07
結局その週は仕事が忙しかったり森崎に急な出張が入ったおかげで、それきり森崎と話す機会なんてほとんど無かった。幸か不幸かと言われれば、これ幸いと思っていたことは否めない。あんな突拍子も無いこと言われたけど、放っておいたら忘れてくれないかななんて期待したりもしたし。
「あたしね、森崎くんって朱音ちゃんのこと好きなんじゃないかなーと思ってたんだぁ」
目の前に居るのは麗しの天使である優菜だ。週末、一度行ってみたかったお洒落なカフェで待ち合わせて優菜と二人女子会というわけ。お昼休憩ではよく二人で外出したりするけど、当然ながらお昼休憩中はゆっくり食事しながらお喋りなんてできない。ささっと食べて、さっさと会社に戻らなければ休憩が終わってしまう。それに女子にはお昼休憩の際のメイク直しという作業が残っているのであんまりゆっくりしていられないのだ。まぁ、あたしはあんまりしっかりやる方ではないけど、全くやらないというわけにもいかないのですよ。
ここのモンブランはいつも食べるものよりは少しお高めの価格だけど、たまにのご褒美になら全然アリの範囲だ。美味しかったら買って帰ってもいいかもしれない。
そんなことを考えて思考を飛ばしていたせいかもしれない。優菜がにこにこと天使の笑みで言い放った言葉に思わず飲んでいたカプチーノを吹く出しそうになった。危ない!お笑い芸人でもないのに飲み物噴出すなんてしたくない。
「――はぁ?」
「森崎くんって好きな子をいじめる男の子なんだもん。ふふ!」
相変わらず優菜は楽しそうに、にこにこと笑っている。いやいや、その意味が分かんないし。
「いや。森崎は優菜のこと好きなんでしょ?」
「それは違うと思う。だって、朱音ちゃんが一緒のとき以外は話したこともないし」
優菜はそう言って平然とカフェオレを一口飲む。
「え。……だって、それにあいつ彼女とか居たでしょ?最近は居ないみたいだけど」
「朱音ちゃんを誰かに取られそうになって気付いたって感じかなぁ」
「……」
優菜はそのまま楽しそうに笑顔を浮かべながらケーキを食べている。そんな優菜を視界に納めながら、あたしは完全にパニックに陥っていた。だって美味しいはずのモンブランの味が全く分からなかった。
でも、待って。あたしは白田にも森崎にも何か言われたわけじゃないし……。そうよ!きっと、女子と遊ぶ練習?みたいな。間違いない。そうに決まってる。白田は女慣れしてなそうだし、森崎は最近彼女いないとかだったから、あたしで練習して女の子を誘うんだ。
そう考え付くと、急に呼吸が楽になってきた気がする。何だかモンブランの味がするようになってきたかも。
「言っとくけど、朱音ちゃん。森崎くん、気の迷いでも何でもなくて本気だと思うよ」
「うぇっ?あたし今言葉に出てた?」
真顔で言い切った優菜にあたしは驚きの声を出す。驚きの声ですら可愛くないのが朱音クォリテイーです。
「言われなくても顔に書いてるもん」
「まじですか……」
「もう、朱音ちゃんって自分のことには鈍いんだから」
呆れたような顔の優菜なんてなかなか拝めるものではない。だけど、あたしはそんなことを感慨深く思ってる余裕なんて当然なくて。
「……どうしよう」
その言葉に尽きるわけです。
「朱音ちゃん。ちゃんと白田くんや森崎くんと話さなきゃだめだからね」
「えー」
思わず出た声に優菜はくすりと笑った後、すぐに子どもを叱りつけるような顔になってあたしに向き合った。
「もう、朱音ちゃんってば。逃げてても解決しないよ?それに、まだ告白されたわけでもないんだから結論は決めなくていいんだよ?」
「……そっか」
優菜の言葉に頷いたちょうどその時。テーブルの上に置いていた携帯の画面が光ってバイブ音と共に着信を知らせる。それに目を遣ると画面に現れた名前は白田翔。今話題の中にいる彼だった。出るかどうか迷ってちらりと優菜を見るとにこりと笑みを浮かべてあたしを見ていた。
「ほら。電話鳴ってるよ?」
「あ、後でかけ直そうかなっと」
「朱音ちゃん」
気まずく笑うあたしに優菜は笑顔であたしの名を呼んだ。あれ、この子ってこんなに笑った顔が威圧感ある子だったっけ?ふわふわってしてた優菜は一体どこに行ったのよ!
「分かったよ。出ればいいんでしょ、出れば。――はい。波瀬です」
結局優菜の笑顔の重圧に負けて電話を出た。優菜は電話に出た途端威圧感を消して、ご機嫌な様子でお茶とケーキを楽しんでいる。雰囲気が先ほどの人と別人なんですけど。
「朱音さん、今大丈夫ですか?」
「えー?まぁ、大丈夫だけど。どうしたの?」
ここで優菜とお茶をしてると言えば、白田のことだから遠慮するのだろう。だけど、そう言わせてくれない雰囲気を感じている。
「今日の夜、空いてますか?」
「今日の夜?」
そう繰り返して優菜を見ると、にっこりと笑って頷いている。ああ、そうですか。私たちの会合はお茶で終了なんですか。
「食事に行きましょう」
白田の問いは問いであって問いでない。あたしには選択権なんてないのだ。
「――いいよ」
元々逃げることは好きじゃない。逃げていれば嫌な事がなくなるわけではないし、逃げていれば誰かが助けてくれるヒロインと自分は違うのだ。ホラー小説や推理小説なら二番目くらいに殺される友人、ファンタジーや冒険小説であればパーティにいる仲間の一人、恋愛小説なら主人公を笑顔で応援しながら影では涙を流す友人という役どころだろうか。彼らはみんな問題が起こっても取り上げられることもなく、自分で解決しなければならない。そうだ。あたしは自分で立ち向かって対処していかなければいけない脇役Aでしかないのだから。
「――では七時に駅前の時計のところで」
「分かった。それじゃあ、後で」
待ち合わせの時間を決めて、電話を切った。
「ごめんね。待たせて」
「ううん。いいよー。頑張ってね?」
「……どの方向に頑張ればいいのかは分からないけど。まだ好きか嫌いかも分かんないしね」
白田のことをどう思うのか、それすらよく理解できていない。告白紛いの言葉を聞いて驚いて慌てたけれど、あたし自身の感情というのはまだよく分からない。あのドキドキが恋の始まりなのか、それとも驚いただけなのか。
それはもう少し近寄ってみなければ分からない。まずはとりあえず一歩だ。