浄化作用』が悪夢にはあることが科学的に確かめられており、言わば定期的な脳の維持管理のようなノリで人は悪夢を見るのだと考えられています。或いはPTSD……心的外傷ストレス障害の症状として生じることもあります。PTSDは強烈な恐怖を感じた際になる病気で、この場合はトラウマになった場面を繰り返し何日も見るのだそうです。これを再体験症状、または戦争神経症(シェルショック)と言いますが、今回は当てはまらないと考えるのが妥当でしょう」

 分からない単語を並べ立てられて、頭の中が混乱する。狐につままれたような気分で先生を見上げた私は、言葉に詰まった。


「悪夢対策は可能です。君だって得体の知れない夢の中で命を落としたくないでしょう? 我々は医療の専門家です。必ず、君を救って見せます」


 優しく、私に手を差し伸べてくれる成木先生。

 その笑顔は本当に眩しかった。これまで、私に同情や心配の言葉を掛けてくれた人はたくさんいたけれど、今のこの台詞と表情を前にしては全てが嘘臭く見えただろうなって思った。

 よく分からないけど、この人なら大丈夫だ。そう、思えたんだ。

 頼りたかった。一刻も早く、こんな悪夢の悪循環から抜け出したかった。

 今の私にとって、この人は最後の希望だった。


「お願い……します」

 握り返した手は、温かかった。






◆◆◆






 その日の夕方、私の病室にお見舞いが来た。

 一人は桃子、もう一人は師岡くんだった。


「はい、これ。昨日と今日のうちに配られた宿題とかプリントね」

差し出した桃子を見もしないで、私は告げる。

「ありがとう、そこ置いといて。後で見るよ」

 直接だろうが間接だろうが、触れるのが今はもう嫌だった。無言で桃子が脇のテーブルに束を置くと、今度は師岡くんが口を開いた。

「その……この前は言い過ぎたよ。ごめん。まさかお前がこんなに重大なことになってるなんて、想像もしてなかったから」

 悪夢のことを知ってるような口振りだ。訝しげな目を向けた私に向かって手を合わせたのは、桃子だった。

「あ、ごめん! 沙織の悩んでること、実はみんなに話しちゃってさ……」

「……なんでそんなことしてくれちゃったの?」

「クラスのみんなは、知っておくべきだと思ったから」

 楽しそうな顔の割には、桃子の声は真剣だ。「まだ、信じてる人は少ないけど。それでもだいぶマシだと思わない? 沙織が退院して学校に戻ったとき、空気が悪かったらお互いにイヤじゃん?」

「……ありがと」

 適当に返した返事は、作り笑いのように薄っぺらになった。

 ありがたいけど、私には桃子はやっぱりもう化け物にしか見えないの。師岡くんたちは、クラスのみんなは、私のことを本心から心配なんてしてくれてないって固定観念が、消えないの。

 私にとっての「人間」は、もはや成木先生しか残っていないの。


「おや、お友達ですか」

 ほら、噂をすれば影が射した。

 スライド式のドアを引き開けて、成木先生が入ってきた。「担当医の成木です。君たちは、吹上沙織さんの同級生かな?」

「あ、はい」

 師岡くんの間抜けな返事に、成木先生は笑った。「なら、検査はもう少し後にしましょう。邪魔しては、悪いからね」

 ドアが閉まって、師岡くんと桃子は顔を見合わせてる。むしろ、自分たちが邪魔だとか思ったのかな。

「んじゃ、俺たちは帰るから」

 鞄を背負うと、笑っちゃうくらい予想通りのことを師岡くんは言った。「早く良くなれよ、吹上」

「ありがとう」

 気のない言葉で追い払う。師岡くんに続けて桃子も、部屋から出ていこうとした。


 桃子は立ち止まった。


「……成木、って言ったっけ」

 そう呟いた目が、私を見てる。いや、私と言うより……病院を見てる。

「あの先生の名前、どこかで見たような気がするんだよな」







◆◆◆





「これまでの話から察するに、君の悪夢の一つの要因は身の回りで起こった様々な現象だと思われます。自分の首を絞めるのも、その一つです。ですから、簡易拘束具を使用して眠ることは、危険を取り除くというのみならず悪夢自体のペースアップを防止することにも繋がります」


 その夜、そう告げられた私は両腕と両足をベッドに固定された。

 確かに、これじゃ自分で自分を殺そうとしたり出来ないよね。ちょっと安心感が増した気がした。

「定期的に看護師に見回らせますから。心配しないで、ゆっくり眠ってくださいね」

 そう言い残すと、先生はアロマを焚く機械みたいなの――アロマディフューザーって言うらしい――をセットして、病室を出て行った。確か、快眠に効果があるとか言ってた気がする。ホットミルクも飲んだし、昨日と比べたら抜群に調子がいい。

 成木先生がいなくなって、私は部屋の中に一人取り残される。この病院に来て以来、相変わらず寝覚めは悪いけれど日常生活はかなり改善していて、以前と比べても眠気は抑えられていた。それでも眠いものは眠くって、目をつぶっていればすぐに……。


 すぐに……。








 ざゎざゎざゎざゎざゎ。



 私の身体を、何かが覆っている。

 目を少し開いた私は、それが真っ黒なガスみたいなものだと気づいた。

 はっとした。黒い影だ。いつも悪夢の後に、私の周りをうっすら包んでいたやつだ。

 おかしいな、前はこんなに薄い膜じゃなかったのに。いつの間に、こんなに少なくなっているの……?

 恐怖というより、妙だった。ガスみたいなこの影が悪夢の中で私に害を及ぼしたことは未だかつて一度もないし、そういう意味では安心していたのかもしれないな。


 そんなことを考えているうちに、いつしか私は眠りに落ちていったみたいだった。





 信じられないことに。

 その日、悪夢は現れなかった。

 清々しい朝を迎えたのは何日ぶりだろう。昨日からの記憶の中には、化け物も、崩壊した日常も登場しなかった。

 成木先生は正しかった。私の悪夢は、撃退されたんだ。何だか無性に嬉しくて、病室に入ってきた先生に私は勇んで報告した。

「先生の言った通りでした! 悪夢、見てません!」

 先生は豆鉄砲でも喰らったみたいに目をパチクリさせると、微笑んだ。「拘束作戦が功を奏しましたか。良かった、良かった」

 拘束具を外してもらうと、私は思いっきり深呼吸をした。窓の外に広がる青梅市は──私の故郷は、朝日を浴びて白く輝いていた。






◆◆◆






 その日、両親がお見舞いに来た。


「沙織、大丈夫か!?」

 ドタバタ入ってくるなり、大声でそう尋ねたのはお父さんだ。昨日の夜、出張からようやく帰ってこれたらしい。

「すまんな、怖い思いをしてる時に父さんがそばにいてやれなくて……」

 別にいいよ、って笑って返す。いても何も出来なかったでしょって非難するニュアンスは、なるべく消したつもりだ。

「あの、沙織の容態はどうなんですか?」

 お母さんは成木先生に問うた。「心神耗弱の様子が見られるから保養が必要だ、って仰有っておられましたが……」

「はい。昨夜まではかなり、厳しい状況と言わざるを得ませんでした」

「具体的にはどのような……?」

「悪夢です」

 お父さんとお母さんは、揃って素っ頓狂な声を上げた。「悪夢?」

「ええ。ただの悪夢、されど悪夢。娘さんの場合はかなり心に重い負担が掛かっており、危険でした」

「あんた……そんなに大変な状態だったの!?」

 お母さんが身を乗り出した。ううん、と私は首を振ってみせる。

「今日は何だかすごく、調子がいいの。イヤな夢も見なかったし、身体も怠くないし」

「良かった……」

 ホッとしたのか、お母さんの顔には疲れが滲んでいた。その面影にはもう、ぐちゃぐちゃに融解して人間とは思えない姿になってしまったあの日のお母さんは見えない。

「では、娘はもう退院出来るのですか?」

 お父さんの声に、成木先生は首を振った。


 横に。


「まだ、出来ません。改善はしましたが、原因が明らかになっていない以上は再発の虞があります。あと二日頂ければ、全ての診断を終えることが可能でしょう」

「そうですか……」

 二人とも、すっかり意気消沈したみたいだった。私がいないと、寂しいとか感じるのかな。

 私はカレンダーを見た。今日は九月二十八日。二日後といえば、三十日だ。

「まあ、それじゃ仕方がないわよね。沙織、ちゃんと安静にしているのよ」

「明日もまた、来るから。なっ」

 私を励ますみたいに、二人は声をかけてくれた。







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