08
七時前には駅前に着いて、ちょうど五分前を腕時計が指し示した頃に時計台の前に移動した。すると、そこに立っているのは長身の見覚えのある男。先日のイメチェンのおかげですっかり今時の男になった彼は、女の子たちからチラチラと視線を送られている。特別ものすごくイケメンでもないが、服装と身長とスタイルでなかなかのイケメンの出来上がりだ。
ブルーのシャツにパステルイエローのパンツは爽やかで、髪の短くなった白田によく似合っていた。相変わらず顔は無表情ではあるが、そこがまたクールな感じがして良いという女性もいるだろうと思った。
「――あ、れ?あたし遅刻しちゃった?」
時計を確認しながら白田に聞いた。待ち合わせは七時だったので遅刻ではないはずだが、白田も今さっき来たという様子ではなかったので焦るが、白田はあたしを見るとそう答えて、あたしの右側に移動した。そう簡単に背は縮まないので当たり前だけれど、白田の背は高い。自分の大きい身長でも自然と見上げることになる白田と並ぶと特別大きいわけではないような気がしてなんだか安心する。
自分と同じような身長だったり、自分より低い男の人と一緒に歩いていると気を使わないつもりでも結構精神的に疲れるのだ。ヒールを履くなんて問題外だし、ペタンコの靴に合わせた服を考えなければならない。それだけで自分が着たい服装がかなり制限される。
しかし一番疲れるのは服装を考えることどではなくて、周りからの視線だ。ほとんどが勝手な被害妄想に違いないのだけれど、「この女の人、背が高いな」と言う顔をしている人がかならずいる。隣に比べる対象になる男の人がいれば特に顕著だ。ほっとけ!と思うところなのだが、まぁ思ってしまうのを止められはしないわけで。仕方ないことだと頭では分かっていても精神的に疲れがどっと出るというか。
「いえ。まだ五分前ですので遅刻していませんよ。朱音さんと待ち合わせしてると思ったらじっとしていられなくて」
「ちょ、何言ってるのよ」
恥ずかしいセリフがすらすらと出てくる男である。あたしが顔を真っ赤に染めても、白田は自分が言った言葉を恥ずかしいと思っていないのか何でもない顔であたしを見ている。何だかあたし一人が恥ずかしい気がするんですけど!
「花房さんとお茶していたのに、突然お誘いしてすみませんでした。来てくれて嬉しいです」
「……アンタ、優菜とグルだったんでしょ」
「こうでもしないと朱音さんが来てくれないと花房さんに言われまして」
恨みがましい視線を白田に投げつけると、白田はしれっとした顔で言い切った。まぁ、確かにそうなんだけど。優菜の一言が無かったらあたしが今日ここに来ていたかどうかは怪しいものだ。恐らく今頃一人で部屋でテレビ鑑賞しながらビールだっただろうと思う。
「……まぁ、いいわ。どこに行く?」
「朱音さんは嫌いなものありますか?」
「嫌いなもの?特にこれと言ってないけど」
そう言って首を傾げる。自慢じゃないが嫌いな食べ物はない。子どもの頃は人並みにピーマンが嫌いだったけれど、大人になった今ではピーマンどころかゴーヤだって美味しく食べられるようになった。今思えば食わず嫌いだったものが多くて、今では好きな食べ物も多い。
「では、イタリアンでも良いですか?」
「え?うん」
「良かった。実は先に予約してしまっていたんです」
あたしが頷くと白田は悪戯が成功したような顔でにこりと笑って、あたしに手を差し出した。その手と白田の顔を交互に見ていると、白田はあたしの手をさっと握って歩き出す。
「すみません。手を繋いでも良いですか?」
「……聞く前に繋いでるじゃない」
「ああ。すいません。朱音さんと手を繋ぎたくてつい。このまま繋がせて下さいね」
そうしれっと言い放つ白田にあたしの顔は既に赤に染まっている。照れて顔を背けるあたしを白田が楽しそうに見ているのが分かる。繋いだ手が熱いくらいなのは夏の気温のせいだ。
そして着いたのは夜景の綺麗なタワーホテルの最上階にあるレストラン……ではなくて、住宅街にひっそりとある家庭的なお店だった。洋風の白塗りの壁が可愛いくて、でも煩い場所でないおかげで落ち着いた雰囲気なのがが悪くない。ただお洒落な雰囲気のこのお店と白田がどうしても繋がらない。
「ちょっと意外」
「でしょう?学生の時にアルバイトしていたんです。他のお店はよく分かりません」
あたしの言葉に白田は小さく笑って肩をすくめた。ホールに出ているスタッフは制服が決まっているらしく、白シャツに黒のパンツ。そして黒のエプロンを腰に巻いている。その制服を身に纏った白田を想像してみたら意外に悪くない。というか今までも髪型自体が適当だったのがマイナスだったけれど、スーツ自体はよく似合う男なのを忘れていた。
「あはは。ここでアルバイトしてたんだ?」
「はい。好きな人が出来たら来ようと決めてたんです。朱音さんのおかげで夢が叶いました」
白田はそう言ってはにかんで笑う。あまりの直球な物言いにあたしは思わず笑みを零した。何ていうか、ここまで言われて悪い気になる女はいないでしょう。
「……それでおすすめは?」
「ええと、石釜があるのでピッツァが美味しいですよ。チーズの盛り合わせもおすすめです」
結構ドキッとしたし、実際動揺は隠せていないと思う。何だか顔が熱いし、うっかりメニューを持っていた手が大きく揺れた。だけどそれを言葉に出してしまうのは何だか負けなような気がして、精一杯の努力をもって流す。
「じゃあ、トマトが入ったのが良いな。それと何かサラダも食べたい」
「分かりました。それじゃあマルゲリータにしましょう。ワインは飲みますか?」
「チーズ食べるなら飲みたいよね。白田も飲むんでしょう?」
「はい。……じゃあ、注文しますね」
そう言って白田が手を上げると、ホールにいた小柄な女性が注文を聞きに来た。年齢は私よりもかなり上に見える。明るい笑顔とはきはきと丁寧な言葉が気持ちの良い女性だ。その女性は注文を聞き終わると笑みを残して、さっとテーブルから離れた。
「何だか素敵な人ね。白田がアルバイトしてた時もいたの?」
「ここの奥さんなんですよ。明るくて親切な人です」
そう話していると、先ほどの女性が赤ワインを持って戻って来る。それをあたしたちのグラスに注ぐと、口を開く。
「主人にそっとしておいてやれって言われたのにダメね。白田くんが女の子を連れてきてくれたのが嬉しくて!ついはしゃいじゃうわ。小さなお店だけどゆっくりしていって下さいね」
「いえ、そんな。ありがとうございます」
可愛らしく笑った女性はそう言うと、さっと戻っていった。出てきたワインはおいしくて、その後出てきた料理もどれもおいしかった。おかげでお酒もどんどん進んでしまって、何とか自制したものの結局ワインをしっかり1本空けてしまった。
おいしい料理と適度なお酒で店を出るとすっかり楽しい気分になってしまっていて、なんだかふわふわした気分だ。
「ご馳走様。本当おいしかった。また連れてきてね?」
「はい。また一緒に来て下さい」
白田はそう言うとあたしの手を自然に握る。あまりにも自然に手を繋いだので、まるでそうするのが当然だと思わせるくらいだ。
「手を繋いでいいとは言ってないんだけど?」
「手を繋いでも良いですか?」
「……ふふっ。いいわ。料理もワインも美味しかったし、今日は特別に許可します」
すっかりご機嫌になってしまっているあたしは、わざと大げさに言ってくすりと笑う。何気なく見上げた夜空は雲一つない。残念ながら星は見えないが、月が明るく光っている。
「このまま歩きながらで良いので聞いてください」
「んー?」
「朱音さんが好きです」
「え」
ご機嫌に夜空を眺めていたあたしの顔はばっと白田を向いた。いや、白田の気持ちは分かっていたと思う。それに近いことは言われていたし、ここまでアピールされて気付かない女はいないでしょう。だけど、改めて言葉に出されると心臓がバクバクとうるさく跳ねる。
「俺の事をまだ好きになれなくても、朱音さんに好きになってもらえるように頑張ります。だから、付き合って下さい」
「……それ断っていいの?」
「朱音さんに拒否権はありません」
「ちょ、それ何よ。もしあたしがどうしても白田を好きになれなかったら?」
試しに聞いてみれば、白田は真面目な顔で言い切ったので思わず笑みを零してしまった。
「それでも好きになってもらえるように頑張ります。というわけで諦めて俺と付き合ってください」
「……もう、仕方ないなぁ。――いいよ、付き合ってあげる」
まだ悔しいから白田には言わないけれど、そう言って笑ってしまったあたしはもう白田のことを好きになり始めている。私の事だけを見て、私の事だけを好きだと言ってくれる。私だけの王子様。
嬉しそうに破顔する白田の顔を見れるのも今は私だけの特権だ。
これで完結ですが、最後にエピローグに続きます。
もう少しだけお付き合い下さると嬉しいです。